第163話:「どんな気分だ?」

 トリアスに到着したアッタロスは真っ直ぐギルドに向かった。そして先に着いていたゼノンの居場所を聞くと、顔馴染み達との会話もせずにギルドの奥へと進んでいった。

 数日前に到着したゼノンは追悼祭のために部屋を与えられ、運営を手伝っているらしかった。てっきり近場の魔物の生態でも調べていると思っていたので、外に出る気満々だったアッタロスは肩透かしを食らった。




 セネカが亜空間に取り込まれてからの約一年の間、アッタロスは頭がよく働いていなかった。とにかく目の前のことを何とかしようと冒険者学校での指導には力を入れたものの、その先をどうすれば良いのか分からなかったのだ。


 王立冒険者学校のSクラスの担任は基本三年間務めることになる。アッタロスが希望すれば来年の新入生のSクラスの担任にもなれるだろうし、他の学年の実技指導教員になっても良い。実際学校側からも留まってほしいという話が来ていた。だが、毎日を過ごす中で強さを求める気持ちが少しずつ湧いてきた。それはもしかしたら愚直にもがく学校の生徒達や時折会うマイオル達のひた向きな姿を見ていたからかもしれない。


 アッタロスはもう強くならなくて良いと思っていた。訓練は続けていたけれど、それは長年の習慣のようなもので、昔のように極限まで自分を追い込んでいる訳ではない。金級冒険者になることができたし、レベルも4だ。ただの不良息子でしかなかった自分がよくここまでこれたとずっと思っていた。けれど、それは怖さから逃げていただけだったのかもしれないとアッタロスは最近思うようになった。


 ネミが死んでしまった時のことをアッタロスは今でも鮮明に覚えている。

 強くなることに日々を捧げ、気の知れた仲間達と最高の連携を見せていたあの頃でも、アッタロスは最愛の人を守ることができなかった。

 あれ以上の努力をして戦いに出たときに、また仲間を守れなかったら⋯⋯。無意識のうちにそんなことを考えるようになり、訓練にも身が入らなくなっていた。


 そんなアッタロスの気持ちはトリアスでのスタンピードで変わった。

 自分にもっと力があれば変えられることがあったと思えてならない。

 若くないなりにも強さを求め、牛のような歩みでも前に進み続けていれば、セネカとルキウスが亜空間に吸い込まれることはなかったはずだ。


 若かりし頃、アッタロスは『世界最強の冒険者になる』と言って憚らなかった。

 辛くて怠惰になったとき、この言葉を槍玉にあげられて、よく笑われたものだった。特にネミはいつも「強くなるんでしょ?」と言ってアッタロスの背中を押してくれていた。

 そんなアッタロスも三十歳を超え、四十も近くなってきている。

 いまさら自分が世界最強になれるとは思っていない。上にも下にも化け物みたいな強さを持っている冒険者がいることをアッタロスは知ってしまった。

 しかし、最高峰であるレベル5は見えてきている。みっともなくて見苦しいだろうけど、脇目を振らずガムシャラにやればまだ強くなれるかもしれない。

 守りたい人が近くにいるとき、もっと強い自分でいられるかもしれない。

 そのことに気がついたとき、アッタロスの心は決まった。




 ゼノンがいる部屋の前でアッタロスは一度立ち止まった。大事なのは間髪入れずに勢いで押すことだ。非常に難しいと思うがやってみるしかない。


「ゼノン師匠、アッタロスです。入ってよろしいでしょうか」

「入れ」


 ゼノンの声が聞こえてきた。

 アッタロスは扉を開けるやいなや素早く入室し、ゼノンが目の前の机に向かっているのを見て床に正座した。そして、間髪入れずに手をつき、頭を下げ、「俺を弟子にしてください」と言った。

 これがアッタロスの策だった。強くなるためにゼノンの教えを乞いたいが、ゼノンは誰も弟子を取らないことで有名だ。ゼノンは実際にはかなり面倒見が良いのだが、それも短期間のことで継続して教えを授けることはない。だが、アッタロスはどうしてもゼノンの元で一から自分を鍛え直したかった。


