深夜のラーメンにしか癒せない傷がある
青い絆創膏
深夜のラーメンにしか癒せない傷がある Vol.1
何かあった、とかいうわけではなかった。ただ所属しているバスケサークルのメンバーの輪になんとなく馴染めていないような、自分の発した言葉だけ宙に浮かんでいるような、そんな感じがずっと続いていた。飲み会での会話はいつも頭がフル回転していて、何がこの場で適切な発言か、今の私の立ち振る舞いは正しいのか、そんなことばかりが頭を占めていた。
今日は、たった2回だった。サークルの中心の里美が、私の目を見て話した回数。あとはずっと他の人の目を見ていた。私はいつも、誰かの視線が向けられることに必死になって、そればかりに気をやっていて、会話に集中できていない。だからみんなに心を許してもらえないのかもしれない。
いつもは朝方まですがるような気持ちで飲み会に参加する。けど、今日は限界だった。23時過ぎくらいから上手く口角が上がらなくなっていた。ひどいことを言われたわけでもない、明らかに無視されたわけでもない、ただ「なんとなく馴染めていない」、それだけ。ただそれだけのことが、今にも吐きそうなくらい私を辛くさせた。私が「帰るね」と伝えたときも、みんな「おっけー」と手を振っただけだった。もう少しいてよ、とも、どうしたの?とも言われなかった。この間瑞希ちゃんが早く帰った時は男の子も女の子も、みんな引きとめていたのに。
店を出た瞬間に胸につかえてたものが爆発して、ボロボロと涙が溢れた。私がいないときに盛り上がっている光景を想像するのが怖くて、いつもは最後までいたけれど、今日はあの場にいることの方が辛かった。あの場にいることの苦痛と、帰ることの苦痛を天秤にかけて、私はこちらの苦痛を選んだ。どっちにしろ地獄だ、店を出たところで行くところなんてどこにもない。家にも、帰りたくない。こんな日に限ってスマホの充電もなくて、お金もあまり持っていなくて、私の寂しさを埋める術が何も思いつかない。涙でにじんだ景色に相席屋のネオンが眩しくて、思わず足を止めてしまった。だめだ、こんなところを訪れたって、私が探しているものなんか何もありゃしない。
繁華街は、どこまで歩いても私のことを孤独にさせるだけだった。人々の楽しそうな笑い声を聞くたびに喉の奥が苦しくなる。こんな日にここを歩くのは最早自傷行為だ。里美は、最初は私と一番仲が良かった。サークルに入る前から友達で、バスケサークルも一緒に入ろうねと約束していたし、最初のころはずっと一緒にいた。里美と私はもう最初のような気の置ける友人じゃないと感じ取ったのは一体いつからだっただろうか。里美がサークルの子と遊ぶときに私に声を掛けなくなったとき、ほかのサークルの子が私の知らない里美の情報を知っていたとき、里美が私の誕生日を当日に祝ってくれなくなったとき、里美と一緒にいてもサークルの子たちの話しかしなくなったとき。小さなきっかけなんていくつもあった。知らないふりをしていただけで。サークルの飲み会がしんどかったはずなのに、いつの間にか私の憎しみの矛先は里美に向かっていた。でも、里美は悪くない。何も悪くない。悪いのは、一緒にいても面白くない私。里美に好かれることができなかった私。涙が口の中にまで伝ってきて気持ちが悪い。でも、涙が止まらない。早くどこかに座りたい。視界に入ってくる景色がほとんど視覚情報として頭に入ってこない状態で、唯一私はラーメン屋の黄色い看板を情報として認識した。アルコールが入っていたし、泣いたせいで少しだけお腹がすいていたし、ラーメンがすごく食べたいと思った。ラーメンに救われたいと思った。
店内は昔ながらのラーメン屋といった風で、週刊少年マガジンと、昔のコミックが何冊か置かれていた。お客さんは私以外に50歳くらいのおじさんが一人いるだけ。70近いような風貌の男性店員がカウンターの中に座っている。メニューは、醤油ラーメン、チャーシュー麺、ワンタン麺、野菜ラーメン、スタミナラーメン、餃子、チャーハン、など。写真がついていないから見た目がわからない。
「醤油ラーメンひとつください」
涙と鼻水を懸命に引っ込め、一番オーソドックスであろう醤油ラーメンを頼む。
「大きさは?」
「中で……」
おそらく私の顔は涙でぐちゃぐちゃだろうに、店員のおじいさんは何も気にした様子はなかった。私の顔なんて見ていないのかもしれない。ラーメンを待つ間、厨房で麺をゆでる店員の姿や、良い音を立ててラーメンをすするおじさんの姿を眺めていた。店内には有線でOffisicial髭男dismの曲が流れている。良い曲だな、と思った。ラーメン屋さんの空気感と有線で流れるOfficial髭男dismは、絶妙な力加減で私の思考力を奪っていった。考え事をするのには向かない空間だ。今の場合、すごく良い意味で。長い時間湯舟に浸かった後のような、なんとも言えない穏やかさと気だるさ。
「醤油ラーメン、お待ち遠さまです」
ドン、と置かれたのは透き通ったスープのラーメン。具はチャーシュー、モヤシ、コーン、メンマ。麺は縮れた黄色。すごくシンプルなラーメンだ。こらえきれずに麺をすすると、頬の奥が少しぎゅーっと痛くなって、気だるくほぐれた体に出汁の味が優しく染み込んでいった。スープも麺も、正直に言えば深みなんてなくて、インスタントの袋麺くらい飾り気のない味わいだった。でも、それがすごくありがたかった。これで良いし、これが良い。私はただ一心不乱に麺をすすった。水も飲まずに、麺とスープを交互に口に運んだ。
しんどいな。今、私すごくしんどい。胸の苦しさは無くならない。ラーメンごときで無くなるはずもない。でも、景色は見えるようになった。苦しいままだけど、ちゃんと目の前が見える。こんなもんだ。なんとかこうやって、誤魔化しながら少しずつ生きていくんだ。サークルに馴染めないのも、里美ともうあんまり仲が良くないことも、全部しょうがないことだ。あぁ、つらいな。すごく、すごくつらい。帰ったら、Official髭男dismの曲を聴こう。
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