第十二章:魔界編
第125話:魔界
赤い空の下、セネカとルキウスは歩いている。
元の世界ほど昼夜がはっきり区別されている訳ではないけれど、薄明るくなったり、暗くなったりというリズムはある。
気温は今のところ安定している。生温さのある空気だけれど、暑いとも寒いとも思わない。
魔界は独特の質感を持つ魔力に満ちているようでセネカは気持ち悪さを感じていた。
魔界は不毛の地だ。稀に植物のようなものが生えているが、枝をそのまま地面に突き刺したような形をしている。
大きな植物があったらそれは魔物化していると考えた方が良いらしい。
セネカは魔界の情報をルキウスから聞いた。
聖者教育の一環として魔界についてたくさん勉強させられるのだとルキウスは言っていた。
おかげで、なんとか行動できている。
「水だ⋯⋯」
ルキウスが言った。目線の先には赤いような青いような不思議な色をした水溜まりがある。
「飲んでも害はないと勉強したけれど、念のため浄化しておこう」
ルキウスは水溜まりに手をかざして【神聖魔法】を使った。青白い魔力が水に降りかかり、色がほんの少しだけ薄くなった。
「これで問題ないね」
ルキウスはそう言ったけれど、顔は少し引き攣っていた。害がないと頭では分かっていても抵抗のある変な色だ。
「⋯⋯せーので飲もっか」
セネカは手で赤青い水を掬い取った。正直温い。
セネカの様子を見てルキウスも同じように水を掬った。
「せーのっ」
ごくっと飲み込んで身体に入って来た水は、温いのにも関わらずびっくりするくらいおいしかった。
「うまー」
「おいしいね」
二人は喉が渇いていたので何度も水を掬って飲んだ。
「変なものが入ってるんじゃないかと思うくらいおいしいね。魔力が入っているからかな?」
「魔力が入ってると美味しいの?」
「そういう説もあるみたいだねー」
「そうなんだー」
間延びした声で二人は話をしている。
「この水を持っていけたらいいんだけどねぇ」
ルキウスがそう言ったのを聞いてセネカは閃いた。
「あ、容れ物を作れるかもしれないよ。ちょっと待っててね」
セネカは[魔力針]を出して、魔力の糸で水袋を作り始めた。縫うというよりは編むに近いけれど、しっかり針を通しながら作っている。
セネカが縫い込む早さは猛烈で、瞬く間に水袋が出来てしまった。
袋は二重構造になっていて、内側は細めのしっかりとした糸でできており、外側は太い糸で出来ている。
これだけでは水が漏れてしまうので、セネカは内側の糸に魔力を移動させ、[属性変換]で氷属性にした。するとピシッと音がして内側が凍った。
「うまいもんだねぇ」
ルキウスが感心した様子なのを見て、セネカはニコニコしながら水を掬った。
「あ⋯⋯」
「どうしたの?」
「私、少しなら水を出せるようになったんだった」
そう言いながらセネカはポタポタと手から水を出し始めた。
◆
セネカはレベル4になった。
色々なことがあって整理が追いつかなかったけれど、レベルが上がったのだ。
[属性変換]は魔力を各属性に変えるサブスキルだ。これまでセネカはスキルがないのに魔力を火や氷に変換して来た。その能力がスキルに盛り込まれ、ついに効率的に扱えるようになったのだ。
これまで扱えていた属性に加えて、水や光などの新しい属性も扱えるようになっており、長年の努力がやっと実ったと言える能力になっている。
まだ検証しきれてないが[縫い付ける]の能力も使い勝手が良いという印象をセネカは持っている。
例えば先ほどの水袋は魔力の糸に氷属性を纏わせただけなので、効率を気にしなければ以前も可能であった。対してこの新しい能力では、革製の水袋に「氷属性の魔力」を直接[縫い付ける]ことができる。要するに付与が可能になったのだ。
仲間の剣に火の性質を縫い付ければ火剣にできるかもしれないし、傷に回復魔法を直接縫い付ければ継続して治療効果を得られるようになるかもしれないので、今後色々と試してみるつもりだ。
この能力は針や糸を出す必要がない。けれどセネカの主観では心の針と心の糸を使って縫っているつもりので、やはりイメージが大事なのだろうとセネカは確信している。
◆
ゆっくりと歩きながら、二人はお互いをチラチラと何度も見ている。
時に存在を確かめるように、時に喜びを噛み締めるようにお互いを気にする様子は健気だ。
魔界というおどろおどろしい世界に突然放り込まれたにしては二人はちょっとばかし余裕があった。
それはルキウスが「帰還者」と呼ばれる魔界帰りたちの話を知っていて、帰る方法をいくつか知っていたのが理由かもしれないし、まだ魔界で魔物に出会っていないからかもしれない。
