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「分かりましたよ、月島つきしまさんの事」


その日の仕事帰り、絢也じゅんやを家まで送り届けた結依ゆいは、絢也の部屋に上がり、そう切り出した。


「やはり、アイさんと月島さんは同一人物でした」


そう言ってリビングのテーブルに広げた記事を見て、絢也は自分の目を疑った。


そこには、“金の為に男に取り入った新進気鋭の画家”と書かれていた。写真に写っているのは、少し若いあおい一葉かずはだ。


「元々、三吉一葉みよしかずはの父親が美術品に興味があり、骨董品や絵画を集めるのが趣味で、展示会などに出費したり、自身が収集した作品も提供したりしていたようです。

新人アーティストの発掘にも力を入れていたらしく、月島さんの絵にも目を留めていたようですよ。その頃既に、新進気鋭の画家として月島さんは注目を集めていて、作品に高値がつく事もあったみたいで。恐らく、記事を書かれる前から、三吉親子と何らかの接点はあったんでしょう」


呆然として記事に目を通す絢也に、結依はキッチンへ向かいコーヒーをいれ、リビングのテーブルに置いた。とりあえず絢也をソファーに座らせ、それから結依は少し躊躇った様子で続けた。


「月島さんが、三吉に資金を出させる為に、一葉に近づいたとか、月島さんの才能を手に入れる為に、三吉が息子の一葉を使って近づかせたとか、好き勝手に書かれていたみたいです。大企業の親子が絡むスクープに、当時は結構話題になっていたそうですよ」


「そうだったんだ…」


「一般的には、知らなかったり忘れてる人も多いでしょうね、すぐに記事は取り下げられたみたいですし、沈静化に奔走されてたみたいですから。私も言われて、そんな話があったなと思い出したくらいです。

ただ、当人達の周辺は大変だったんでしょう。あの記事を信じる信じないは別にしても、一度レッテルを貼られては、良い印象は持たれませんから。今、この情報は可能な限り伏せられ無かった事になっているようですが、知ってる人達からは、未だにいい顔はされていないようです」


結依は、「会社も大変だったでしょうが、月島さんはどんな思いをしたのか…」と、葵を思い胸を痛めた様子だった。

絢也は記事のコピーを手に取り、まだ話が受け止めきれない様子だった。


「でも、内容は嘘ですよね?まさか葵さんがそんな事するとは信じられませんよ」


「かもしれませんが、月島さんと三吉一葉が恋愛関係にあった事は、周囲は知っていたらしいですよ。まぁ、三吉は未婚ですが、当時は婚約者が居たらしいので、それもあって妙な憶測がついたのかもしれませんね。

突如現れた才能に嫉妬して、もしくはミヨシリゾートの評判を落とそうとしてか知りませんが、そういった妬みや恨みから、こんな記事にされてしまったという可能性もあります。真相は分かりませんが」


言葉を失う絢也を見て、結依は一つ息を吐く。


「三崎さんだって危なかったんですよ」

「…え?」


「情報提供者によると、例の記者は、今度はアイが三崎絢也に取り入ったと、三崎は同性愛者で、アイを金で買ったと書く予定だったみたいです。三崎はこれから描くであろうアイの絵を手に入れる為に。アイの絵はお金になるからとか」


「は…?」


「その記事を取り下げさせたのが、ミヨシリゾートグループの吉永よしながという人物のようです。その記事が出れば、会社の過去の記事も再び世に出かねませんから。お陰でこちらも結果的に助かりましたが」


