2-4.

『身体の伸縮』という能力を、考えなしに使っているウエダは、どんなに恵まれた能力を持ったとしても確実に弱い。Sランクを捕えたという話は何かの間違いではないのか? しかし記録としてそれが残っているから、あの張り紙にはそう記されているのだ。

 もしかしたら、純粋に戦闘をして捕えた訳ではないのかも知れない。囮、人質、交渉、罠――、その類。そういう策を用いたのならば、成程、あり得ない話ではない。


 恐らく、イチイも同じ考えに至ったのだろう。文字通りにいとも容易くウメナを吹き飛ばしながら、彼は凶悪な笑みを浮かべ、

「お前らみてーなザコがSランクなんか捕まえられる訳ねーだろ! どうせ汚い手でも使ったんだろ糞ザコがコラァ!」

 続いて巻き上げられた砂利が、地面に横たわるウメナの体に銃弾さながらに突き刺さる。

 わずか三分――。喧嘩の決着としては、あまりにも早いと思う。


「…………」

 なんの余韻も、達成感もない。呆気ないとはこの事だった。僕らが踵を返して校舎へ戻ろうとした時、アセビが慌てた表情で飛び出してきた。

「どうした、もう終わっ――」

「待って! まだ――、まだ!」

 イチイの言葉を遮って、アセビが真っ直ぐ指差した先には――、立ち上がったウエダがいた。

「……おや」

 僕は振り返って、彼に正面を向ける。


「……糞っ垂れが、ナメてんじゃねえぞオイ」

 鼻血を垂れ流し、折れた前歯を見せながら、ウエダがそう言った。相変わらず目は充血し、手足は震えている。その震えた手に、ピルケースのような容器を持っていた。そこから摘み出したアレは――、なんだ? 小さくて良く見えない。とにかく何か小型の物を、口に含んだ。

 嚥下し、ウエダは笑んだ。血塗れの顔が形作る笑みは、あまりにも狂的だった。まるで鬼か、悪魔。僕とイチイがその凶悪さに思わず怯んだその瞬間、僕の顔面目掛けてウエダの拳が伸びた。

「――ッ!」

 速いッ! なんだこの速度は! なんとか体を沈めて避ける事に成功したが、先程の一撃とは段違いの速度だった。

「シクラッ!」

 アセビの悲鳴のような声が僕の耳に飛び込んできた。「なんだ」と聞くより先に、僕の後頭部に衝撃が加わった。

「が……ッ!」

 脳が揺れる。一瞬、意識が現実からブレた。倒れ伏す体をなんとか両腕で制し、背後に振り返った。しかし、そこには何もない。僕の頭を打ったであろう物体は、どこにもなかった。

「シクラッ、前ッ!」

 またしてもアセビが悲鳴に似た声を上げた。言われた通りに前を見、僕の視覚が捉えたのは、地面スレスレから伸びるウエダの右拳だった。

「――――」

 意識が吹き飛びそうな衝撃。顎を撃ち抜かれたのだ。体を仰向けにひっくり返された事で、僕はその衝撃の強さを他人事のように把握した。

 糞ッ、呼吸が苦しい、吐き気がする。僕は顔をしかめたまま、口を何度も開閉して喘いだ。


 どういう事だ。ウエダの能力は『身体の伸縮』だ。つまり一度放ったらその方向にしか伸びず、そして真っ直ぐ縮み、身体へと戻る――その筈だ。しかし僕の顎を貫いた拳は、地面を擦るようにして、U字型に伸びたのだ。直線が、曲線を描けるようになっている。ならば後頭部を襲ったのは彼の拳で、僕を通り過ぎた後に同じようにU字を描いて、僕の頭を叩き付けたのか。

 能力が変わっている――? いや、元の能力を残したまま、進化している? 突飛な発想に頭が付いていかない。しかしここまで思考出来るのなら、僕の脳震盪は軽いものなのだろう。相変わらず吐き気はキツいけれど。


 打撃音が耳に入る。続く、アセビの悲鳴。見れば、イチイの周囲に砂利を巻き上げた黒い竜巻を幾つも発生させていた。しかしその竜巻の隙間を縫ってウエダの拳が縦横無尽に乱れ飛び、イチイを乱打していた。

