第9話 二人目の候補、または商魂たくましいおっさん1

 次の人らしき中年男性が入ってきた。ラフな格好でアンティーク店主というだけあって恰幅がいい。儲けてそうだなというのが、蛍の第一印象であった。


 いくつも持ってきたということはそれだけチェックする時間が長くなることを意味する。なるべく早く食べてしまおうと黙々と蛍は食べ続けた。


「糸井さんですか? 初めましてアンティーク雑貨ショップを開いている小沢と申します。って、同席者が多いですね。アクリル板越えして申し訳ないが、こちら名刺です」


「初めまして。糸井です。こちらは地学部の先輩とOBさんと先輩の友達です」


 先ほどと同じように七海が挨拶をしたら小沢氏はニコニコと彼女と蛍に名刺を配り、紹介を続けた。


 もらった名刺には『星空雑貨 小沢次郎』とあった。


「なんだか、どっかの悪徳政治家みたいな名前ですね」


 蛍がボソッと言って空気が凍りかけたが、美蘭と魚川が丁寧に挨拶返しをして、なんとか穏やかな空気に戻った。


「これはこれはご丁寧に。もし、探している帯留めでなくても気に入ったらご購入頂ければ幸いです。これもなにかの縁ですから、うちの店もご贔屓に」


 自分の失言が原因なのを忘れて、あの凍った空気からの立ち直りの早さや商魂逞しさに感心していた。


(美蘭、彼はなんだかおかしいぞ。気をつけろ)


(はい。何となくわかります)


(お主にも気が見えるのか)


(いいえ、蛍が反応する人やモノは何かしら普通ではないことの確率が高いので)


(そうやって、我も拾われたのか……)


「そ、それで帯留めはどんなものでしょうか?」


 七海がおずおずと尋ねると小沢氏はいくつかカバンからケースを取り出してきたが、蛍は相変わらずパンケーキを食べている。


(先輩、そろそろ撮影のスタンバイお願いします)


 後輩に小声で急かされ、ハッと我に返る。パンケーキの美味しさに目的を忘れていたようだ。

 蛍が改めて見ると候補は三つ。確かに写真の帯留めによく似ていた。


「えーと、私がルーペを持ってるので細かい部分を見て、先輩が祖母に見せるための写真を撮ります」


 七海が前置きして候補その一の帯留めのルーペ鑑定を始め、撮影にと蛍に回ってきた。確かにスマホの拡大モードで見ても、角度を変えても、キラキラしたインクルージョンがないからアベンチュリンではないのはわかる。


 慎重に撮影するまでもなく、縞模様があることからは孔雀石マラカイトという別の石なのは明らかであった。確かに緑色の良い石だが、翡翠ではない。


(七海が緑っぽい石と曖昧に書いたせいか)


 とりあえず、表と裏面とじっくり見て撮影していたが明らかに別物という気の緩みのためかパンケーキに意識が向く。しかし、ここでまたパンケーキに戻ったらさすがに後輩にまで白い目で見られると思い、気を取り直して営業スマイルで小沢氏に話しかける。


「はい、綺麗なマラカイトですね。糸井さん撮影終わったわ。ミラ兄、魚川さんにも見せてね」


 美蘭は魚川君が人間ではないとバレないように、彼は手が不自由だということにして目線の高さまで帯留めを掲げた。


「良い品でしょう、中古ながら保存状態も良かったのですよ」


 小沢氏はじっと蛍達の動向を見ている。顧客になるのかという見極めか、探している帯留めなのか値踏みしているようだ。


『ほほう、見事なマラカイトですな。いい縞模様だ』


「魚川さんも石が好きなのですね、奥様や娘さんにいかがですか」


『あいにく独身ですので』


「失礼、他にもカフスボタンやループタイなども扱ってますよ」


 断られても売り込みをするところは本当に商魂逞しい。

 二つ目の候補のチェックになった。これも綺麗な緑色の石。もしかしたら翡翠かと思わせるが、ツルッとして菊花どころか何も文様がない。七海が小さくため息をついたから名前はなかったのだろうとわかる。あとは確か安物には染色処理していると聞いたが、水で落ちるようなものではないはずだ。


