第281話:懇願

 マイオルは一度足を止めたセネカたちが再び動く森の中に突貫する様子を見ていた。

 胸に渦巻く気持ちを言葉にすれば、それは『悔しさ』だった。


 前線にいるのはニーナ、プルケル、ケイトー、セネカ、ルキウス、ファビウスだ。


 先頭のニーナは[閃槌]という高速打撃のスキルを連発していて、後のことは考えずひたすらに前進している。


 その少し後に続くプルケルも同じだ。[帯雷]と[雷装結界]という出力の高い能力を発動して進みながら、雷の魔法も使っている。


 セネカたちはその後ろで力を溜めながら、時が来たらそれを爆発させようと構えている。


 マイオルの近くにはメネニア、ストロー、モフ、ガイアがいる。


 メネニアはキトが作った薬を放つのに集中しつつ、時折回復魔法を送っている。ストローとモフは魔法でみんなの進行を助けながら、大技を繰り出す機会を探っている。


 そしてガイアは魔力ポーションを飲んでじっと魔法を放つ機会を待っている。ガイアの魔法が切り札になる局面だった。


 そんな中で、マイオルはただ【探知】をしながら、みんなを応援しているだけだ。


 矢を放つことくらいはできるのだが、今の局面で意味がありそうには思えなかった。薬を撒く魔具も使えないし、前線で強引に進むほどの能力はない。


「分かってはいたけれどね」


 みんなに指示を出しながらも気がついてはいた。補助をするつもりだったけれど、それすらも難しい局面になった。


「壁になるつもりで前線に行けば良かったかな」


 誰にも聞こえないように口に出す。


 突撃隊に自分を入れて、前線での指揮を取っても良かったし、みんなの盾になっても良かった。だけど、そうしない方が良いと判断したのだ。


 前線に目を移すと、先頭を走っていたニーナが倒れ、次いでプルケルも止まるのが見えた。攻撃を貰った様子はないので単純に限界が来たのだろう。


 今度はケイトーが先頭に立って、凄まじい勢いで進んでいる。もう少しで樹龍の元に辿り着きそうだ。


 ストローが魔法を使ってニーナとプルケルをこちらに運び始めた。地面が少しだけ盛り上がっていて二人が乗っている。うまく方向を調整することで何とか攻撃を避けている。


 マイオルは二人を介抱することに決めて、これまたストローが作った高い丘を降りようとした。だがその時、少しだけ胸が疼くのを感じた。


 それはまるでスキルが『自分を使え』とでも言ったかのような不思議な疼きだった。


 マイオルは信じている。

 人の無意識のさらに奥には未知の領域があって、そこから[しるべ]の情報がやってくるのだと。

 それは精霊や神様の力ではなくて、きっと自分の中の上澄みから生じたものなのでないかと。


 マイオルはスキルと一体化する心象を頭に浮かべた。

 心の中の奥にある扉を開き、そこに魔力を注ぐ。

 そして静かに呟いた。


「[導]」


 見えて来たのは、必死で仲間の元に走る自分の姿だった。

 一つだけ意外なものを持っていたけれど、それ以外はいつもの見飽きた自分だった。


 マイオルは足を止めてみんなに言った。


「あたし、みんなのところに行ってくる」


 みんなが深く頷くのが見えた。


「ガイア、指揮をお願いね」


 そう言うとガイアは笑った。


「あぁ、行ってこい!」


 誰も「何故?」とか「何をしに?」とは言わなかった。


 それを喜んで良いのか、おかしく思って良いのか、マイオルはちょっとだけ複雑だった。


「……セネカに似てきたのかしらね」


 そんなことを言いながら荷物を漁り、マイオルは足を踏み出した。


 セネカ達が森を破り、樹龍の前に飛び出したのが見えた。





 森の攻撃が弱まり、樹龍の姿がはっきりと見えた頃、ケイトーが言った。


「あと一撃で限界だ」


 セネカはケイトーを追い越し、魔具を構えた。そして空気を縫って樹龍に近づき、薬を発射した。


 樹龍は浮いてこちらを見ていたけれど、特に動く気配はなく、その身に劇薬を受けた。


 しゅーっという音とともに樹龍の鱗が崩れ、皮膚が見えた。まるで皮を剥いだ後の木のように白かった。


「[瞬歩]」


 ケイトーがサブスキルを発動したのが分かった。さっき[豪撃]と[破壊]を使っていたので、三つの能力が重なっている。


 ケイトーの斧槍が輝きを放ち、樹龍の露出した皮膚に直撃する。ボグッと音がなり、樹龍の体が凹んだ。傷もできている。


 セネカは身体に感じる光を自分に縫い付け、髪留めにした[まち針]で固定した。纏いの力が発動する。


「ルキウス!」


 チラッと見ると、ルキウスはすでに【神聖魔法】の魔力を漲らせていて、剣を構えていた。そしてケイトーを青白い魔力で囲ってからセネカの隣にやってきた。