 風に舞う砂利に腕を切り裂かれながらも尚、ウエダは哄笑を上げて、イチイを殴り続けた。

「ザコがザコがザコがザコがザコがァあああッ! 俺の方が強い俺の方が強い俺の方が強いィいいいッ! ぃひひはひひひゃひはひゃあああッ!」


 狂気――。それ以外の言葉が見つからない。


 僕はゾッとしながらも、頭を押さえてなんとか立ち上がる。頭痛と眩暈でどうにかなりそうだ。無理矢理に集中して、能力を行使する。目を閉じ、自分の眼球がウエダに突き刺さる様をイメージして、伸ばした右手の人差指と親指をクルリと回す。

 再び目を開けた時に映るのは――、なんだ、コレは。

 僕はウエダと視覚を入れ替えた。ならば今見えているこの光景は、ウエダの物なのだが……。

 ウエダの視覚は殆ど機能していなかった。視力が著しいまでに低下していたのだ。周りの景色全てが霞んで消え、網膜から出血しているのか、視界が赤く染まっている。そんな中でも、イチイだけは良く見えた。そう、彼だけが妙にハッキリと見えたのだ。


 こんなまともでない視界でも、急激な変貌には驚くらしく、ウエダの体がビクリと飛び上がり、固まった。

「イチイッ! 風圧で地面に押さえ付けろッ!」

「糞がナメやがって糞糞糞ッ!」

 返事代わりの悪態が返って来た。イチイが打撲だらけの両腕を広げ、その手の平に集まった風が射出される。上空から襲い掛かるその風に圧され、未だ困惑の中にいるウエダが地面に崩れ落ちた。

「ぐうう……ッ」

 くぐもった声が風の合間から聞こえた。僕の視界は相変わらず真っ赤で、強い怒りを思わせた。風圧が強くなるにつれ、やがて視界が黒く染まった。ウエダが意識を失ったようで、僕は視界を元に戻した。


 僕は大きく息を吐き、頭を抱えて地面に座り込んだ。ああ、頭が痛い……。

「シクラ、大丈夫?」

 アセビが僕の背中を擦る。その優しさに涙を流しそうになったが、

「イチイのところに行ってやってくれ……」

 顔を上げずにイチイを指差した。アセビは「うん」と頷いて、イチイの下へと歩いていった。

「うわあ、痣だらけ……」

 呻き声のような声でアセビが言った。介抱しようにも、彼の体のどこを触ればいいのか迷っているようだった。

「ああ、糞。糞が……ッ」

 悪態が止まらない。喧嘩を収めたとは言え、イチイの怒りは治まらないようだ。彼の事はアセビに任せ、僕は別の思考を始める。


 しかし、どういう事だろう。ウエダの能力が変化した。『伸縮』の筈が、『操作』とも言える能力に変わった。あの拳の動きはそういう事だろう。自分の身体を自由に操作出来る能力。伸縮もその内の一つ。ウエダをあのままにしていたら、一体どうなっていたのだろうか。

 操作……。操作と言っても、ゲームコントローラーのように方向指示だけなのか、もしくは体組織まで操作出来るのだろうか。どちらにせよ、彼の能力はあまりにも未知数で、相手をするには不利過ぎる。


 奴がそうなった切っ掛けはなんだった? ――そうだ、何か錠剤のような物を口に含んでからだ。アレはなんだ? 能力を底上げするドーピングのような物か? そんな物、噂にも聞いた事がない。そもそも『能力』についてほとんど解明されていないのに、それに処方される薬が存在するのか? ああ、ダメだ。頭が朦朧としてきた。


「おい、お前ら! 動くなよ!」

 怒号。振り返ると、生徒会と風紀委員のメンバーが駆け付けていた。恐らく喧嘩を見物していた生徒の誰かが彼らを呼んだのだろう。アセビ以外の五人はそれぞれ保健室に運ばれた。


 多くの謎を残したまま、僕らはその場を後にする事になった。

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