邂逅

第2話 第十七回セイブ・ザ・クイーンの優勝が決定しました

「早く、こっちよ!」

 薬指に銀のリングを付けた少女がマンションの階段を駆け上がる。その後を青い石のネックレスをした少女が追っていた。


「待ってよ、一人で行ったら危ない」

「急いで、あと十五分で時間切れになる。最後のクイーンがこのマンションの屋上に逃げ込んだのは確認済みなの」

 クイーンとナイトの荒い息遣いが階段室に響く。

「相手の罠かもしれない。考えもなしに飛び込むのは危険よ」

「じゃあこのまま全員敗退で罰ゲームがお望みってワケ?」

 ナイトは困ったように顔を伏せた。


 踊り場の窓から雨が入ってくる。頬にかかった雨粒を親指で拭ったナイト。最終決戦は土砂降りの雨の中で行うようだ。

 腹の底に響くプロペラ音。雨雲の下にヘリコプターが飛んでいる。このマンションの上を旋回しているらしい。

 それを見上げたクイーンは不愉快そうに舌打ちした。


「私は絶対に嫌だよ、タバスコ一気飲みだなんて。そんなの日本全国の笑い者になっちゃう。私はお笑い芸人じゃないんだから」

「まあ確かにね」


 敗者の罰ゲームはタバスコ一気飲み。

 しかもその様子をテレビ中継している。大会の様子は全国ネットで放送されていて、罰ゲームの様子まで余す事無く映されていた。


 二人は階段を登り切り、屋上の扉を前にして身を屈める。

 クイーンが扉に耳を当てるが、激しい雨音とヘリコプターの音に邪魔されて相手の気配を探れない。

 ナイトはスマホを取り出して出場者専用アプリを起動する。生き残っているクイーンの一覧が表示された。

「うん。やっぱりクイーンはもう二人しかいない。しかも相手はナイトもいないよ」

「二対一って事か。私達が有利ね」

 ナイトが携帯をスカートのポケットにしまうと、クイーンはドアノブに手を添えた。残り時間十三分。

 二人は大きく深呼吸して顔を見合わせる。


「「せーの!」」


 二人は勢いを付けて扉を押し開ける。

 重い金属音は雨音とプロペラ音にかき消された。雨が二人の体を濡らし、衣服の色を濃くしてゆく。

「どこ――」

 屋上に人影はない。ヘリコプターのサーチライトが二人を照らす。クイーンは眩しさに手をかざした。

 その時――。


 振り向いたナイトが叫んだ。

「後ろ!」

 貯水タンクの後ろから影が飛び出し、クイーンを背後から羽交い絞めにした。

 影が強い語気で言う。

「動かないで」

 クイーンの首筋に裁ちばさみの刃が当てられた。

 クイーンは小さく悲鳴を漏らす。雨に溶け込むグレーのレインコートを着た相手クイーン。その存在にナイトも気付けなかった。

「大人しくリングを渡して。そうすれば何もしないから」

 相手クイーンは要求する。突然の出来事にナイトは一歩も動けない。クイーンは苦笑して顔を引きつらせる。

「ちょっと、いくら何でもやり過ぎじゃない。強盗じゃないんだからさ。まだ時間ならあるんだし、ゆっくり争奪戦のルールでも決め――」

 言葉の途中でクイーンの首に冷たい刃が押し付けられる。二人は息を飲んだ。背後から相手クイーンが覗き込む。

「あなたも知らない訳じゃないでしょ。クイーンとナイトは法律の対象外。罪を犯しても捕まらない。つまり何をやっても許される」

「確かに、そうだけどさ」

「私は、どうしてもリングが必要なの。優勝しなきゃいけないの……」

 その瞬間、ヘリコプターのサーチライトが二人のクイーンに向いた。相手クイーンが一瞬だけ右目を閉じる。


 今だ――。


 ナイトは素早く死角側に回り込み、全力でクイーン達に飛び込んだ。

 羽交い絞めの間に割って入りクイーンを突き飛ばす。ナイトは相手クイーンの腕を掴んだ。

「鋏を放して!」

「このっ――邪魔しないでよ」

 相手クイーンとナイトの掴み合いが始まった。ナイトは裁ち鋏を取り上げようと懸命に掴み掛かる。相手クイーンも必死に抵抗していた。

「どけ!」

 相手クイーンがナイトを振り払う。

 その時、三人は同時に「あ――」と漏らした。

 最も間の抜けた声だったのはナイトだ。

 顔の奥に冷たい物が入って来た感覚。水に飛び込んだ時みたいに鼻の奥がツンとする。


 それに、右目が見えない。

 あれ?


