第167話:癒の儀
マイオルとキトはトリアスの中心にある広場で儀式が始まるのを待っていた。
広場の真ん中には大きな舞台があって、大勢の人が聖女の登場を待っている。
舞台の上には誰もおらず、いくつもの蝋燭が置かれているだけだった。
午前中はここで国王や教皇が式典を行っていたので豪華に飾り付けられていたはずだが、それはもう片付けられてしまったようだ。
マイオル達は早めに来たので集団のかなり前の方にいる。日没が近づくにつれて人がどんどん集まり、空が赤くなった今、広場が人で埋め尽くされていた。
二人は「人増えてきたね」とか「そろそろ街のランタンに火が灯るのかなぁ」と中身のない話をしながらボーッと立っている。
たまに後ろから押されることもあるのだけれど、冒険者の装備を着けているマイオルがちょっと目を向けると謝られることが多かった。
そんな風にしていると突然周囲がざわつき出した。近くの人を見てみると、空を見て指さしている人がいる。
その指先を辿ると赤焼けた空の中から降りてくる人の姿があり、「聖女様だ!」と誰かが言った。
聖女はまるで天からの階段を降りてくるかのように悠々と歩いている。
もう七十歳を超えているはずなのに足取りは軽く、遠目にも優雅そうに見える。
マイオルは【探知】を発動させた。すると聖女の魔力反応だけでなく、はるか上空にゼノンの反応もあった。聖女が空を歩いているのはゼノンのスキルのおかげなのだろう。
昨日マイオルは少しだけグラディウスに会う機会があった。モフの顔をグラディウスが見にきたついでに話しただけなのだが、その時にこの儀式が始まったらスキルを全開にするように言われたのだった。
マイオルはグラディウスに言われた通り、範囲を最大限広げた。膨大な情報が頭に入ってくるのを防ぐために、【探知】するのは魔力だけだ。特に聖の属性が強いものだけに限定すると、かなり情報が絞られる。
際立って強い聖の反応が二つある。一つはもう少しで舞台に降り立ちそうな聖女のもので、もう一つはギルドの奥にいる様子の教皇のものだった。
マイオルはルキウスの魔力を探ったこともあるけれど、この二人とは随分性質が違っていたように思う。
聖女の魔力は大河のように泰然としており、教皇は絹のように綿密で滑らかだ。二人とも前線で戦うタイプではないのでルキウスと違うのは当然なのだが、マイオルはなんだか驚いてしまった。
「それでは癒の儀を始めます」
そして聖女が地に降り立つと同時に、舞台の横にいた神官の声が響き渡った。
◆
聖女フィデスは集まった人々をゆっくりと見ていた。彼女の目は碧くきらめき、潤んでいるようだ。
フィデス自身は滅多なことでは泣かないのだが、この目のおかげで『涙を溜めている』と言われることが多い。
最初にそんなことを言い出したのは若き頃のグラディウスで、彼がフィデスに泣き虫聖女というあだ名をつけたのだ。
元々は正反対の性格のフィデスを仲間内でからかう言葉だったはずなのに、いつのまにか聖女は繊細で心を痛めやすいということになってしまった。
何故か否定すればするほど勘違いする人が増えるので、フィデスはいつからか何も言わなくなった。
フィデスはこれまでにこの癒の儀を数えられないほど行ってきた。
儀式といえば聞こえは良いのだが、実際は大規模な魔法をぶっ放すだけだ。明確な手順も方法もありはしない。その時の気分で魔法を使うのだ。
フィデスは【神聖魔法】の力を帯びた魔力をゆっくりと放出し、拡散させ始めた。
霧のように、波紋のように、川のせせらぎのようにと想いを込めているうちにトリアスの街全域を青白い光が包んだ。
この魔力には癒しの力が込められている。肉体にも効果があるが、特に効果を発揮するのは精神に対してだ。
