第9話 おにぎり弁当、問い質す同僚
「おはようございます」
出勤したのは朝礼二分前、八時四十八分。いつも昼飯を買いにスーパーに寄っていた時間が削れたのだが、やはり家を出た時間が遅かった。
「珍しいですね、こんなにギリギリなんて」
森谷さんが会釈とともに尋ねてくる。
「……ああ、朝ごはん、ちょっとゆっくり食べ過ぎちゃいまして……」
一瞬、どう言うべきか迷ったが、わざわざ嘘をつく必要もないか。けれど、伊月のことを率先して言うこともない。明かしたところで、相手を困らせるだけだろう。実際、朝飯に時間を取られたわけだし。
「……そうですか」
妙に固い声音。視線も厳しいものを感じる。
む、そうか。社会人としてそんな理由で遅刻しかけたのかってことか……。なるほど、確かにアウトだ。一介の社会人として、時間調整はしっかりしないと。森谷さんはやっぱり真面目だなぁ。
午前中はDTP作業に当てることにする。ちょっとしたカタログデータの修正。ちょうどゆっくりやれば三時間ほどで終わる作業だ。細かな文言の修正やら、商品画像の置き換えやらをしていると、脳みそが中を勝手に整理し始める。
まさか、結果的ではあるにせよ、俺の人生で女を家に連れ込むことになるとは……。もちろん、あのまま放置はできなかった。まるで捨て猫みたいな言いぐさだが、保護した方が絶対よかった。今思えばノリで動いていたところもあったが、後悔はない。
けど、心配事はある。俺が言い出したことだから、もし不安が現実のものとなっても受け止める覚悟はある。
言ってあと二日だけだ。とりあえず、日野にだけ知られなきゃいい。あいつ絶対うるせーからな。
ずずっと、ブラックコーヒーを啜って集中、目の前の仕事に専念する。
「あれ?」
気付くと、二時間ほどで作業が終わっていた。なるほど、これが朝食のパワーか。集中力が違う。……えーと、次は何しよう……。
予定を繰り上げて、いそいそと仕事をする中、時計の針が十二時を回った。
「……さて」
二十名しかいない中小企業に、食堂などあるわけがない。外に食べに行くか、自席で音楽やら動画やらを見ながら済ますかだ。俺はいつも後者。
カバンから白い紙袋を取り出し、中を検める。爆弾でも入っているわけでもないのだが……なぜか背筋が伸びてしまった。ああ、女子から弁当を渡されることなどないからか。ほっとけ!
セルフツッコミは置いといて、中はタッパーが一つ。おにぎりがきれいに平行四辺形を作るように入っていた。上に二つ折りの紙切れが載っている。
『ごま塩と青菜だよ。急だったのでこれ以外用意できなくてごめんね』
末尾にハートマーク。何がごめんね、だ。ギャルのクセに律儀すぎだ。いつものカップ麺か割引総菜パンに比べたら、はるかにありがたすぎる。
「お弁当ですか? 珍しいですね」
袋からタッパーを出したところで、コンビニ袋を提げて森谷さんが戻ってきた。
「う、うん、たまにはと思いまして」
「なんか、浅井さん今日は違いますね。髪もきっちり整ってますし」
「え」
そんなところまでチェックされていたのか。いや、俺が身だしなみを気にしなさすぎなんだ。
まじまじと俺を見る森谷さん。なんだろう、そんなにいつもと違うのだろうか。
「……浅井さんって、一人暮らしでしたよね?」
「そ、そうですけど」
「あ、何か落ちましたよ」
袋から落ちた白い紙切れ。律儀に拾ってくれた。森谷さんは一瞬止まって、こちらに手渡す。
開いたままだった。ばっちり、中を見られた。いや手紙自体は見られたところで恥ずかしいものではない。痛いことが書いてあるラブレターでもないし。ハートマークはちょっと恥ずかしいけど。
だが……とっさに伊月の存在を面倒くさがって隠したせいだ。ちょっと嘘をついたことになる。厳密には一人暮らしとは言えない。だからか、森谷さんは明らかに眉を顰めていた。同僚がどこで誰といようが関係ないが、意味不明な嘘をつかれるのは、確かにいい気はしないよな……。
「あー……」
リカバリーはきかない。正直に話すのが一番か。ただ、伊月はなんだ? 同棲ではないし、居候という軽い関係でもない。ルームシェア相手では期間が短すぎるから……。
「……実は今同居人がいて、もろもろやってくれまして」
「へえ……」
即、平坦な声で返された。なんか怖い、怖いよ森谷さん。
「……同棲、ですか?」
プライベートなことだ、広まるとまずいと考えたのだろう。身を乗り出して、声を潜めて尋ねてきた。
「いや、そういうのではなくて」
「……隠さなくても大丈夫ですよ」
目が大丈夫じゃない。じとっと湿った視線。とげとげしい。
そんなにムカつくのかな? つかなくてもいい嘘をつくヤツは確かにいるし、イラっと来るのも分かるけど。
でも実際、同棲とは違う。保護しただけで愛が通じてるわけじゃない。
「ほんとに違うんです。あくまで同居人で……」
そう答えると、森谷さんは俯いた。すぐ「ごめんなさい」と顔を上げて身を引く。
「立ち入ったこと聞いてしまいまして、すみません」
にこっと一笑。普段の顔に戻る。だが、瞳の奥の剣呑さは消えていなかった。
なるほど。
時間、身だしなみ、嘘……ほんと俺、社会人として良くないな。
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