第3話 公爵家令嬢 グレネ・コンラディン(2)
ライルはもう1時間以上、保健室の冷たい床の上に正座させられていた。
ライルの目の前には黒のスーツを一分の隙もなく着こなした初老の男が立っている。
男の名はバスバ。コンラディン家のグレネお付きの執事で、グレネと一緒にこの青の商都にやってきた。
正門の前で待機していたが、グレネが倒れたと連絡にすぐさま教室に飛び込んできて、そして「犯人」であるライルを現在監視下に置いている。
「お前は自分が何をしたのか分っているのか?」
「(はい、わかっています)」
「グレネ様が、一体どのようなお方なのか、わかっているのか?」
「(もちろんです)」
「貴様なんぞ、今ごろ銃殺されていて当然なのだぞ」
「(その通りです。本当に、ありがとうございます!)」
もう、何回同じことを言われ、何回同じ反省を繰り返しただろう。長時間の説教でライルの心はオウムのように単調になり、体はからくり人形のように固くなっていた。
ほんとうにこのまま、壊れた人形になってしまう何もしれない。そうなったら、どんなに気持ち良いだろう……
「そもそもコンラディン家はな……」
この話も何十回目だ。コンラディン家は誉れ高き武門であり、かつてのコンラディン家の党首は白の皇都に現れた古の竜すら退けたというのだ。
竜は突如天空より降り立ち、皇都で破壊の限りを尽くした。皇都がすべて灰になろうかというとき、コンラディン家の当主がひとり竜の前に立ち、それを倒したという。
ライルは、その竜が一体何をするために白の皇都に現れたのか気になったが、一刻も長く説教されたいこの状況で、そのような質問は果たして有効かどうか疑問だった。
「そもそも本来ならばグレネ様はこのようなところではなく、白の皇都の名門である……」
これもすでに数十回目だった。グレネは白の皇都で貴族の子女が通う高校への進学が決っていたという。
そうだ、そうであるべきだ。なんで公爵家令嬢がこの学校に来たのか、聞きたいのはライルのほうだ。
しかし、やはり、そんな質問をする選択肢はない。責めの時間が短くなったらたまったものではない。
「余計なことを口にするなと言ったはずです」
保健室に遠雷のような厳とした声が響いた。バスバとライルが怯える鹿のように振り返ると、グレネがベッドから二人の方へ歩いてきていた。
「お嬢様!もうよろしいので?」
「黙りなさい」
グレネは勘気を収めず、執事の気遣いを退けた。
バスバはグレネに深く頭を下げ、臣従の意を示す。
初老の男を一言で黙らせ従える様は、とても十六、七の娘のものには見えない。
「(本物の貴人か)」
ライルは心中で舌を巻いた。
人間は平等かもしれないが、みな同じではないし、同列でもない。
この美しい娘には、天より人を従えるべくして従える力が与えられていた。
ライルはこの声の主に頭突きを食らわせてしまった。はっきり言って相手が悪すぎた。
自分の命は今日ここまでだろう。さよなら爺さん。
ライルは心の中で家族に別れを告げ、己の短い人生を思い返していた。
どうせ最後なら、顔を踏んでくれないだろうか。
「ライルさん」
グレネがライルに呼びかけた。その声は先のバスバへのとは違っていて、普通の女の子の声だった。いや、普通ではない。声も言葉の響きも美しく上品で、ライルたち庶民とは比べようがない。
しかし、そこにライルを従えようという威はなかった。親しみと、それ以上の何かが込められていた。ライルは肩透かしをくらい、すぐに返事ができなかった。グレネは少し俯きながら、さらに話しかけた。
「あの……、よろしければ、家まで送っていただけませんか?」
「……えっ?」
ライルは何を言われたのかよく分らなかった。
家まで送れということは、家まで付いてこいということなのか?
学校では死体の処分が難しいから、自分の敷地内で殺してやるということなのか?
「だめでしょうか?」
グレネは不安そうに、ライルの顔をのぞき込む。女王のように有無を言わさずに聞かれても興奮して困ってしまうが、今のように可憐に聞かれるのも困る。相手は度の過ぎた美少女なのだ。その潤んだ瞳でお願いされては男の本能が呼び起こされ抗うことはできない。
「俺はここで殺されるんじゃないんですか?」
ライルは正座のままグレネを見上げて聞いた。ライルのなかでは、公爵家に拳を上げた自分が処分されることはすでに既定事項だった。
だが、ライルの問いにグレネは信じられないという表情になった。
「私がそんなことを望んでいるとお思いなんですか?!」
「い、いえ、そんなことありません!」
ライルはグレネの剣幕に驚いた。そしてさっきのことは謝っておかなければと姿勢を正した。
「コンラディン様、頭突きをして申し訳ありませんでした!」
ライルは正座のままグレネに頭を下げたので、まるで土下座のような格好になった。グレネは笑いかけたが、すぐに表情を引き締めた。
「本当ですよ。せっかくの出会いが台無しじゃないですか」
「出会い?」
ライルが顔を上げると、グレネは「あっ」と声に出したがすぐにごまかし、ライルに詰め寄った。
「それはともかく、あなたは私に怪我をさせたんですから、私を送っていく義務があります」
「はあ……」
「だから、これから私と一緒に帰りなさい」
グレネは胸を張って命令した。命令だったがそれは女の子が男と戯れているような言い方だった。
グレネが見せるギャップの大きさに、ライルは心の中で「女というのはよくわからない」と呟いた。
「わかりましたか?」
「もちろん、喜んでご一緒いたします」
ライルは正座したまま深く頭を下げた。その様子は、女王の前にひれ伏する農民のようで、その滑稽さにグレネとうとう吹き出してしまった。
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