第18話:月に誓って
あれから二日経った。
今日は月詠の日だ。
セネカがスキルを得てから一年になる。
スキルを獲得する子供達がまた増える。
セネカは騒がしい街を離れて、近くの森にある丘まで来た。
ここからバエティカの街を見渡すことが出来る。
ルキウスは元気だろうかとセネカは思った。
この一年、ルキウスのことを思い出さない日はなかった。
結果だけ見てみればセネカの進捗は華々しい。
レベル2になった。
もう少し経験を積んだら銅級への昇格を申請する予定だ。
その後のことはあまり考えていなかった。
薬草採取の腕が格段に上がった。
ユリアという専門家からの品評を細かく聞けるので目利きの腕がさらに上がり、ギルドでの評価も高い。
セネカに釣られてマイオルも熟練してきているので、二人に対しての指名依頼が増えてきていた。
しかし、一年後にはキトはもういないので薬草採取の仕事は減らしていく予定だった。
裁縫の腕も上がった。
縫うだけならバエティカでも一番だろう。
緻密さ、早さ、正確さの全てにおいてセネカは格別の能力になった。
厄介な仕事があるとまずセネカに声がかかる。
縫うことに特化した能力は効果的だった。
「じょうでき」
セネカは呟いた。
充実感はある。だが、この評価は一般的な価値基準でのことだ。
ルキウスはもっと進歩しているのではないかとセネカはよく考える。英雄に近づくために今日も努力をしているのではないかと思う。
いつか会った時に隣で戦えるくらいの実力は持っていたい。セネカは足手纏いになんてなりたくなかった。
「いや、そうじゃないよね」
はっきりと声に出してみた。
セネカはあらゆることからルキウスを守ってあげられるようになりたいのだ。
この世界の悪意から、善意から、失望から、期待から⋯⋯。
それを成すためには力が足りなかった。
「もっと強くならないと。もっともっと強くならないと」
セネカは力強くこぶしを握った。
ルキウスがそれを求めていないかもしれないなんて、ずっと前から分かっている。
だけど、選択肢になければ選べない。
セネカは空に広がる澄んだ空気を取り込むように大きく深呼吸した。
ものすごいスピードで前に進んでいるのはきっとルキウスだけではない。
キトもそうだ。
セネカはユリアのところに週に一回通っている。
その時の様子を見ていればキトの成長が著しいことはよく分かる。次々に新しい材料を使って新しい薬を調合している。
キトは小さい頃から何事も卒なくこなしてきた。そのキトが本気で製薬を学んでいるのだ。凄まじい勢いで進んでいて当然だとセネカは思った。
だが、それでもまだ足りないらしい。
キトの家はそれほど裕福ではないから最低限の勉強しかできなかった。
コルドバ村の村長の家やバエティカの孤児院で貪るように本を読んでいたが、英才教育を受けてきた上流階級の者達には敵わないらしい。
しかし、ユリアはキトの将来性に賭けたのだ。
国中の秀才が集まる魔導学校に特待生で入れようとしているのだから期待は大きいだろう。
セネカはキトにも置いていかれたくなかった。
セネカとルキウスとキトの三人は、他の二人に置いていかれまいとそれぞれが限界を越えようとしていたが、そのことを知るものはまだいない。
セネカはマイオルのことも考えた。
スキルを得てからの初めての仲間。
背中を預けられるパートナー。
マイオルも凄まじい勢いで成長していることにセネカは気づいていた。
戦いがどんどん流麗になっていく。
探知範囲が広がっていく。
セネカには見えていない世界でマイオルは戦っていた。
それがどうしようもなく頼もしかった。
ふと背中に気配を感じた。
人が近づいているかもしれない。
セネカは刀を抜いた。
「あたしよ。あなたもここにいたのね」
そう言って茂みから出てきたのはマイオルだった。
「マイオル⋯⋯」
「珍しく驚いた顔しているわね」
「そりゃあ、驚くよ。どうしてここに?」
「それはこっちのセリフ。去年も月詠の日はここに来たのよ。月がきれいだから」
セネカもマイオルも月を見た。
まだ夕方なのにはっきりと見える。
「私も同じ。静かなところで月を眺めたかったの」
マイオルがゆっくりと歩いて近づいてくる。
「ねぇ、セネカ⋯⋯」
「なぁに」
「あたし、今年の王立冒険者学校の試験を受けるわ」
「えっ? そうなの? 目処が立ってからって言っていたけれど⋯⋯」
セネカはまたお別れが近づいていると思ってしょんぼりした。ちょっとだけ泣きそうでもある。
そんなセネカの顔をマイオルはしっかり見た。
「目処が立つのを待つんじゃなくて、自分から目処を立てることにしたの。すぐに銅級になって、特待生として入学するわ。それがダメでも冒険者学校には入るけど、別の道を探すことになると思う」
マイオルは必死に考えて結論を出した。
気づいたのだ。猶予を長く持ったまま歩いても、このままではあっという間にセネカに置いてかれる。
