第156話:ルキウスの腕に抱きついてモゴモゴ言う

 食べては寝る。食べては寝る。を三日ほど繰り返した後で二人はやっと調子を取り戻してきた。

 最初は味の薄い重湯だったけれど次第に塩味が強くなり、細かい野菜が入るようになっていった。

 段々と固形物も増えてきている。


 二人はなぜか同じ時間だけ寝て起きてきていたけれど、そんな二人を世話してくれたのはキリアという女性だった。

 キリアはタイラの孫だと言っていたけれどすでに子供がいるらしく、次の月詠の日に三十歳になるらしい。


「どうしてこんなに良くしてくれるんですか?」


 何度目かの食事を終えた後、ルキウスはキリアに聞いた。


 純粋に不思議だった。

 朝とも夜ともつかない変な時間に起きた自分達のためにキリアは毎回食事を用意してくれるし、細かいところによく気がついて助けてくれる。


「それがこの国の伝統なのよ。魔界からこの国にやってきた人はいずれ大いなる力を持つことになるから精一杯お世話をすることになっているの」


 またかとルキウスは思った。

 教会で窮屈な思いをしていたルキウスはその手のことが苦手だった。

 隣にいるセネカは自由が好きなのでそもそもそういう話自体が苦手だった。


 そんな二人の様子を察してキリアは言う。


「普段からそんなに窮屈な生活をしている訳ではないのよ。ここに帰還者が出てきたのも十五年ぶりだし、私たちにとってはそういう儀式みたいなものなのよ」


「儀式?」


「えぇ。ここはそういう儀式をする場所なの。お祭りというと言い過ぎだけれど、私たちは私たちで外の人と会えて嬉しいのよ」


 キリアは後ろで縛っている長い黒髪をすっと撫でた。

 きめ細やかな白い肌が光っていてなんかおいしそうだとセネカは感じた。


 落ち着いた様子の二人を見て、キリアは背を正した。

 そろそろ伝えなければならないことがある。


「おばあさまから聞いたけれど、二人はスタンピードの時に亜空間に飲み込まれて魔界に行ったということであっているのよね?」


「はい⋯⋯そうですが⋯⋯?」


「ロマヌス王国から来たということは都市トリアスで起きた国家存亡級のスタンピードだったということで間違いないかしら」


 ルキウスもセネカもしっかりと頷いた。


「やっぱりそうなのね。驚かないで聞いて欲しいんだけど、その事件が起きてからもうそろそろ一年になるわ」


「え、そんなに経ってますか?」


 セネカが驚いて飛び上がった。

 時間が経っているかもしれないと思ったけれど、せいぜい半年くらいではないかと考えていたのだ。

 セネカは思わず横にいるルキウスを見てしまったが、表情的にルキウスも驚いているようだった。


「魔界の明滅周期がこっちの世界とは違うのもあるんだけれど、どうやら魔界によって進む時間の早さが違うようなのよ」


「こっちでは一年でも、魔界ではもっと少ない日数だった可能性があると言うことですか?」


 今度はルキウスがたまらず尋ねた。


「えぇ、そうよ。あなた達がいた魔界がどうだったかは分からないんだけれど、時の流れが数倍は違う可能性があるってこの国では言われているの……」


「確かに僕が教会で読んだ記録でも帰還者達が思った以上に魔界にいたと驚く記述はありましたが、時の流れが違ったんですか……」


「あくまでもこの国で言われているだけだけどね。でも信憑性は高いと私は思っているわ」


 キリアの話を聞いてセネカは考え込んでしまった。

 というのもあれだけの敵を相手にした割には早く帰れたと思っていたのに、実際は一年経っていたのだとするとみんなをかなり心配させていることになる。


「ルキウス、大変。早く帰らないと!」


 セネカは素早く立ち上がり、ルキウスの腕を引いた。

 だけどルキウスはこちらの様子を伺うキリアの表情から、立ち上がるのを一旦やめた。


「セネカちゃん。タイラおばあちゃんから聞いたでしょ? ここは最果ての地、月詠の国……。ロマヌス王国まで帰るのにどんなに急いでも半年はかかるのよ」


「え……」


「通過する国の情勢や天候にもよるから一年はかかると思っていた方が良いわね」


 セネカはルキウスの横でへたり込んだ。

 やっと魔界から帰ってきてみんなに会えると思っていたのにそれはまだまだ先になるようだ。


「今はまだ調子が安定していないと思うからしっかり休むのが良いと思うし、できればここにいるうちにスキルを使う練習をしていった方が良いわ。そっちの方が熟練度も上がって結果的に早く帰れることになると思うから」