 そして蛍の元へ回ってきた。スマホの拡大モードにして模様も名前の刻印もない。内包物インクルージョンがあるから天然石なのはわかるけど何の石までかはわからない。


 七海の態度でわかっていたが、翡翠かもしれない美しい色だけど、これもハズレであった。翡翠の鑑定なんてプロでも難しいらしいから誰がやっても同じだが、今回はおばあさんに見てもらうための撮影だからここは気にしないことにしている。


「うーん、綺麗な緑色だけど、何だろう? めのう? プレナイトは昭和初期にあったかなあ? まさかエメラルドだったら恐れ多い」


 蛍が不思議そうに首を傾げると小沢氏はニコニコと答えを言った。


「これはペリドットですよ。八月の誕生石ですな」


 やはり翡翠ではなかった。昭和初期に流通していたのかわからないが、ハズレなのは明らかだ。しかし、表情に出さないように、二つ目の帯留めを七海から借りて撮影し、美蘭に渡す。


『これも中古とは思えない良い品ですな』


「そうでしょう、前の方が大事にしていたので傷も少ないです。美蘭君と言ったかな? お母さんへのプレゼントとしてもどうかな」


「母は着物を着ない人なので」


 突然話を振られた美蘭は戸惑ったように答える。やはり全員を顧客にしようとしているようだ。


 そして最後の三つ目を見せてもらった。これもさっきと変わらないくらい綺麗な緑色の石。透明感がありキラキラさせるためにカボションカットの表面は多面体だ。やはり名前もない。七海もほとんどポーズでルーペで見ている。

 蛍も手に取った。綺麗ではあるがなぜだか違和感を感じた。なんだろうと考えあぐねていたが、正体に気づいた。高校生だからと騙せると思ったのだろうか。


「どうですか? これはエメラルドの帯留めです。写真を見せておばあさんへの新たなプレゼントにしても良いですよ。これらは本来は五万円ですが特別に値引きしますから」


「えっと……」


 七海はこういう押しに弱い。もし一人で来ていたら買わされてしまうのではないだろうか。


「先程も言いましたが、糸井の祖母に確認を取るので本日は買えません。高価なものを未成年に買わせるのは保護者の同意も要りますが、今回はその必要もないです。特に最後のエメラルド、偽物ではないですか? エメラルドも加工はしますがそれにしては綺麗すぎます」


 蛍が言うとスマホで検索していた美蘭も助け舟を出す。


「マラカイトの中古が大体三万円、ペリドットは小さい石を組み合わせた細工ならともかく、この大きさならもっと高いはずです。エメラルドも同様。これで五万円は安すぎます」


 よし、と蛍は心の中でガッツポーズを取りとどめを刺しにいく。


 最後に魚川が畳み掛けた。


「それに三つ目は先ほど美蘭君に頼んでルーペで見てもらったが、蛍君の言う通り内包物インクルージョンが無さすぎると。

 合成でしょうかね。そもそも昭和初期は合成エメラルドを作る技術は出来てない。合成エメラルドが作られるようになったのは戦後になってからじゃ。それでもインクルージョンや傷が無いと見破られるから、偽装するためにわざと傷を付けるらしいの。

 おっと、出しゃばりすぎました。では、糸井さんからの連絡を待ってもらいましょうか」


 小沢氏は気まずそうに商品を戻し、去っていった


『すごいのう、蛍は。わしもなんとなく不自然な綺麗さと何というか雰囲気で偽物とは思ってたが』


「先輩、助かりました。下手すると数万円で偽物を買わされるところでした。ところでエメラルドの加工って何をするのですか?」


「簡単に言えば天然エメラルドは傷やインクルージョンが多いからオイルやは樹脂を染み込ませて傷を隠すの。でも、あれはクリア過ぎた。加工品でも傷は見えるの。だからガラスだろうね」


「先輩、すごいです!」


 七海がキラキラした尊敬のまなざしで蛍を見る。しかし、次のセリフでキラキラは無くなる。


「確実に本物が欲しいなら自分で採掘だろうね。エメラルドは国内でも少し採れるし。でも、帯留めクラスは無理かなあ」


「え? あ、はあ」


 七海は戸惑い、美蘭は『またこいつは』とあきれ顔をし、魚川君も笑いをこらえている。蛍だけ何か変なことを言った自覚がないのか不思議そうに首を傾げていた。

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