未だにスタンピードの衝撃に心を痛めている人は多い。フィデスの魔法では心を完全に癒すことはできないが、穏やかな時間が増えることは間違い無いだろう。
フィデスは癒の聖女と呼ばれている。それを誇りに思うこともあったけれど、やはり癒しとは後手の手段でしか無いと考えることも多い。
万能の【神聖魔法】を使って攻撃することはフィデスにも可能だが、彼女が一番役に立つのは誰かが傷を負った時だ。
フィデスが必要になるのは事が起きた後であって、前ではない。癒しが必要になる状況すら変えてしまうことはフィデスには出来なかった。
舞台の上からトリアスの人を見るとみんな思い思いの顔をしていた。
驚く者、喜ぶ者、悲しむ者……全員違っているのがよく分かる。
そんな中で一人だけ、食い入るようにフィデスを見つめる少女がいた。金に近い髪色のその子は、フィデスから何かを得てやろうとでも思っているのか必死の表情だ。
魔力の気配からフィデスは彼女のことを思い出した。ルキウスの幼馴染の仲間に面白い子がいるとグラディウスから聞いていたのだ。
グラディウスによれば、あの子は昔のフィデスにそっくりなのだという。思い詰めたような顔を見て、確かにそうなのかもしれないとフィデスは思った。
「あたしはあんなに勤勉じゃなかったけどね」
誰にも気づかれないようにそう言った後で、フィデスはマイオルのところだけ、聖属性の濃度を高くした。
それに気づいたのか、少女はつぶらな目を見開いてこっちを見ている。
「あたしに出来るのはこのくらいだね」
助けてあげたいという気持ちがフィデスにはあった。かつて先人達と自分を比べ、自分はただの器用貧乏なのでは無いかと悩んだフィデスには、マイオルの気持ちがよく分かった。
だが教会の情勢的に今フィデスがルキウスの仲間に肩入れしているのがバレたら非常にまずい。だから出来るのはこれくらいだ。
「聖属性ってのはこうやって使うんだよ」
フィデスは己の神なる部分に祈りを捧げる。誰しもその内では神と繋がっているものなのだ。
スキルを通して人は神を知る事ができる。
フィデスは胸の前で手を組み、街中に漂っている魔力に働きかけた。
すると漂っていた魔力が強い光を放ち、辺りをまばゆく照らす。
光は一点の曇りなく瞬き、赤かった空を青白く染め上げた。
「今は苦しくても、きっと後からあれで良かったと思えるようになるさ。だからこれは祝福だよ」
フィデスは昔の自分に対してかけてあげたかった言葉を口に出し、ちょっとだけ笑みを浮かべてみた。
◆
聖女フィデスによる癒の儀が終わった後もマイオルは広場で立ち尽くしていた。
「ねぇ、私、聖女様からすごいものを貰っちゃった」
もう十回目である。フィデスがマイオルのことを見ていたことは、隣にいたキトも分かっていたが、さすがに何度も繰り返すので、どうしようかと考え始めている。
マイオルはこれまでも聖の属性を扱えるようになるために訓練を重ねてきたし、【探知】で属性を探りながら感覚を掴もうとしてきたけれど、しっくりこないことが多かった。
だが、さっき【神聖魔法】の気配を色濃く帯びた特別な魔法を受けたことで、これまで自分が追ってきたものの正体を掴んだ気がした。
不敵に笑うマイオルを見て、キトは「長くなりそうね」と言い、考え事を始めようとした。けれど、マイオルのことを見ながら真剣な顔でこちらに向かってくる人がいたので、やめにした。
茶髪をしっかりと立てたその少年はマイオルの前で立ち止まり、こう言った。
「マイオルちゃん、久しぶり……。突然で申し訳ないんだけれど、これから二人で話をすることはできないかな?」
彼の名はストロー・アエディス。王立冒険者学校随一の魔法使いとなり、マイオルのところにやってきた。
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