第33話:罪
マイオル家での歓待っぷりはすごかった。
夕食時には先ほどの顔ぶれに加え、マイオルの四つ下の弟もいた。
弟はマイオルのことが大好きなようで「お姉ちゃん」と甘えてかわいかった。
食事はとても豪勢で、マジックボアの肉やグレートラディッシュのスープなど高価な食材がふんだんに使われており、とても美味しかった。
一口食べた時にはほっぺが落ちるのではないかと思うほど美味しいとセネカは思ったけれど、量が多いこともあって飽きが来てしまった。
自分がだいぶん贅沢になってしまったと反省しながら、頑張って全てを平らげた。
夜にはお風呂にも入れてもらった。
毎日は入らないようだが、家にお風呂があるというだけですごい。セネカは湯船をゆっくり味わってから、大きいベッドに二人で入ってぐっすり眠った。
◆
次の日、セネカはマイオルと一緒にコルドバ村の元村長夫妻の家を探すことにした。
手紙の宛先からおおまかな場所がわかっているのでマイオルに案内してもらいながら訪ねるつもりだ。
セネカの故郷であるコルドバ村が滅んだ後、村長夫妻はルシタニアで働いている息子のところに越したそうだ。
村長は首長としての経験を活かして、いまはルシタニアの行政に関する仕事を細々と行なっているらしい。
マイオルが言うには中級階級が住む地域に家があるようなので、それなりによい暮らしをできているのだろう。
マイオルの実家から目的地に真っ直ぐ向かうこともできたが、観光も兼ねて遠回りすることにした。
セネカには全てのものが新鮮だ。大店でも小売をしている店がある。そういう店舗にお邪魔して商品を眺めるのは本当に面白かった。
マイオルのことを知っている人も多くいたので、何も購入しなくても問題は起きなかった。
セネカは木の実が好きである。
特に椎の実が好きで、本気を出せば栗鼠になれると考えているくらいだ。なので、木の実を扱っている店に入った時は目をキラキラさせて、少量ずつ多種の実を買わせてもらった。
◆
いよいよ元村長の家に向かうことになった。
家が近づいていくにつれてセネカは緊張し、口数が少なくなっていった。
とある一帯につくとマイオルが「このあたりね」と言った。これ以上の情報はないので聞いて回るしかない。
キョロキョロと辺りを見回すと中年の男がいたのでセネカは聞いた。
「すいません。アンダさんとルーシアさんというゴフサイが住んでいる家のことを知りませんか?」
「おぉ。知っておるよ! そこの道を真っ直ぐ行って突き当たりを左に曲がったらすぐだね。あの人らにお嬢ちゃんたちは何か用かね?」
「私はアンダさんにお世話になったことがあるのです。幼い頃に」
そう言うと男性はスッと目を細めて言った。
「もしかしてコルドバの出身かい?」
「えぇ、そうです」
「そうかそうか。大変だったな。実は俺もアンダさんにお世話になっているんだ。よろしく言っておいておくれ」
手をぱたぱたとしながら男は反対側に行ってしまった。
セネカとマイオルが聞いた通りに進むと、見覚えのある女性が家の前を掃除していた。
「ルーシアさん!!!」
セネカは涙を流しながら壮年の女性に抱きついた。
◆
ルーシアがコルドバ村を離れて五年が経つ。
息子のいるルシタニアにやってきて、コツコツと頑張り、生活は安定してきた。
夫も息子も真面目に働いて良い収入を得ている。
ルーシアも自分のスキルを活かして、時々お菓子やジャムを作る仕事を手伝っている。
今の生活に不満はない。だが、未練はある。
それは『この子たちだけは自分が守る』と覚悟しておきながら、周囲の反発を危惧して結局手を離すことになってしまった二人の子供のことだった。
二人はルーシアにとって宝物だった。それは二人がとびきり優秀だったり、強かったりするからではない。ただ純粋にルーシアが二人を好きだったからだ。自らの子のように愛を注げたからだ。
エウス、アンナ、ユニウス、ヘルウィア。四人とも立派な人物だった。エウスとアンナには夫が頼み込んでコルドバに移住してもらった。
子供が大きくなったら三人で世界中を旅すると夢を語るエウスの姿はいつも希望に満ち溢れていた。あのまま冒険者に復帰していたら、今はどれほどの男になっていたのだろうか。
勇敢な若者達は未来に殉じ、料理しか能がないルーシアのような者ばかりが生き残ってしまう。
時折、そんな考えが浮かんでくる。
セネカとルキウスは血の繋がった兄妹のように毎日一緒に冒険をしていた。
この子達もいつか旅に出る時が来るのだろうかと先々を思って切ない気持ちになることがあったけれど、二人は予想以上に早く自分の元から離れてしまった。
いや、離れてしまったのではない。自分たちが手を離したのだ。
夫の判断は間違ってはいないと今でも思う。夫は村長としての道義を守り、セネカとルキウスの親代わりという役割を放棄せざるを得なかった。
しかし、間違っていないからと言って正しいことなのかはルーシアにはわからなかった。
結局ルーシアは何にもできなかったのだ。今の楽しみは稀にやってくるセネカからの手紙のみ。罪悪感だけが胸につかえている。
あんなにかわいい少女が厳しい冒険の世界に足を踏み入れるだなんて。
あんなにおとなしい少年が
ルーシアは二人の無事をただ祈ることしかできなかった。
◆
「ルーシアさん!!!」
声が聞こえた。
近くから聞こえているはずなのに、遠くから広がってくるような特徴的な響きだ。
聞き覚えがある。
振り向こうとした瞬間、ぎゅっと誰かに抱きつかれた。
普通は反射的に身体が拒否するはずなのだが、意外にも嫌ではない。
女の子のようだ。
顔は見えないが髪に陽が当たり、銀色に輝いている。
そして、ルーシアの胸に顔を埋めてすりすりと頭を動かして甘えてくる。
こんな少女は世界に一人しかいない。
ルーシアは少女の頭にそっと手を置き、ゆっくりと撫でてから言った。
「セネカ、おかえりなさい」
◆
マイオルはセネカとルーシアが再会し、抱き合っている姿を少し離れた場所から眺めていた。
二人の様子を見ていて涙がほろりと流れてきた。
マイオルには両親がいない気持ちは分からない。
預かってくれた家の人を母のように思って甘える気持ちもよく分からない。
大げさなくらいにお互いの無事を喜んで、何度も何度も抱きしめ合うような感情になったことがない。
だけど、涙はとめどなく溢れてくる。
もしかしたら気持ちが分かる必要はないし、知らない感情があるのが普通なのかもしれないとマイオルは思った。
セネカにしか知り得ない感情があるように、マイオルにしか分からない気持ちがこの世界にはたくさんあるのかもしれない。
それは冷たいことではないはずだ。
温かい気持ちで知ろうとすることがきっと大事なのだとこの時のマイオルは確信した。
だから、セネカとルーシアが落ち着いてきたのを見てから大きく前に踏み出して言った。
「おば様、お初にお目にかかります。あたくしマイオルと申します。以後お見知り置きを」
余程の場でないと出てこないような挨拶をマイオルがしてきたので、セネカとルーシアは返す言葉が見つからず、静寂な時間が流れることになった。
平穏を装うマイオルの額から大粒の汗が出てきたことは言うまでもなかった。
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