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「その顔、どうにかしてくれませんか」


楽屋にて、結依ゆいが溜め息混じりに腰に手をあて見下ろすのは、すっかり元気を失くした様子の絢也じゅんやだ。

数日前、あおいが突然姿を消してから、絢也はずっとこの調子だった。


「仕事はしっかりやっています」

「当然です、仕事なんですから」


こんな様子でこの先大丈夫だろうかと、結依はスケジュール帳に目を落とす。絢也が傷心している理由は、絢也から聞いて結依にも分かっていた。ただ、葵が居なくなってこんなにも気力を失くすとは思わなかったようだ。

誰も居ない楽屋では、世界中の不幸を背負った様子で項垂れているが、一歩外へ出れば、しっかりみんなの知る三崎絢也の顔で現場に戻っていく。


仕事だから当然だと言えばそれまでだが、さすがだなと結依は思っていた。彼が私情を挟まずしっかり仕事をこなしてくれるから、事務所だって信用を失わずに仕事が出来てるのだから。


本当は、芝居なんてやりたいと望んだ訳じゃないのに。


結依はそう思い、こっそりと肩を落とした。

絢也の気持ちとは裏腹に、次々と芝居のオファーや、オーディションを受けてほしいと依頼が舞い込んでいる。こうして選ばれる才能があるのは、本人の持って生まれたものであり、努力を欠かさない性格ゆえだと思うが、元はやりたくない仕事だ、いつか辛くなって絢也の負担になる日がくるのではと、結依はこう見えて心配はしていた。

疲れて無理して笑っていても、絢也はきちんと仕事と向き合ってくれる。投げ出したいなんて言われたらどうしよう、その時は全力で彼の為に休みを取りにいくしかない。そんな事くらいしか、結依には絢也にしてやれる事がなかった。


だが、葵と出会ってから、絢也は見るからに仕事に前向きになっていった。同居人が出来て、毎日が楽しいんだと聞かされていたので、結依は葵には感謝しかなかった。絢也の癒しとなってくれている葵には、出来れば側で支えてあげてほしいとすら思っていたくらいだ。


その葵が居なくなった途端、この変わり様だ。一刻も早くどうにかしなくてはならない、そうでなければ、絢也の心が参ってしまう。


結依は一度楽屋の外に顔を出し、誰も来ないのを確かめるとドアをきちんと閉め、鍵を掛けた。それから絢也の向かいに腰かけると、そっとその距離を詰めた。


「三崎さん、月島さんの事どこまで知ってるんですか?」

「え、何か連絡あったんですか!?」


椅子から立ち上がる絢也に、結依は慌てて「静かに!」と注意しつつ、言葉を続けた。


「あの週刊誌の報道が出た後、ずっと渋っていた記者が、月島さんを嗅ぎ回るのを、ある時ぱったりとやめたんです」

「…葵さん、まだ追いかけられてたんですか?」

「はい、私には何も連絡はありませんでしたけど、変わらずあのマンションに張りついてましたよ。だから何度も訴えていたんですが…」


絢也は視線を彷徨わせ、力無く椅子に戻った。


「それがずっと気になっていたんです。でも、記者が手を引いてくれたなら、変に勘繰るような真似はしない方がいいと思い詮索はしませんでしたが…」

「…俺、何も知りませんでした」


記者に追いかけられていた事も、葵と再会するまでの事も、何も知らない。

更に落ち込む絢也に、結依は迷いながらも、少し声を落として問いかける。


「…調べてみましょうか?月島さんのこと」

「調べる?」

「あの記者達がすんなり手を引く程の何かしらの力が、彼にはついてるということでしょう?どうして出て行かれたのか分かるかもしれません。ただ、月島さんの意思に反し、勝手に探ってしまうことになりますが…」


絢也は俯き、手の平に葵の振り返った顔を思い浮かべた。

何も分からない、もしかしたら葵にとって自分は迷惑な存在かもしれない。

だけど、と絢也は手を握る。それでもあの人に会いたい。


「俺、会いたいです。怒られてもいい、やっと見つけたんです、ずっと探してたんです」


絢也は立ち上がり、結依を見つめると頭を下げた。


「力を貸して下さい!お願いします!」


その顔には、ようやくいつもの様子が戻ってきたように感じられて、結依は安堵した。


「了解しました。出来る限りやってみます」

「俺は?俺は何をしたらいいですか?」

「月島さんの事、何でも良いので教えて下さい。あとは、目の前の仕事をこなして下さい。急に休んだり妙な行動をして、世間が騒ぐような事になっては…、また色々と嗅ぎ回られても困りますから」


それから、結依は絢也にスケジュール帳を見せた。


「これから忙しくなると思いますが、覚悟して下さいね」


普段は早々見せない結依の笑顔に、びっしり埋まった自身の予定を見て、絢也は少々頬を引きつらせた。

力を貸すから働け、という事なのだろうか。いや、背に腹は変えられない。

絢也は結依に向き合い、しっかりと頷いた。





葵が出て行ってから、一度だけ、葵と電話が繋がった事があった。


それは葵が出て行った日の夜の事、仕事を終えて家に帰ると、朝は居たはずの葵の姿がなかった。

リビングのテーブルの上には、一緒に買ったウサギのキャロットと、家事のノート、預けていた生活費、それとクラゲが描かれた絵。


葵の荷物は一切なく、絢也は葵に電話をかけ続けながら、町を駆け回った。

葵を見つけた繁華街、デートをした街、近所のスーパー。


そうやって走り回って気づく、自分がいかに葵の事を知らなかったか。ただ一緒に居られる事が嬉しくて浮かれていた、何の確証もないのに、きっと側に居てくれると、どこかで思い込んでいたのかもしれない。

探すあてもなく、家に帰っても葵の姿はない。

暫くして諦めかけた時、掛け続けた電話のコール音がやんだ。弾かれたように絢也は顔を上げた。


「もしもし葵さん!?今どこですか!?」

「…ごめんな、勝手に出て行って」


電話の向こうは室内だろうか、とても静かで、葵の声は元気がない。


「そんなこといいですから、今どこ?迎えに行きますから」

「迎えはいらないよ、…新しくさ、置いてくれるところ見つかったから」

「…どうして?また記者の人達に何か言われたりしましたか?ごめんなさい、俺全然気づかなくて」

「そうじゃないよ、俺の問題なんだ」

「…周りの目が気になりますか?気にする必要ありませんよ、高校時代の先輩と後輩でルームシェアしてとか、よくある話じゃないですか」

「でも、嘘じゃないか」


葵の言葉に、絢也は思わず言葉を詰まらせた。


「嘘はいつかバレるんだ。隠し通すなんて出来ないんだよ」


振り絞るような声に戸惑う。葵は何を背負っているのだろうか。


「こんな形でごめんな。俺、絢也君と出会えて良かった。凄く楽しかった…ありがとな」

「待っ、」


切られた通話に、その後何度もかけ直したが、葵が電話に出る事はなかった。


耳元に、泣きそうな葵の声だけがはりついて、そうさせているのが自分だと思うと、絢也は自分が許せなくて堪らなかった。




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