第20話:腕を飛ばせて良かった

 セネカの刺繍の仕事が落ち着き、マイオルの考えもまとまったので、今度こそ冒険者としての仕事を本格化することになった。


 まずユリアに話に行った。定期納品はお休みして、必要なときだけ依頼で素材を取りに行くことにさせてもらった。

 今後も薬屋には遊びに行くつもりなのでセネカとユリアの接点は続く。ユリアに不都合が起きるようなことはないだろう。


 次に裁縫関係でお世話になっているトルガのお店にも行った。

 この前の仕事のお礼を言った後、しばらく仕事が不定期になることと、来年には王都に行くつもりであることを伝えた。

 先のことではあるが、エミリーをはじめとして、みんなが寂しそうな顔をしていたのがセネカには印象的だった。


 そして、孤児院にも話を伝えた。

 院長は「まだまだ先じゃないか。頑張りな」とあっさりしていたが、シスタークレアは泣き崩れてしまった。

 報告に行く前はセネカも泣くかもしれないと思っていたが、シスタークレアの泣き方が予想以上に大きかったので、涙は引っ込んでしまった。しかし、そこまで寂しがってくれることをセネカは嬉しく思った。


 そうして周囲に報告した後、二人はトゥリアに勧められるがままに様々な依頼を受けた。

 多くは討伐と採集の依頼だ。

 トゥリアは魔物の討伐を受けさせて、二人に経験を積ませている。セネカたちを銅級にするためだ。


 バエティカのあたりでは、あばれ猿か火炎ムカデを単独で討伐できれば間違いなく銅級への昇格試験を受けられる。

 セネカは余裕で、マイオルはまだ足りないという実力だが、二人とも幾分経験が少なすぎる。そこでいろんな場所に行って今のうちに修行しているのだ。


 そして三ヶ月半が経った。





 マイオルの修行は着実に進んで行った。

 レベルアップにどれぐらい近づいているのかは分からなかったが、【探知】できる情報量はどんどん増えている。


 マイオルは今では肩幅ほどの小さい領域まで探知範囲を絞ることができるようになった。


 訓練には魔玉という魔石を加工した物を使っている。強い魔物が稀に持つ魔石を凝縮し、球状に磨いたのが魔玉だ。

 マイオルが持っているのはビー玉程度の大きさだが、これだけで金貨数枚に化ける。

 過保護な父親がマイオルに持たせた物で、危機的状況に陥ったら換金するつもりだ。


 魔玉は魔物由来であるし、魔力が豊富に含まれているので、マイオルの訓練に非常に適していた。


 訓練の始めの頃は精度が低く、魔玉を机の上で転がしても移動を検知できなかった。しかし今では僅かな揺れも分かるぐらいにくっきりと動きを追うことができる。


 探知精度の上昇は戦闘にも反映されている。

 解像度が上がったおかげで、魔物の動きが手に取るようにわかるし、魔物の体内の魔力の動きを知ることができるようになった。


 例えばファイアウルフは火を吐く数秒前に喉の辺りで魔力が渦巻くし、ワイルドベアは必殺の技を放つ時には爪のあたりに微かに魔力が集まる。おかげで攻撃を避けやすくなった。


 ギルドでこっそりとメーノンに相談したところ、レベルアップがかなり近いはずだと教えてくれたので、マイオルは今の道を邁進することに決めた。





 さらに半月が経った頃、セネカとマイオルは難度の高い依頼を受けることになった。依頼内容はバエット山林の泉に生えている特殊な薬草の採取だ。


 この泉は山林のかなり奥にある。セネカもマイオルもバエット山林の依頼を良く受けているが奥地に入るのは初めてだ。


 鉄級冒険者が受ける依頼にしては難易度が高いけれども、セネカの実力とマイオルのスキルがあれば危険は大きくないだろうと判断してトゥリアが見繕ってくれた。背伸びをすると簡単に命の危機に晒されるということは二人ともよく分かっている。