「なんの真似だ。アッタロス」


 低い声が重く響く。アッタロスは認めてもらえるまで顔を上げるつもりがないので見えないが、声色的にちょっとムッとしていそうだ。威圧感も増しているようだけれどここで折れてしまっては意味がない。


「師匠が誰かを弟子に取るつもりがないのは俺も分かっています。ですが、なんとか考えていただけないでしょうか。この一年考え続けましたが、俺は一から自分を鍛えたいんです。迷惑だと思いますが、力を貸していただけないでしょうか」


 ゼノンはきっと困った顔をしているだろうとアッタロスは思っていた。ゼノンは無表情に見えることが多いが、慣れてくると微妙に表情が変化するのが分かるようになる。基本的には誰かにこうやってお願いされるのも好きではないだろうし、自分の信念を曲げることもない。だが同時に、真っ直ぐ気持ちをぶつけてくる相手を袖にするのも苦手な人なのだ。

 卑怯な手を使っているという自覚がアッタロスにはあるけれど、なりふり構っている場合ではない。アッタロスとて、こんな真似をすることに躊躇がない訳ではないのだが、なんとしてでも強くなりたいのだ。


 部屋に沈黙が広がる。ゼノンは断ろうと考えているのが、付き合いの長いアッタロスに対してどう応じようか迷っているのだ。

 アッタロスはとにかく床に手と頭をつけたまま、微動だにしない。その気持ちの強さを目の当たりにして、動く者がいた。


「連れてってやったらいいじゃねぇか」


 声が聞こえてきたとき、アッタロスはびくっとした。部屋にはゼノンしかいないと思い込んでいたのだが、他にも人がいたのだ。しかもこの声は間違いなくペリパトスだ。


「何があったか知らねぇが、軽々しくこんなことを言う奴じゃねぇことは分かってる。大方この一年考えを巡らせていたんだろ? だったらその助けをしてやれば良いじゃねぇか、ゼノン」


「……ペリパトス、私は誰かの師匠になることなんてできないんだ。優秀な者が私を見て何かを学ぶことがあったとしても、私が教えることなんてできない」


 予想外ではあったが、アッタロスはペリパトスがいたことに感謝した。ゼノンは相変わらずいつもの問答を繰り返しているが、ペリパトスが加勢してくれれば、目があるかもしれない。

 そんな風にアッタロスは思っていたのだが、ペリパトスは真面目な様子から一転、何故か笑い始めた。


「がっはっはっは。だがゼノン、どうだよ。そっち側になった気分はさぁ。さっきお前は冷たい目で俺の方を見ていたが、全くおんなじことになってるじゃねぇか」


「私は冷たい目などしていない」


 アッタロスには何の話か分からなかった。さっきまでは重い雰囲気だったはずが突然空気が変わった。

 顔を上げて状況を確認したいところだけど、ここでやめてしまうのも勿体無い。

 そんな風に戸惑っていると、ペリパトスが揶揄うように言った。


「なぁ、どんな気分だ? ちょっと前の自分の姿を見ているように思うか?」


 ペリパトスの声と同時に誰かが動く気配があった。

 この部屋にはゼノンとペリパトスに加えてもう一人いたのだ。


「すまん、アッタロス。だが頼むから顔を上げてくれ。下げてさえいれば、勢いでなんとかなると考えていた自分のことを思い出して、俺の方が居た堪れなくなるんだ」


 その声をアッタロスが聞き間違えるはずがなかった。何故ならそれは人生で最もよく聞いてきた男の声だったからだ。だがそれが分かったところで、アッタロスのやることは変わらない。状況を把握した今、むしろ顔など上げたくない。


「お前もいたのか……レントゥルス」


 アッタロスは一瞬だけでも良いから部屋の中の人を確認するべきだったと後悔した。

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