41話 生存本能が憎い
首を吊るシミュレーションをした。かなり首に体重をかけたが、最後に意識が落ちそうな瞬間になって、踏み台を蹴るのが怖くて首吊りを中断してしまった。
死ぬしかないって分かってるのに死ねない。あと一歩が踏み出せない。
自閉症に生まれた時点で俺は幸せにはなれないと分かってる。今まで辛いことばかりだった。これからもそうだろう。俺は底辺を這いつくばって生きてきた。死んだ方がマシだと思って生きてきた。厳密には“生かされて”きた。
書くのが面倒だから概要は書かないが、俺は幼少期から終わっていた。どこでも孤立していた。いい思い出なんて何も無い。学校でも職場でも人間関係でも発達障害に苦しめられるだけの人生だった。いつも孤独だけが友達だった。
友人も恋人も職も無く更に童貞。まあそんなのはどうでもいい。俺には当たり前のことだから。
楽な死に方なんてどこにも無い。
俺は自分に関する全てに失望している。
まだまだ絶望が足りない。生きてて辛い事しかないのに。
俺は死ねないからタバコを吸った。あと何本吸えば病気になれるかと不毛なことを考えた。23歳の時から毎日ずっとタバコは吸ってる。
酒も、早く死ぬために毎日飲んでいる。アルコール依存症の平均寿命は50歳前後だ。それとアルコール依存症の人は自殺率も高い。そもそも酒に依存し始める時点で既に病んでいるケースが大半だから、自殺する人が多いのも分かる。
嗜好品としてではなく、緩やかな自殺として酒とタバコに依存している。
俺はもう何も期待してないし何も求めてない。
人としては既に社会的に死んでいる。
頑張って生きてる人からしたら、俺に腹が立つと思う。定職にも就かずに障害年金を国から貰って生きている。不労所得を貰っている。
ていうか俺は医者や国に認められた“精神障害者”なので安楽死を認めてほしい。まあ日本で安楽死が認められることは今後も絶対に無いし、仮に認められたとしても精神障害者は対象外だと思う。日本でも安楽死を推進している政治団体はあるらしいが、声がでかい者が勝つ世の中で、安楽死が認められることはない。
そもそも、自殺=悪という認識が普通の人にはあるらしい。俺にはよく分からない。昔から死にたいと思ってたから。
俺の手帳は二級だ。
とにかく自分でやるしかない。
死ぬこと自体は簡単だ。ネットを見れば情報収集はすぐ出来るし、鬱状態が酷くない状態であれば、準備をすることもできる。
実際、俺の鬱症状は今は無い。鬱状態特有の頭にモヤがかかったような、水中の中にいるような感覚が今は無い。正常な思考判断が出来て行動力のある今こそ死ぬべきだと思って、死ぬ準備を整えた。
死ぬのに必要なのは生存本能に打ち勝つことだけだ。
たぶん俺はもっと誰かと関わって傷付かないと、死ぬことができない。
俺はアパートの檻の中に自分を閉じ込めて、傷付かないようにしている。これでは死ねないと感じる。
アホみたいに沢山の人と関わって、傷付いたら、もっとちゃんと絶望して死ねそうな気がする。
でも人と関わる勇気なんてない。
じゃあ死ぬ勇気もないってことか。
酒の離脱症状による錯乱で、死ねたらいい。
次回に続く
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