第一乳 いくら好きだからってそれはない

 大草原のど真ん中にぽつんと立つ大樹に寄りかかるようにして、目覚めた。


 ぼんやりと目を開くと、最初に頭上でちらちらと瞬く光が目に入ってきた。

 それが梢葉の合間からこぼれる陽射しだと気付くにまでは暫くかかった。

 記憶が滲み出す。気怠くはあるが痛みはない。

 トラックに轢かれたんじゃなかったっけ?


 恐らくおっぱいの事に集中するあまり、赤信号に気付かずに横断歩道を渡っていたのだろう。右方向からの強烈な閃光に照らされ、クラクションと共にブレーキ音が響く。上半身に衝撃が走り、身体が一瞬浮き、空中で一回転して、アスファルトに身体を叩き付けられる。幸か不幸か、頭は打たなかった為に、その直後の事も鮮烈に思い出せる。


 先ず路面にまっすぐに投げ出された右手の指先がトラックの前輪に潰され、前腕から肘、そして上腕へと、肉が潰され、骨が砕けていく衝撃をゆっくりと味わう。それが肩に達し、巨大タイヤが俺の眼前まで迫った刹那に、意識は途切れた。


 ……うん、死んでね?


 それもだいぶ酷い死にざまで。確実に頭まで潰されて脳漿を盛大にブチ撒けて。



 ――あー転生。転生だーこれ。

 どんなイケメンになってるかな?


 確かめようと右手を観て、ぎょっとした。

 

 見えない。というかなんと言うか、モザイクが掛かった様な、ノイズが走ったような、歪んでるような、水彩絵の具でぐちゃぐちゃに塗りつぶしたような、ピントが合っていないような。


 とにかく、観えない。そこにあることだけは判る。でも認識できない。

 いくらぶんぶん振ってみようとも、ぐっぐっと握ったり開いても見えない!


 慌てて立ち上がって周囲を見渡してみる。

 見渡す限りの草原が広がっている。青々とした草原は美しい……とか何とか言ってる場合じゃない。どうなってんの俺のからだ!



 突然、後方で大きなガサガサ!という音がした。


 振り返ると、生い茂った胸の高さの程の茂みに、『何か』が立っている。

 何かとしかいいようがない。強いて言えば俺の今の身体と同じ様なモノだ。

 

 目を強く擦り、その『影』を再び凝視する。周囲の風景は眼鏡が無くてもはっきりと見える。でもそこに居るはずの何かは良く観えない。


「―—――――――」

 その影が音を発した。それもまたノイズの様な、黒板爪ギーのような、発泡スチロールギュギューのような、不快でおぞましい音だった。

 

 やばい。全く訳が判らない。これって敵?ここってどういう異世界?

 本能的に逃げ出そうとして、情けない事に、その場で腰を抜かしてしまった。


 その影はゆっくりと俺に近付いてくる。

 俺は短時間の内に二度目の死を覚悟し、気絶した。



 目覚めた。


 今度はふかふかのベッドに横たわり、古めかしい木造の天井が観えた。


(ここはいった――)コンコン。「!?」


 フツーこういう時はどういう場所かを説明させてくれるとこでしょうが。

 とにかく、なんか古い洋風の部屋の扉を叩く音がして、俺は驚きのあまりベッドの上で跳ね上がる。比喩ではなくマジで十センチくらい浮いた。心臓も跳ね上がった。


「あら、目覚めたのね。具合はどう?」

 俺は三度、仰天した。


 ようやく耳にしたまともな人間―—女性の声の主は、部屋に滑り込んで来た影。


 気絶する直前に遭遇した影と同じ―――ではなく、上は鎖骨、下は鳩尾の辺りまで。平たく言えば胸。つまりおっぱいの部分だけが、ごく普通に観えていた。


 年代ものの洋服に包まれたおっぱいは、ぱつんぱつんにはちきれそうで揺れている。優しく豊かな乳だ。いやどうなってるの?



「まだどこか痛むの?すぐに食事を用意しますから、ゆっくり休んでおいてくださいな、勇者さま」

「あ、え?はい」


 顔をしかめていた俺の表情を勘違いしたのか、その影―—女性が優しく言う。

 ビジュアルの衝撃とは裏腹に、その声には、そのゆさゆさの巨乳と同じように、人を落ち着かせる安らぎが満ちている――。


「―—勇者?」 

 ああもうダメだ。次々に色々と起こりすぎて処理できない。


 目を凝らして頑張ってはみたものの、頭部や顔があるであろう部位は、ぼやけて乱れて、歪んで観えてしまう。


 

 つまり俺は、異世界転生を果たしたはいいものの、女性のおっぱい(と声)しか認識できない状態で放り込まれたってワケ。


 いくら好きだからって、そんな極端な話ってある?