 セネカとマイオルは十全に準備を整えてからバエット山林に入り、奥地に向かった。


 初めて行く場所の場合、マイオルはこまめに【探知】をして、周囲をしっかり確認することにしている。奥地に近づいてきたのでスキルを使ったところ、マイオルは奇妙な魔力反応を感じた。


 その反応は人でも魔物でもない。どうやら一帯の空気中の魔力濃度が高いようだ。

 これが魔力溜まりなのだろうとマイオルは思った。


「セネカ、探知範囲の端に魔力溜まりがあるわ。魔物の気配はないけれど、注意する必要がありそうよ」


 セネカは頷いて刀を抜いた。


 魔力溜まりがあると稀に魔物が変異すると言われているため、気をつけなければならない。

 魔力溜まりが発生する原因は分かっておらず、報告があった次の日には消失していることもあって詳細は分かっていない。


 今回は目的地とは別のところに魔力溜まりがあるので、軽く迂回すれば問題ないと二人は判断した。





 泉についた後、二人は機敏な動きで目的のラビリン草を採取した。

 ラビリン草は紫色の釣鐘型の花が特徴で、強力な目薬の材料になる。


 他にも希少な薬草があったが、滞在時間は短い方が良いという考えのもと迅速に作業を行なった。


 採取が終わって泉から離れようとした時、マイオルの【探知】に魔物の反応があった。


「セネカ! 二体の魔物がすごい速さでこっちに向かっているわ! とにかくあっちの方向に走ろう!」


 マイオルは言うなり走り出した。

 セネカも後に続く。


「魔物は何?」


「あばれ猿だと思うけど、存在感が格段に強いし、聞いたことがないくらい速く動いている。変異種かもしれないわ!」


「このまま逃げられそうなの!?」


「間に合わないわ! こっちに広場があったからそこで待ち構えましょう。林の中で戦ったら勝ち目がない!」


 この時のマイオルの判断は的確だった。

 一瞬で動き始め、取り返しのつかない状況になるのを回避することができた。


「魔力の大きさはコボルトリーダーと遜色ないわ。普通のあばれ猿よりも身体能力が格段に高いと思って!」


「分かった!」


 二人は必死に走り続けている。

 全力で走ったらセネカの方が速いが、マイオルも相応に速い。


 絶望的な状況は脱したものの、分は悪い。

 今のセネカとマイオルなら普通のあばれ猿が二体来ても、撤退を選んだ方が安全だ。


 走りながら二人は作戦を立てる。


「マイオル、片方を一人で引き付けられそう?」


「相手取るのは厳しいわね。短い時間だったら大丈夫だと思う!」


 こういう時には過大評価も過小評価も良くない。ましてや本音を言わないのはもっと良くない。


「分かった! じゃあなんとか二対二に持ち込もう!」


 二人がしばらく走ると木がまばらになってきた。もう少しで目的の場所に着く。


「マイオルの索敵範囲の外からどうやって私たちを見つけたのかな?」


「あたし以上の索敵能力を持っている可能性もあるけれど、遠くの丘から監視していたんだと思う。あの泉は見やすかったはずよ」


「そっか。目が良いんだ。基本的には身体能力を警戒すれば良いんだよね」


「そうね。それが一番厄介だけど」


 細かいコミュニケーションを取りながら走ると広場に到着した。無人のようだ。


 マイオルは矢を取り出して弓にかける。

 かなり距離があるので当たるかは分からないが、牽制になるので射ることにする。

 【探知】特有の俯瞰した視点で相手の動きを見る。

 そのまま動線を予測して、矢を放つ。


 矢は片方のあばれ猿の左腕に向かって飛んでいった。直撃する軌道だとマイオルは思った。


 矢を見て、あばれ猿はサッと避けた。

 ダメージにはならなかったが、進行速度は遅くなったので、こちらに弓の腕が良い敵がいると印象付けることが出来たとマイオルは思った。


「上出来だったわね」


「うん、すごいよ。次の矢が来たら様子を見るだろうね」


「できるだけ引き付けて射るから、そのあとはよろしく」


