第20話 踏んだ泥水

 火曜日の午前十時、株式会社ロイヤルキャピタルに来客があった。


 代表取締役室に案内されたふたりの男は、ヨレヨレのスーツを着ている。まだ三十歳前後だが目つきが鋭く、彼らを部屋まで案内した女性社員は表情を強張らせていた。


 名前は茅ヶ崎ちがさきと山下。茅ヶ崎は亜希からストーカーについての相談を受けてこの場所にいる。茅ヶ崎の後輩である山下は、ただ巻き込まれただけのようだ。


 ソファに座る刑事と、その向かいに座る弥勒と陽世、社長席に亜希がいた。



 「それで、何かわかったの?」


 「昨日、亜希ちゃんのマンション付近で不審な男を見つけたから声をかけた。そしたら、逃げようとしたから確保した」



 昨日からストーカー被害を受けている陽世は亜希の部屋に居候している。彼女の行動を把握している人物なら亜希のマンション付近に現れてもおかしくない。


 亜希の依頼でマンション付近を見回った茅ヶ崎は挙動不審に周りをうろつく男を見つけ、声をかけた。


 逃げ出した男を確保して、亜希にはその旨だけを伝えておいた。その後わかったことを報告するために会社まで足を運んだのだ。



 「谷垣たにがき哲麻てつま、二十三歳。このビルの管理会社と契約のある清掃会社の社員だ。本人は蓮見さんの後を付けていたことを認めてる」


 「そんな・・・。どうして」



 陽世の反応は当然のものだ。彼女は谷垣と偶然会ったときに少し話すほどの仲でしかないが、先日彼が困っていたときに助けたのは彼女だ。


 恨まれるようなことはないと思っていた。



 「ただ谷垣は、あなたを付けたのは昨日がはじめてだと言っている。それも、あなたに元気がなかったようだからと心配しての行動だったそうだ。部屋の前で騒いだことも、脅迫めいた紙を郵便受けに入れたのも彼じゃないと主張している」


 「では、他にもストーカーがいると?」



 事件が解決したと思った途端に茅ヶ崎がそれを否定したことで、弥勒は頭を掻いた。



 「谷垣が嘘をついている可能性も考えられるが、話を聞く限りやつはそこまで器用じゃないし、人を騙せるほどの知能も持っていない。谷垣を悪く言うつもりはないが、嘘をつくためにも論理的な思考が必要なことは法月さんならおわかりでしょう?」


 「ええ、そうですね。私はほんの少し話しただけなので彼のことは詳しくわかりませんが」



 谷垣の言い分では、昨日話したときの陽世の様子があまりにもおかしかったので、心配になって退勤した彼女を追った。危害を加えるつもりは一切なく、何かに困っているなら助けたかった、ということだ。



 「とりあえず、谷垣は釈放した。もう蓮見さんを怖がらせることはするなと言っておいたから、大丈夫だろう」


 「問題は、他にもストーカーがいるということよね」


 「それについて、気になるものを見つけた」



 茅ヶ崎は隣で油断している後輩に目で合図をすると、山下は慌てて胸ポケットからスマホを取り出して、テーブルに置いた。


 それは動画で、聞き覚えのある怒号が室内に響いた。


 このビルのロビーでバケツを蹴ったビジネスマンが谷垣を必要以上に責めたときの映像で、誰かが隠し撮りをしていたらしい。


 人間として決して口にすることは許されないような耳に耐えない罵声を浴びせる中年のビジネスマンに向かって近づく小さな影がひとつ。


 陽世だった。


 彼女は間に入って谷垣を庇っているが、相手の男が次第にエスカレートして彼女に掴みかかる勢いで近づこうとする。それを阻止する形で彼女の前に弥勒が出て、完全に論破された男は捨て台詞を吐いてビルを去った。


 再生が終わると、山下はこの動画を発見した経緯を説明した。



 「これは先週の月曜日、SNSにアップされた映像です。この動画に映っているおふたりなら何があったかはご存知でしょう。ある人物が投稿した動画は利用者の間で広がって、一種のスカッとする動画としておすすめに表示されるほどに有名になっていました。そして、蓮見さんと法月さんをヒーローとして崇めるコメントがたくさん書かれています」



 昨今の風潮かストレス社会に投与された治療薬なのか、こういった理不尽に正義が打ち勝つ内容が人気になることは多い。そして、この動画は正しくそれだった。



 「この動画に映っている中年の男。彼の正体を特定し、SNSのページを発見しました。それが、これです」



 山下がスマホの画面を切り替えて表示したそのページには、ニューヨークのタイムズスクエアがアイコンになっているアカウントがあった。


 名前は適当につけたのかアルファベットと数字が並んだ意味のないものだが、自己紹介には『東京大学を卒業した一流商社のエリート』だと書かれてある。年収二千万円オーバーとの記載もあり、あの日あの男が言っていたことと内容は一致する。


 山下はその画面をスクロールして、実際に投稿されている内容を遡った。そこにはいろいろな写真が並んでおり、スタイルがよく露出度が高い女性やセーラー服の女子高生など、彼の趣味が見て取れた。


 そして、それらはすべて盗撮されたような画角だったが、このアカウントの主が撮ったものかは定かじゃない。


 次々とスクロールする山下の指が止まった。



 「嘘・・・」



 スマホの画面を見た陽世は恐怖のあまりに弥勒の腕に掴まった。


 その写真には、歩道を歩いている陽世の姿が映っていた。投稿されたのは先週の木曜日、陽世が誰かに付けられたと言っていた日だった。



 「それと、これも」


 「これは、金曜日の」



 別の写真には弥勒が映っているものがあった。しかし、彼は別の方向を見ていて、横顔が確認できた。そして、彼と話している心晴が弥勒の方向を見ていた。



 「この女性は誰です?」


 「天白心晴さん。取引先の、株式会社シエルの社員です」


 「念のため、この女性にも話を聞く。ちなみに、何か変わったことがあったとか、連絡は?」


 「ありません。この写真を撮られた金曜日以降、天白さんと連絡は取っていないので」


 「わかりました。山下、株式会社シエルに向かうぞ。このアカウントの人物はすぐに特定できると思う。亜希ちゃん、また何かわかったら連絡する」



 亜希が「お願い」と言うと、茅ヶ崎は山下を連れて部屋を後にした。


 「あまり無茶をしないでくれ」と正義感の強い陽世に忠告した弥勒の不安は、現実のものになった。

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