「そっかぁ。でもお別れまでまだ一年あるもんね」
セネカは寂しげに笑った。
「何言ってるの? セネカも王都に行くわよ! あたしと一緒に!」
「へ?」
セネカは瞠目した。
「あなたも銅級になって、あたしと一緒に特待生になるの!」
「えっ? えーっと、私は行かないよ。私はここで、バエティカで強くなるから」
「どうして? 銅級になれば授業費は免除よ?」
セネカはぐっと考えてから答えた。
「⋯⋯お父さん達と同じ道が良いの。学校には通わず強くなってみたい。この場所で」
マイオルが果敢に言い返した。
「セネカは金級になるんじゃないの? 金級冒険者の七割が上級の学校を出ているわ。あなたの目的のためには王立の冒険者学校に行くのが近道よ!」
「うん⋯⋯。そうなんだけどね」
マイオルはセネカが稀にこのような調子になってしまうことを知っていた。
「他にも何か理由があるの? キトだって王都に行こうと頑張っているんだから一緒に行ったら良いじゃない」
マイオルとキトが何度か二人で会っているのをセネカは知っていたが、呼び捨てするほどの仲になっているとは知らなかった。
「そうなんだけどね。だけど、私がいなくなったらキトとルキウスが帰ってくるところがなくなっちゃうから⋯⋯」
セネカはさらにしょぼくれ出した。
「その話になるとあなたは途端にしおらしくなるわね。想い人を待っているんじゃなくて、自分から迎えに行ってやれば良いのよ! それがセネカの生き方でしょ!」
流石に生き方のことまで言うのは言い過ぎだとマイオルは思ったが、とにかく勢いが大事だと思ったので果敢に攻めた。
「ルキウスは想い人じゃないよ⋯⋯」
そうやってごにょごにょと言うセネカの顔は真っ赤で、どうみても初恋の人を想う少女のようだった。
「そっちに反応するんだ」
マイオルは士気を削がれそうになった。
「セネカ、良いこと教えてあげる」
マイオルは切り札を出すことにした。
完全にいたずらっ子の顔である。
「なぁに?」
セネカはマイオルのにやけ顔に嫌な予感がした。
「あなた、良く寝言で『ルキウス』って呟いているわよ」
セネカはヒュッと息を飲み込んだあと、絶句した。
そして顔はさらに真っ赤っかになり、手のひらで顔を覆って、『にゃー』と言いながら茂みの方に全速力で走っていってしまった。
「やりすぎてしまったわね」
マイオルはやり切った戦士のような顔で、髪をぱさぁっと後ろに払った。
◆
マイオルがしばらくボーっと月を眺めているとセネカが帰ってきた。
日が暮れて暗くなってきている。
セネカは見るからに拗ねていた。「むぅー」と言っている。
マイオルはそれを見てかわいいと思ってしまったが、笑うと可哀想なので必死に真顔を作った。
セネカがマイオルに近づいて口を開く。
「⋯⋯考えたよ。マイオルがそこまで言うなら私も冒険者学校に入る。キトとマイオルと一緒に王都に行ってルキウスに会うよ!」
マイオルは跳び上がって喜んだ。
「ヤッタァ! セネカならそう言ってくれると思っていたのよ。キトもきっと喜ぶわ! そうと決まれば明日からまた一緒に頑張りましょう!」
「うん! あれ、ちょっと待って。もしかしてキトに何か言われたの?」
「え? あー、まーね」
マイオルはセネカと同じくらいごまかすのが苦手だ。
セネカはそれを聞いてしばし考え込んだが、すぐに整理をつけて顔を上げた。
「ふぃー。そっかぁ。でもこうなったってことはキトも一緒に行きたかったってことだよね」
それを聞いてマイオルは間髪入れずに言った。
「それは間違いないわよ。でも、誘ったら自分で深く考える前にセネカは決断しちゃいそうだってキトが言ってた。あなた達って実は不器用よね」
「そうかもしれないね。遠慮して大事なことを言えない関係になっちゃったら嫌だから、あとでキトともしっかり話してくるよ」
「うん。あたしもそれが良いと思うわ」
そう言ったあと、マイオルは改めてセネカの前に立ち、顔を見て手を出した。
「セネカ、ちゃんと言っていなかったけど、私たち正式にパーティを組みましょう? あなたは出来るだけ早く金級冒険者になるのよね?」
「うん!」
マイオルの手を握ってセネカが言った。
「マイオルは龍を倒すんだよね?」
「当たり前よ!」
「そして⋯⋯」
『英雄になる!』
二人は目を合わせて笑った。
二人の少女が声を揃えて願った時、夜空の月がうっすらと白緑に瞬いたが、その様子に気づいたものはいなかった。
この日この時、のちに伝説と評される冒険者パーティ『月下の誓い』が結成された。
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また一人、夢を見る仲間が増えました。
第二章:兼業冒険者編は終了です。
次話から第三章:銅級冒険者昇格編が始まります。
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