 女性(優乳)が言う。

「ええ、世界に闇が蔓延った時、七鏡の月を経て、異界よりペッタンコ平原の一本樹に異界より勇者が現れん……という伝説があるんですよ」


 なんだその頭悪い名前。ヒントのつもり?



―――――――――――――――――――――――――


 しかし俺は冷静だ。

 こういう時あたふたして流されっぱなしの凡百な童貞じゃない。


 能動的、的確に質問し、いくつかの要素を見事に把握した。


・このおっぱ……女性の名はマーガレット。

・俺を発見したのは彼女の夫。つまり俺は、男の姿も声も認識できない。

・例の木は伝説の霊木であり、彼女ら夫婦はずっとその樹番として暮らしていた。

・毎日の様に霊木へ通っていた夫が遂に俺を見つけ、この家に連れ帰ってきた。

・夫は今、王国の女王さまへ予言の成就の報告に行っている。

・女王の使いがこれから確認と、迎えにくるだろう。

・ここはオーソドックスな剣と魔法の世界。特に目新しい要素は一切無し。



 これまた古風な洋式キッチンにて、質素ではあるが真心たっぷりの食事にありつきながら、一つ一つ状況を確認する。


「―——!」足元に小さな影がじゃれついてきた。お前、犬だな?

「こらっ、そらまめ!勇者様に失礼でしょ」言語様式はどうなってんの?


 食事は普通に観える。端的に言えばだいたい「魂の有無で観える観えないが決まる」という事らしい。


「ご馳走様でした、とても美味しかったです、ありがとう」

 

 俺は豊かなおっぱいに向かって丁寧に礼を言う。だってしょうがないじゃん顔見えないんだから。そりゃ俺だってしっかり相手の目を観てお礼をいいたいよ。

 でもぐちゃぐちゃになってる顔?を見てると頭痛と吐き気がするんだもん。「いいえどうもお粗末で」おっぱいは返事をするようにゆさっ、と軽く揺れた。そのおっぱいの表情だけでこの女性の優しさと温もりを感じられる。それでいいじゃん。



 俺は洗面所に向かい、鏡で自分の姿を確かめた。

 

 ―—うん、やっぱり俺自身の顔も、彼女たちと同じで、乱れたモザイク。

 イケメンボーナス化があろうとなかろうと、観えなきゃ意味無い。

 なんとなく予想はしていたのでがっかりはしてない。しかしこんな状態で何が出来るっていうんだ……。


 鏡の前で項垂れ、頭を抱えていると。


「勇者さま!お迎えに上がりました!」

 若い女性の凛とした声が、俺を呼んだ。展開早くない?


―――――――――――――――――――


「私はオーパイ国の騎士、トルテシア。気安くトルテとお呼びください。女王デッカ・オーパイの命にてあなた様を王城へご案内させて頂きます」


 恐らく御者であろう乱影みだかげが駆る草原を進む馬車(たぶん。お馬さんも勿論観えない)に揺られ、俺とトルテシアは草原の一本道を進んでいた。もう名前のひどさには触れない。


 色々話してくれてはいるが、当然彼女の顔も見えないわけで。荒道に揺れる客車の上では、当然おっぱいが揺さぶられている訳で。


 そのおっぱいは、青と銀色の布地に抑え付けられながらも、その強く美しい魂を主張するように、ぴっちりとしたラインを象っている。平均よりも多少は大きいだろう。美乳という表現がぴったりだった。僅かに上を向いた乳先はきっと明日を見ている。それは彼女の高潔な意思、そして清廉さの現れであり、だがやはり震動には抗えない、ちょっぴりの隙も感じさせる……。


 人物の象が観えない以上、おっぱいの表現に特化するしかない。というかそれ以外に説明する要素ないだもん。これでいいんだろ?