けれど一番の理由は「この人と一緒なら何が起きても乗り越えられる」という根拠のない自信が二人に満ちていたからだろう。
魔界に来てすぐの時は恐慌とも言える心理状態になり、あの場にいたみんなに心配をかけてしまうと不安に思ったものだが、悩んだところでどうしようもないのだと悟ると、セネカは平気になってしまった。
魔界から帰るのは容易ではない。卓越した実力が必要になるし、運が悪ければいつまで経っても帰れずに野垂れ死んでしまうかもしれない。だけど、だからといってずっと怖がり続けられるほどの体力もなかったので、セネカは割り切ることにした。
割り切った結果、未だにセネカのことを想い、悲痛な表情を浮かべているマイオルが可哀想になるほどセネカは落ち着いて魔界を探索している。
食べられそうなものを探しながら二人はたくさん話をした。たった四年の間だったけれど、聞きたいことは沢山あったし、言いたいことは尽きなかった。
ルキウスとは本当に久しぶりだったのに、まるで昨日も会っていたかのように話ができることをセネカは不思議に思った。伝えたいように話が伝わるし、ルキウスの言いたいことがちゃんと分かるのだ。
同じ言葉を使っているのに話が全く伝わらないことがあるということを王立冒険者学校に入ってからセネカは知った。国を代表するほど頭脳が明晰な人であっても、お互いの前提が違ってしまえば話は伝わらないのだ。
セネカとルキウスの道は一度分岐した。あそこが運命の分かれ目であり、もう交わらないかもしれないとすら考えたこともあった。だけど二人の距離はそう遠くはなっていなかったのかもしれないとセネカは思った。
◆
ルキウスの話によれば、魔界に適応すると周囲に漂う魔力を取り込み、使えるようになるのだという。そうなると多少食事量も減るらしい。
セネカが「ルキウスは魔界のことに詳しいね」と聞くと、ルキウスはこう答えた。
「単純に面白かったんだよ。自分達が生きている世界とは違う世界があって、そこで逞しく戦い続けた人がいたんだからね。まさか自分が来ることになるとは思わなかったけれど⋯⋯」
「知ってたら私も勉強したかも」
「そうだね。英雄譚を読んでいるかのようだったよ。実際、魔界から帰って来た人達の中には特殊な技能を身につけた人もいる」
「⋯⋯これ以上特殊になっちゃったらどうしよう」
セネカはそう言ってからルキウスの顔を見て、二人で「ふふふ」と笑い合った。
そうやって赤黒い空間の中で穏やかに足を進めていると、魔物の気配があった。先に気づいたのはセネカだ。
「まずは僕が戦うよ」
ルキウスはそう言ってサブスキル[剣]で作った大太刀を抜いた。
魔物はミノタウロスの亜種のようだがあまり強そうには見えない。
ルキウスは【神聖魔法】で身体を強化し、すすすっと足を運んだと思えば瞬く間にミノタウロスに近づき、一太刀で首を刎ねた。
「初めてミノタウロスと戦ったけど、聞いてた話ではこんなに弱くないよね?」
「そうだね。ルキウスが近づいて来たのも分からなかったみたいだし、特殊系だったのかも」
そう言ってセネカは貴重な肉を得るために[まち針]でミノタウロスを中に固定してから解体を始めた。
◆
ルキウスは解体を手伝いながら、サブスキル[剣]について考えていた。
この能力は簡単に表現すれば【神聖魔法】で剣を作るというだけの能力である。
似たようなスキルも存在するが、利点がいくつかある。
一つは【神聖魔法】を剣として振るうことができるという点だ。剣にすることでこの魔法の物体消滅性が高まり、切れ味が異常に高くなっている。あまりに切れるので剣の腕が鈍らないように通常ではその性質をなんとか抑えているほどだ。
もう一つの利点は魔力を剣の形にできるということだ。それだけ聞くと当然のようだけれど、その大きさは調べる限り任意だ。ルキウスはある時、極限まで小さい剣を作ってみた。そうすると攻撃力が上がっていたのだ。
ルキウスはその後、回復、解毒、破邪と試してみた。
すると何故だかこれらの魔法も威力が上がっていた。
おかげで今では大抵の場合、ルキウスは魔力を剣の形に整形してから魔法を放つという癖が付いている。魔力の防御壁なども拡大して見れば無数の剣の反復模様になっているはずだ。
強力な能力ではあるが、歴代の聖女の能力、例えば[癒]や[破]と比べると見劣りするような気もするとルキウスは感じていた。
しかし、【神聖魔法】のサブスキルは成長性が高いと聞いているし、そもそも他の聖女の能力はレベル4のものであるのに対して、ルキウスの[剣]はレベル3だ。だから、現時点で比べても仕方がないかと思って、ルキウスは考えないことにした。
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