第170話:怯え

 空に闇が広がって月が顔を出すのをプラウティアはじっと見つめていた。隣にはファビウスがいて、彼も同じように空を眺めている。


 二人はトリアスの近くにある丘にいた。地元出身のファビウスに誘われて、二人でやってきたのだ。途中、冒険者でもないと越えるのが難しい場所を通ってきたので、人は入って来なさそうだった。


 二人は夕日を眺めるためにこの場所に来ていたはずだったけれど、日が沈み、月が出てきてもここを離れる気になれなかった。


「追悼祭の二日目ももう終わりだね」


 ファビウスが言った。それはプラウティアに向けられた言葉というよりは、まるでひとりごとを言っているかのようだった。


「うん。終わりだね」


 明日プラウティアは追悼祭三日目の行事に参加する。そして『月下の誓い』のみんなと共に閉幕を見届けてから彼女たちと王都に帰ることになっている。

 つまり、ファビウスとこうしてゆっくりしていられるのも今日までなのだ。今日の終わりは、二人の関係が終わることを意味しているとプラウティアは思っていた。


「僕、強くなるよ」


 ファビウスが言った。プラウティアは「もう十分強いよ」と言おうとしたけれど、すぐに口をつぐんだ。


「もしかしたらプラウティアさんはこれが最後だと思っているかもしれないけれど、そんなことはないよ。『月下の誓い』に戻っても困った時は僕に助けを求めて欲しいんだ」


 そう言うファビウスの顔をプラウティアは見ることができなかった。ありがたい言葉だったけれど、素直に受け取れない。


「僕は強くなる。君がどんな窮地に陥っても必ず助けられるように強くなるんだ」


 ファビウスは自分に言い聞かせるように繰り返す。なぜファビウスがそこまで強さを求めようとしているのかプラウティアには分からなかった。


「私はファビウス君に相応しくないよ」


 それが正直な気持ちだった。好きで仕方がなくて、いつか結ばれたら幸せだと思っていたけれど、ずっと自分には分不相応だとしか考えられなかった。


 プラウティアの言葉を聞いてファビウスはしばらく黙っていた。しかし、プラウティアの顔を覗き込むような仕草をした後で言った。


「プラウティアさんはずっと何かに怯えているよね。だからなのか、無意識のうちに人から距離を置くような所がある気がするんだ。まるで自分は幸せになっちゃいけないと思っているみたいだって、実は前から思っていたんだ」


 予想外のことを言われてプラウティアはついファビウスと目を合わせてしまったけれど、その綺麗な目に魅入られる前に顔をそらした。


「僕の推測だけど、プラウティアさんは自分のスキルを恐れているんじゃないかな」


「そ、それは……」


 プラウティアはビクッと身体を震わせた。ファビウスの考えが間違っているものではなかったからだ。


「驚かせてごめんね。きっと誰にも知られたくないことだったと思うんだけれど、なんだか分かっちゃったんだよね」


 ファビウスは苦笑いをした。プラウティアはそのままファビウスに想いを打ち明けてしまいたい気分だったけれど、なんとか堪えた。


「プラウティアさん、僕は強くなるよ。君の怯えの正体がはっきりと分かった訳ではないんだけど、それを安心して言って貰えるくらいには、僕は強くなりたいんだ」


 ファビウスの声は優しかった。そんな風に言われてプラウティアは切なくなり、我慢できなくなってしまった。


「私も……私もファビウス君が困ったら必ず助けに行くから! それくらいに私も強くなるから!」


 その言葉はファビウスが聞きたい言葉ではないとプラウティアには分かっていた。でも自分の弱さを想い人にさらけ出せるほどの強さはまだ持っていなかった。


 あるのはファビウスに対する強い気持ちだけだ。プラウティアはなけなしの勇気を振り絞ってファビウスの手を握った。すると、ファビウスにその手を引き寄せて、プラウティアはファビウスの胸におさまった。


「ありがとう、プラウティアさん。君と会えて本当に良かった」


「私もファビウス君に会えて本当に良かった。自分のことを認められるようになるくらい強くなるから、待っていて欲しいの」


 ファビウスの胸の中でくぐもった声を出しながら、プラウティアは頬を涙で濡らした。ファビウスはそんなプラウティアの頭をゆっくりと撫でてくれた。


 プラウティアが泣き止むと二人は手を繋ぎ、ゆっくりとトリアスの街へ帰って行った。

 そして二人はそれ以上多くは語らず、それぞれの道を進むことにした。



 プラウティアは自分の未熟さを受け入れられるほどの強さが欲しいだけだった。

 自分のスキルに抱く気持ちも漠然としたもので、もしかしたらそれは自尊心の低さから生じているのかもしれないと考えることもあった。


 だから自分の怯えが本当に実体のあるものだったなんてこの時は考えもしていなかった。





 すさまじい速さで空を駆ける円盤があった。その円盤は銀色をしていて、夜だというのに少し光っている。


 中にいるセネカとルキウスとピューロは、目をつぶりながら無言で座っていた。

 数日前までセネカとルキウスは能天気に空の旅を楽しんでいたはずなのだが、気まぐれでピューロを手伝ったところ、逃げられなくなってしまったのだ。


 円盤をよく見ると、そこかしこに太い針が付けられており、わずかではあるものの推進力となっている。それに周囲は聖なる魔力で覆われており、こちらも少しずつ魔力が噴出されて円盤を進めている。


 セネカにとっては遊びだった。つい出来心で円盤の底に針をつけて、いつもの要領で発射してみたら速度が多少上がったのだ。

 大した効果がある訳ではなかったのだが、今は追悼祭の閉幕に間に合うかの瀬戸際なので、ピューロが必死に頼み込んできたのだ。


 それを見たルキウスも、これまた軽い気持ちで【神聖魔法】の補助をしたら非常にありがたがられたので、ノリで手伝うことにしてしまったのだ。


 だが、いざやってみると中々に不毛な操作であった。そもそも二人にはピューロほどのやる気はなく、何としてでも時間を詰めたい訳ではなかった。それなのに、円盤を押すために四六時中集中して制御しなければならなかったし、魔力も減っていく。

 それだけ頑張って大きな効果があれば良いのだが、無いよりは良いという程度で、セネカには結果に大きく影響を与えるようには思えなかった。


 やめてしまおうかと何度も思ったけれど、頑張るピューロを見ると言い出しづらく、結果的に三人とも無言で円盤を進めることになってしまった。

 

「閉幕に間に合いさえすれば言い訳できる閉幕に間に合いさえすれば言い訳できる」


 たまにピューロがそうつぶやく。もはや何と戦っているのかは分からないが、必死なのでセネカもルキウスもあまり話しかけることはなかった。


 たまに小休止を取ったけれど、それ以外の時間は進むことに力を費やし、三人はボロボロになりながら空を進んでいった。

 そうしているうちに追悼祭の一日目が終わり、二日目が終わり、三日目に入ってしまった。

 そして日が沈もうとしていたとき、久しぶりにはっきりとした声色でピューロが叫んだ。


「ロマヌスに入った!!! トリアスまでもうすぐだ!!!」


 うつろになっていた三人の目にやっと生気が戻った。


 再会の時は近い。

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