 キリアはすかさずそう言った。

 ショックを与えることになると分かっていてもこのことをいま伝えたのは、セネカ達を安静に過ごさせるためだ。

 何かのきっかけで自力で気づいてしまった場合にはキリアに有無を言わせず飛び出してしまう恐れがあった。


「スキルを使う練習って何をするんですか?」


 ルキウスは一瞬呆然としていたものの、もう表情的には元の様子に戻っている。

 セネカの方はまだ立ち直れないのかルキウスの腕に抱きついてモゴモゴと何か呟いている。


「二人のスキルの力を鍛えるために私が考案した遊びをしてもらうわ。身体はあまり動かさないし、戻ってきた魔力の感覚に自分をならすのにちょうど良いと思うの」


「……僕たちに選択の余地はないようですね。ほら、セネカ。まずは調子を整えるのが先決みたいだよ」


 ルキウスはキリアの様子から何かを察し、セネカの頭を撫でた。

 ここから故郷まで一年かかるのだとしたらここであと一週間くらい過ごしても大きな違いはないと悟ったのだろう。


 セネカの方もとっくにその結論に達していただろうけれど、割り切れない気持ちがあるのかルキウスの腕に頭を何度も擦り付けてからキリアを見た。


「何をすれば良いんですか?」


「タイラおばあちゃんが言っていたんだけれど、セネカちゃんって魔力の糸を手から飛ばせる?」


 キリアがそう聞くとセネカは頷いて右手の人差し指から糸をピッと飛ばし、キリアの腕に付けた。

 何回かくいっと引っ張ったのはまだ拗ねているのだろうか。


「そうそう。これが繋がるイメージになるの。ここでごく軽くスキル【縫う】を発動して、もう少し強く私を引っ張ることはできる?」


 今度は自分の指先とキリアの腕を【縫い】合わせるつもりでスキルを発動した。

 するとキリアの体が引っ張られて少し動いた。


「セネカちゃんはルキウスくんに向かって糸を飛ばして、彼の体についた瞬間スキルを発動してね。この遊びを続けていけば自然に繋ぐ力を意識できるようになっていくと思うから」


 セネカは頷いて、手から糸を発射する練習をし始めた。

 ちなみにセネカが糸を指から飛ばせるのは自分を針とみなしているからだが、それができると気がついたのは魔界に行ってからなので、まだ慣れていない。


「ルキウスくんは手のひらくらいの棒状の[剣]を出すことはできるかな? それでセネカちゃんの糸を断つの」


 ルキウスが意識を集中してスキルを発動すると長串のような[剣]が現れた。

 それをひゅんひゅんと振って笑みを浮かべるルキウスはちょっと幼く見える。


「ルキウスくんは時間内にセネカちゃんの糸を防ぎきれたら勝ち。セネカちゃんはルキウスくんに斬られないように糸を繋げられたら勝ち。これは断つ力と繋ぐ力の訓練だから、剣や糸の性質を強いものにしすぎたらダメだからね?」


 二人はしっかりと頷いた。

 いつのまにかセネカの頬は緩んでいて、この遊びを楽しもうとしているのが分かる。


「それじゃあ、休憩を入れながらやってみてね。ルールはお互いの都合の良いように変えていいけど、激しい運動はしちゃダメだからね? あくまで座った状態でスキルの力だけで遊ぶこと。良いかな?」


「はーい」

「はーい」


 二人が両手をあげて良い返事をしたのを見て、キリアは部屋を後にした。

 時間や場所のことをこの二人に伝えるのは賭けだったけれど、遊びのおかげで大人しくしてくれそうだと胸を撫で下ろした。

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