「さあ、戦おう! 僕らの力を示す時だよ」


 ルキウスは小刻みに剣を揺らしていた。月詠の国での修行のおかげで、ルキウスが何かを斬っているのが分かる。


「僕はプラウティアさんを探す!」


 ファビウスも行動を始めた。確かにプラウティアの姿が見えないが、ひとまずファビウスに任せることにする。


「……俺は離れる」


 ケイトーはゆっくりと後退するようだ。


 セネカは軽くなった身体で即座に動き、樹龍の傷口に攻撃を加える。

 傷にはすでに芽が生え始めてたので、それを針刀で刈り、針を奥に突き刺した。

 手応えは堅かったけれど、全力で押し込むと柔らかい部分に到達した。


「セネカ、下がれ!」


 ルキウスの声を聞いてセネカは逃げた。

 すると樹龍は身を捩り、くるんと回って尾での攻撃を始めた。


【信と力を見せよ】


 樹龍はふわふわと浮きながらも体を機敏に動かし始めた。

 ここまできて、やっと樹龍に敵と認定されたのだとセネカは感じた。


「当たったらまずいね。とにかく攻撃を避けながらキトの薬をかけて傷口を広げよう」


「分かった」


 ルキウスがスキルで浮き上がったのを見て、セネカも大きい[魔力針]を出して乗った。


 光を纏った影響か針の操作性は高く、これまで以上に素早く動くことができる。


 それからは激しい空中戦が繰り広げられた。全力で樹龍の攻撃を躱しながら鱗を溶かし、最大級の技を放ち続けた。


 傷を付けることはできた。血を出すこともできた。

 けれど、それ以上の成果は得られず、力が尽きる時が近づいていた。


 ガイアの魔法と合わせられれば効果がありそうだったが、樹龍は速く、何とかして動きを止めなければならなそうだった。


 一時退避のために地上に降りようとした時にファビウスの声が聞こえてきた。


「プラウティアさんが見つかった。けれど、大きい木の実の殻に閉じ込められているんだ」


 樹龍と戦いながらどうやってプラウティアを外に出すか。セネカがそう考え始めた瞬間に突然それは来た。


【信と力を見せよ】


 樹龍の体から何かが出てきたと感じた後にセネカは立てなくなり、そのまま地面に倒れ込んだ。


 身体を見ると、いくつもの芽が腕や足から生えてきていて、恐ろしい早さで成長していた。


「魔力がうまく使えない」


 ルキウスが言った。セネカもなけなしの魔力を使おうとしたけれど、うまく魔力が動かなかった。


「芽に力を吸われているみたい……」


 力も入らない。周囲を確認するために少し体勢を変えるのが精一杯だった。


「僕は比較的大丈夫みたいだ」


 上から声が聞こえてきた。なんとか顔を上げるとファビウスは立っていて、盾を構えていた。


「偶然避けられたみたい」


 身体から芽がいくつか出ているのが見えるが、それだけなら動くことぐらいはできるようだ。盾で防いだ分もあるのだろう。


 セネカは何とかスキルを使えないかと魔力を動かす。芽に力を奪われないように必死に制御するがどうにもできない。むしろ動かせば動かすほど吸い取られるような気がする。


 樹龍がゆっくりこちらに近づいてくるのが見える。その顔は獰猛で、仕留めに来ているような雰囲気があった。


 樹龍が近づくにつれて芽の成長も早くなる。気づけば苗木くらいの大きさになっていて、倦怠感も増している。


 声を出すのもつらいが、大事なことは伝えなければならない。


「ファビウス、プラウティアを……」


 声は掠れてしまったけれど、ファビウスはゆっくりと前に進み出した。

 神話の生物にたった一人で対峙しようとするファビウスの姿は勇ましかった。


「セネカ、魔力を静かに動かすんだ……」


 ルキウスの声が聞こえてくる。セネカは力づくで突破しようとしていた流れを弱め、薄く細くなるように意識した。するとほんの少しだけだけど、スキルを使えることが分かった。


 セネカはゆっくりゆっくりと糸を出してルキウスの方に延ばす。その行為に意味があるのかは分からなかったけれど、いまは繋がりが欲しかった。


「かかってこい!!!」


 ファビウスが叫んでいる。そのくらい猛らないと樹龍の前に立っていることさえ出来ないのだろう。


 はやくはやくはやく……。セネカはそんな風に思うけれど、糸は延びてくれない。カタツムリのように、植物のようにゆっくりだ。


 突然の空から土砂が降り注いできた。ストローの魔法だった。出力を見るに全力に近くて、次の魔法はなさそうだった。


 樹龍はぷかぷかと浮きながらも土砂をその身に受けて、ちょっとだけ高度を落とした。だけどそれだけだった。


「[複製]、[複製]、[動的防御]! 」

 