 冷たい感覚はすぐに出て行った。

 そして正体不明の痛みが右目を侵食する。片目を押さえたナイトは膝から崩れ落ちた。目の前には呆然と立ち尽くす相手クイーン。裁ち鋏の先が赤く汚れている。


 ようやくナイトは理解した。

 目を刺された――。


 状況を理解して、ナイトは上擦った悲鳴を上げる。

 コンクリートにのた打ち回って叫び散らした。目の奥が激しく痛み熱を持つ。その熱は血液となって目から溢れ出した。

 クイーンは口をぽかんと開けている。壮絶な光景を前に声すら出せない。腰を抜かして屋上のふちに背中を預けたまま動けないでいた。

「あは、あはははは……だから言ったじゃない。私はどうしても優勝しなきゃいけないって。邪魔するからこうなるのよ」

 相手クイーンは定まらない視線を彷徨わせながら笑う。

 顔を押さえて蹲るナイトから視線を外し、腰を抜かして動けないクイーンを見た。

「もう良いや。こうなったら指を切り落としてでもリングをもらう。私、本気なんだから」

 相手クイーンは瞳孔を開き切ってにじり寄ってゆく。クイーンは震えているだけで逃げられない。足腰が命令を聞いてくれない。

 獲物の前に立って見下ろす相手クイーン。

 裁ち鋏をちょきちょき動かす。這って逃げようとするクイーンの腹を思い切り蹴飛ばした。胃液を吐き出し咳込むクイーン。相手クイーンは左腕を捻り上げ、薬指に鋭い刃を当てる。

「これで私の勝ち。セイブ・ザ・クイーンの優勝は私――」


 その瞬間、相手クイーンの体がぶれる。

「え?」


 ナイトが後ろから体当たりしていた。裁ち鋏がクイーンの指から外れる。間一髪で薬指切断を免れた。

 バランスを崩した相手クイーン。

 その身体はそのまま屋上の縁を乗り越えた。クイーンとナイトの目には全てがスローモーションに見えた。

 三人はまた同時に声を漏らした。

「あ――」

 相手クイーンは呆気にとられた表情をしている。宙に投げ出された相手クイーン。

 彼女の口唇がぽそりと動いた。


「……、今までごめんね……」


 その身体が屋上の縁からフレームアウトする様をナイトは片目で見ていた。

 クイーンとナイトは弾かれるように屋上から身を乗り出す。相手クイーンは雨粒と一緒にアスファルトの地面へ吸い込まれるように落ちて行った。

 そして地面に激突して動かなくなる。

 不自然に曲がった手足。

 じわじわと黒っぽい物が染み出してくる。血だ。

 激しさを増す雨音と、しつこくうるさいヘリコプターの音。クイーンとナイトは少しずつ理解していった。

 相手クイーンが落ちた、と。


 二人は何も言わないまま一目散に階段を駆け下りた。

 一階まで下りると相手クイーンがマンションの前に倒れていた。さっきより血が広がっている。二人は呆然と相手クイーンを見下ろす。仰向けに倒れて目も開いたままだ。裁ち鋏もまだ握っている。

「これってさ。死んでるよね」

 クイーンが言った。

 ナイトは頷く。声は出なかった。右目の奥がズキズキ痛む。頭が割れそうだ。

 またクイーンが続ける。


「殺してくれたんだよね……」


 殺した――。

 ナイトははっと顔を上げる。クイーンは眼球がこぼれるくらい目を見開き口元だけ笑っていた。

「仕方ないよ。あそこは突き落とさないと、こっちが殺されてたんだもん。だから悪くない、こっちは悪くない。うん、そうだよ」

 クイーンは出来たての死体の指からリングを抜き取った。

 すると二人は眩いサーチライトに照らされ、スマホから通知音が鳴る。手に取ると自動的に緊急放送が表示された。


『勝者No.04氷室美耶ひむろ みや。この瞬間、第十七回セイブ・ザ・クイーンの優勝が決定しました』


 周囲の家々の窓が開き、クイーンとナイトに注目が集まる。

 拍手はない。町中からどよめきが湧き上がった。ナイトは右目を隠すついでに人々から顔を背けた。


『今回は最後の最後に痛ましい事故が起きてしまいました。セイブ・ザ・クイーンが始まって七十年、初めての死亡事故です』


 ナイトは雨に打たれながら死体を見下ろしている。

 潰れた右目の奥からどろりと血が込み上げて頬を汚していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る