「―—―――!」

 男は何言ってるかわからん。


「あぶないっ……!」

 トルテが叫んでおっぱいが弾んだ。


 次の瞬間、草むらを揺らして近付いてきた何者かがザザザザザザッ!と駆け抜け、飛び出し、御者に飛び掛かった。「―――!」「―——!」飛び出した影が目の前を通り過ぎて、そして御者の影の一部が、すぱんと飛び、そこから何かがブシューと噴き出した。


 恐らくは、というか確実に首だろう。結構なグロさだと思うが、しかし勝手にモザイクがかかってるような状態では、さほど危機感は湧かなかった。


「……ッ!」トルテのおっぱいが緊張したようにブルッと震える。


「ダークハウンド!もうこんなところにまで!勇者さま、ここは私にお任せください!」


 はい。


 剣を抜いたと思われる音がする。

 武器を構えたことすら把握できなかった。


 バシュン!ヒュン!バシバシ!と何処かで聞いたことがある音が響く。

 恐らく双方の攻撃が交わされているのだろう。

 重ね重ね言うが、俺の目にはお互い何をしているかさっぱり判らん。



 ぐぐっ、プルルン!!

 トルテの美乳が弾むように上下し、そして一回沈んだかと思うと、颯爽と飛んだ。


 あのね、多分ね?モンスターが急襲してきたと思うわけ。そんでトルテちゃんが俺を守ろうと戦ってくれてるのも判るのよ。でもモンスターも見えないし、おっぱいしか観えないのよ。


 見えるものと言えば、女性が動き回る度に跳ね回るおっぱいくらいなものだ。他に見るべきものがない以上、これをお届けするのが俺の役目だろうと勝手に納得する。



 二つの影が行ったり来たりして、もみ合ってるようにしか観えない。


 改めて言おう。これは俺の物語。俺が観て、聴くものしかお伝え出来ない。


 つまり、おっぱいの描写しか出来ないってこと。



「えい!はぁ!てやー!」

 ぷるっ、ぷるる、ぷるーん!

「―—!―—――!」


 多分だけど、トルテは剣で戦ってる。



「くっ、強い!下位等級の魔獣のくせに、なんでこんなに強いのっ……!?」

 ゆさ……ゆさゆさ……ゆさ!


 胸の動きから、息を荒げて肩を上下させてるのが辛うじて判る。

 苦戦しているのだろう。そのおっぱいの揺れには怯えと焦り、緊張が募っていた。


「このおっ……!」

 グンっ!ぐわわわわっ、ぐおぷるるーん!

 

 身体を沈めてからジャンプした。空中に飛躍するおっぱい。


「スラッシュブレーード!」

 技名を叫ぶタイプのおっぱいだった。


 ぷるっ………、ゆっさ!ゆさああああああああ!ゆさゆさ!ぶるるるるっ。


 一旦空中で無重力状態になり、まるーくなったおっぱいが、急降下で形を歪め、そして着地の慣性で一気に下り、衝撃の余韻で暫く震える。


 その攻撃が、彼女のこれまでの鍛錬の賜物であり、強力だという事は、俺には判る。おっぱいの揺れだけで、その技の強さが判るのだ。


 でもそれで相手を倒せているのかどうかは判らん。

「うそっ……!?」駄目だったらしい。


 

 しかし、俺にはその技の弱点が観えた。

 そして、俺は叫んだ。


「もっと空中での滞空時間を長くするんだ!そして振り下ろす時に少し腰を入れて、斜めに振り下ろせ!そうすれば、そうすれば……」


 ――完全に揺れが収まるまで止めたおっぱいを、再びダイナミックに躍動させるんだ!下に揺れるだけではおっぱいの重さ、柔らかさが充分に伝わらない。おっぱいの動きは即ち体技の動き。おっぱいの隙は戦いの隙。おっぱいの強さは即ち剣技の強さ! 


 俺はおっぱいの動きを通じたアドバイスにより、彼女たちを強くできる……!



「わかりました、勇者さま………!」

 トルテのおっぱいが、決意したようにひと跳ね。


「いくぞっ!スラッシュ……ブレーーーード!」


 ふわっ……ぴたっ。

 バルン!バルルルっ!バルン!バルルオーーーン!!

 ブルブルブル、ぷるぷるぷる…………ぷるん。



「やったッ!やりました、流石ですね!予言の通りでした。あなたは私たちを鍛えて、そして導いてくれる、導師さまです……!」

 

 トルテが嬉しそうに、弾む様に、ゆっさゆっさ、ぽよぽよっと近付いてくる。


 うん、よかったよかった。



―――――――――――――


 こんな感じで、俺は数々のおっぱいに巡り逢い、おっぱいたちを率い、導き、鍛えていくという使命を確信した。


 おっぱいを基準に彼女たちを見出し、おっぱいの素質を見出し、そして……。

 あれ?何すればいいの?まあいいや。その辺は、追々判るでしょ。

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