 ファビウスはサブスキルを連続で使った後、樹龍には見向きもせずに違う方向に走り出した。


 すごく見づらかったけれど、その先にはどんぐりのような形をした大きな何かがあった。あの中にプラウティアがいるのだろう。


 セネカは身体がほんの少しあったかくなるのを感じた。効果はとても小さいけれど、メネニアの回復魔法だと感覚的に分かった。


 しかし、回復魔法は身体から生える植物に吸われてしまった。


 その様子が分かったのか次の魔法がやって来ることはなく、代わりに樹龍とファビウスの間に分厚い防御膜が出現した。


 続けて、樹龍のところに何かが当たったかと思えば鱗が溶け、【砲撃魔法】が炸裂した。

 樹龍の体は抉れたけれど、すぐに傷は塞がってしまった。


 樹龍は何事もなかったかのように平然とファビウスの元に向かっている。


 セネカは痺れを切らしそうになりながらもゆっくりゆっくり糸を延ばす。もう少しでルキウスのところに到達するはずだ。


「壊れろっ! 壊れろぉ!」


 ファビウスが大きなどんぐりを斬りつけている。だがかなり堅いのか刃が弾かれてしまっている。


 樹龍はメネニアの防御膜を尻尾で軽く振り払い、また少しファビウスに近づいた。


「セネカ!!!」


 マイオルの声が聞こえてきた。幻聴かと思ったけれど、猛烈な勢いで走って来る音もしている。


 すぐにマイオルの姿が見えて来た。セネカは叫びたい気持ちになったけれど、ぐっとこらえてマイオルの動きを見つめた。


 マイオルはそのままセネカたちのいる場所を超えて、樹龍の前に立ち塞がった。けれど、樹龍の体が少し光ったかと思った瞬間倒れ込んだ。そして、身体から芽が生えてくるのが見えた。


 倒れ込むマイオルは何故かプラウティアの木剣を持っていた。


「壊れてくれ! 壊れてくれ!」


 ファビウスの懇願するような声に胸が熱くなる。そして、それ以上に果てしないほどの悔しさが湧き上がって来る。


「何とかしないと……」


 そんな呟きを吐いた時、糸がルキウスに到達するのが分かった。


 普段と使い方が違うからか、それとも必死だからなのか、自分とルキウスの力の根源が分かったようにセネカは感じた。


 二人の『断つ力』と『繋ぐ力』を組み合わせれば途轍もないことができる。そんな確信が芽生えたが、同時に深い絶望も感じてしまった。


 それを為すには自分たちはまだ未熟で、時間も必要で、プラウティアをいま助けるには遠すぎるとセネカは悟ってしまった。


 力が吸われていく。

 涙が溢れてくる。

 だけど、セネカは諦めなかった。


 スキルに願いを込める。

 自分が一番叶えたいことは何だっただろうか。

 どうしても譲れないことは何だっただろうか。


『大切な人を守り、自分も生き残るような強さが得られますように』


 そんな想いをスキルに届けた時、ルキウスとセネカを繋いでいた糸が赤くなった。

 突然ちぎれた糸は風もないのにふわふわと浮いて、プラウティアとファビウスの元に飛んでいった。


 だけど、いくら待っても何かが起きることはなかった。


「まだ終わりじゃない!」


 ファビウスは木の実を壊すことをやめ、近づいて来る樹龍に剣を向けた。


 セネカはあの糸が何かを起こしてくれるのではないかと願うけれども、ファビウスに何かが起きたようには思えなかったし、プラウティアがいる木の実も変わった様子はなかった。


 キトの薬が絶え間なく樹龍に放たれている。お陰で鱗はなく、攻撃できる場所はたくさんある。


 ファビウスは樹龍に何度も何度も剣を叩きつけているけれど、必死でつけた傷もすぐに治ってしまう。


 そしてついにはファビウスの勢いは少しずつ弱まってゆき、次第に樹龍に傷すらつけられなくなってきた。


 樹龍はまた何かを発射したと思えば、ファビウスの身体から芽が出てきて、ファビウスはすぐに倒れ込んでしまった。


 セネカの身体から出ている植物も、もうほとんど木になっていて、幾つもの枝が融合して一つになろうとしている。


 樹龍がゆっくりと腕を振り上げているのが見える。


 ファビウスは必死にもがいているけれど、やがて動けなくなってしまいそうだった。


「プラウティアさん。僕はあなたを愛しています……」


 ファビウスは泣きながら手を広げ、樹龍のことをまっすぐ見つめていた。


 ファビウスはこんな状況になってもプラウティアを守り、そして愛を伝えようとしているのだ。


 セネカの目から涙がたくさん湧き出てきた。

 そんなファビウスを見て、セネカは決して目を離さないと心に誓った。


 樹龍が鋭い爪の生えている腕をファビウスに向かって振り下ろすのが見える。

 セネカは最後の力を振り絞って立ちあがろうとしたけれど、それは叶わなかった。


 時間がゆっくりと流れてゆく。


 何も聞こえないはずの世界で、突然微かな音が生じた。

 ぼやけて見える視界の中で何かが動いている。


 それが見えるのはファビウスの後ろからだ。

 上部は赤くて、白さがあって、そして大きくない。


 セネカにはそれが何か分かっていた。

 涙で視界が歪んでも見間違えるはずがなかった。


「【植物採取】」


 声が聞こえるのと同時に、大きくて鋭い樹龍の爪が無くなった。


 プラウティアは大きく手を広げて、ファビウスの前に躍り出た。

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