それで絢也は少し納得した。あの二人が絢也の家を知っていたのは、その記者から聞き出したのだろうか。


「この前、この三吉一葉と吉永って人、家に来たんです」

「…は?え、何故です?何かされてませんか?まさか、記者を黙らせた見返りに何か求められませんでしたか!?」


身を乗り出し、焦った顔を見せる結依は今にも絢也に掴みかかりそうで、絢也は「何もないから!」と仰け反った。


「三吉さん、葵さんに会ったら謝りたいって伝えてほしいって。それ言うために来たみたい」

「…あちらも月島さんの居場所を知らないって事でしょうか」

「そうだと思うけど…これ、二人の連絡先です」


結依に名刺を差し出すと、絢也は大きく溜め息を吐いて、それから思わず頭を抱えた。


「…大丈夫ですか?」

「うん…結局、葵さんは俺のせいで出て行ったんだな」


葵は、ずっと懸念があったのだろう。また、世の中に嘘をばらまかれたら、今度は世間的にも影響力がある俳優と、なんて書かれたら。一度広まった噂は早々消えない。

だとしたら葵は、自分の為にも出て行ったのだと、絢也は思わずにいられなかった。

今回は揉み消せても、また次があるかもしれないと。

そうだとしたら、葵が自分の元に戻るはずがない。

結依は項垂れる絢也の様子に戸惑い、しかし思い切って顔を上げた。


「…三崎さんはどうされたいですか?」

「…え?」


「月島さんの考えは大事です。でも、三崎さんがどうしたいかも重要です。何を調べても、出てくるのは外野の言葉だけです。全てを知っているのは、当事者の月島さんだけですから。私達はまだ、月島さんの言葉を聞いていません。三崎さんは、どうしたいですか?」

「そんな…」


言って、絢也は口を噤んだ。

葵の顔が浮かぶ。戸惑って、笑って、零れた涙に、自分は彼の何を見てきただろう。

目を閉じればいつだって葵はすぐそこにいる、春風の中、差し出した手を握ってくれた。葵は、あの時と何が違うだろう、自分は、あの時と何が違う。

今、彼の為に出来る事は、それは黙って身を引く事だろうか。


そう思ったら、胸が騒ついて苦しくて、絢也は唇を噛み締めた。


それで、終わらせられる訳がない。葵とこのまま会えないで、守られたまま終わるなんて出来ない。葵が、自分の犠牲になったままなんて、葵が苦しんでいるかもしれないのに何も出来ないままは嫌だ。

絢也は顔を上げた。


「会いたいに決まってるじゃないですか…ちゃんと話したい、困ってるなら助けたい、今度こそ力になりたい、このまま会えないとか考えられませんよ」


例え葵に、記事にされたような過去があろうと、そんなの関係ないんだと伝えたい。ただ、会って話したい、葵の気持ちを聞きたい、それだけだ。最後に聞いた葵の声は泣きそうだった、それがただのエゴだとしても、その涙を拭うのは自分の役目でありたい。


「では、月島さんを探しましょう」

「え?」

「それしかないじゃないですか。本当は関わってほしくないですよ、月島さん自身がどうという事ではありません、ただ、彼の過去に巻き込まれかねない、あなたのキャリアに傷をつけたくありませんから」


でも、と結依は絢也の顔を覗き込む。


「あなたが望むなら、どこへでもお供しますよ。全力でサポートするのが、私の仕事ですから」

「立花さん…」

「その辛気臭い顔も見飽きましたからね」


肩を竦めて、結依は葵の記事を丸めてゴミ箱へと放った。


「しかし、人探しとなると、よほど信頼のおける探偵に頼むほかありませんね」


絢也は、それなんだけど、と勇次から受け取った水族館のチケットを差し出した。


「さっき三吉さん達来たって言ったじゃないですか、その時、吉永さんに会う約束取り付けられたんです」

「どういう事です…?まさか!」


再び問いつめようと胸倉を掴まれそうになり、絢也は再び仰け反った。


「違うよ!多分…だけど。あの、今度の日曜に、閉館後の十時、この水族館に来てほしいって」

「日曜の十時…まぁ、時間は空きますが…」

「もしかしたら何か知ってないかな。今回の記者を黙らせたのも、この人なんでしょ?副社長は知らなくても、秘書は何か知ってるって事ないですか?」


結依は難しい顔をしている。絢也と何の為に会うつもりなのか、理由が分からないからだ。本当に葵に関する事なのか、確信は何もない。


「…大丈夫ですか?本当に何か取り引きでもさせられるんじゃないですか?」


結依の言葉に、絢也は勇次の風貌を思い浮かべ、少し顔を引きつらせた。

穏やかで優しい雰囲気、人の良さそうな表情だったが、笑みを浮かべていなければ、危ない組合の人間に見えなくもない。


「……考えすぎだよ、あの副社長はなんか寂しそうだったし、…悪い人には見えなかった」


絢也は、そう自分に言い聞かせる。まず自分が大丈夫だと思わなければ、結依を説得することは出来ないだろう。


「まあ、三崎さんがそう言うのでしたら。ですが、私も一緒に行かせてもらいますからね」

「うん、ありがとう」


絢也は頷き、クラゲの絵に目を留め決意を新たにする。もう一度、葵に会いに行く。

今度こそ、手放したりしない。



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