「分かった。突撃するけどマイオルから離れすぎないように気をつける」


 弓矢で向こうの警戒を煽ることができたので、近距離で撹乱する。

 一匹だけでも抑え込めれば戦況がかなり良くなるだろうと二人は考えた。





 待っているとセネカの目にも二匹のあばれ猿が見えた。

 通常の個体よりも筋骨隆々に見える。


「弓を引くわ!」


 後ろにいるマイオルが二本の矢を同時に弓にかけている。

 セネカは二匹の動きをしっかり見る。


 あばれ猿が凄まじい勢いでこちらに向かってくる。

 遠めの間合いで矢を放つのが良いだろう。

 手は汗でいっぱいだが、マイオルは失敗するとは思わなかった。


「射る!」


 言うなりマイオルが矢を放った。

 二匹の間に矢が飛んできたので、あばれ猿は思わず左右に分かれて避けた。


 セネカは左側の方に突っ込んで行った。

 マイオルはそれを見て、弓を背負いながら剣と盾に持ち替え、セネカと同じ左側に走る。


 マイオルは【探知】を発動し続ける。

 二匹しかいないので情報量を絞る。いつのまにかこういう操作もできるようになった。


 セネカの突撃に対して、左のあばれ猿は大きく退いた。


 それを見たセネカはさらに左斜め前に跳んだあと、側面からあばれ猿に斬りかかった。

 虚を突かれたあばれ猿は思わず右腕で首の辺りをガードしたので、セネカは腕を斬り飛ばした。


「ぎぃぃぃぃ」


 あばれ猿の不愉快な声が聞こえてくる。


 マイオルはもう一方のあばれ猿の動き注視していた。敵は腕を切断された方のあばれ猿の陰に隠れてセネカに迫ろうとしている。

 

 マイオルは敵の動きを牽制するために顔に向かって目潰しの薬を投げつけた。

 両腕の暴れ猿はそれを手で弾いた後、警戒して後退した。マイオルの目論見通りだ。


 セネカがマイオルの隣に戻ってくる。


「マイオル、あいつらかなり強いよ。腕を飛ばせて良かった」


「うん。それに狡猾だわ。でもセネカのおかげで状況は良くなったね」


 両腕のあばれ猿が片腕のあばれ猿を庇うように前に出る。

 通常のあばれ猿は仲間を助ける行動などしないので、知能も上昇しているのかもしれない。


「マイオル、もしかしたら一匹で手一杯かもしれない」


 セネカの額からは汗が出ている。


「分かった」


 マイオルは覚悟を決めた。


 瞬間、両腕が健在な方のあばれ猿が猛烈な勢いで突進してきた。

 二人は同じ方向に避けたが、このあばれ猿の狙いはセネカのようだ。セネカを執拗に攻めている。

 遅れて片腕のあばれ猿がやってくる。こちらの猿はマイオルにがむしゃらな攻撃を仕掛けてくる。


 二匹の猿は別々の方向にセネカとマイオルを追いやろうとしている。二人はなんとか近づいて二対二の状況を保ちたかったけれど、息をもつかせぬ攻撃に押されて、ついには分断されてしまった。


 セネカが気づいた時には、マイオルは見えなくなっていた。

 あばれ猿はひたすらに腕をぶん回し、力いっぱい体当たりをしてきた。攻撃に技巧はなかったが、当たればただでは済まなそうだったので、セネカは避けに徹するしかなかった。


 このまま戦いながら合流するのは難しいだろう。まずは目の前の敵をどうにかしなければならない。セネカは一対一の戦いに集中することに決めた。


 あばれ猿も分断に成功したと思っているのだろう。先ほどよりは慎重に攻撃を繰り出してくる。


 セネカは隙を見て刀で反撃しようとしているが、なかなか難しい。あばれ猿の拳は非常に硬いことが知られているので、刀の腹を殴られると破損の恐れがある。敵が反撃できないタイミングを狙うためには我慢を続けるしかない。


 それに攻撃をしたとしても、大きな傷を負わせることができるかは分からない。セネカの身長はあばれ猿の下半身ほどしかなく、力では負けている。


 決定的な攻撃を与えられるイメージがセネカには湧かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る