翻弄される楚の国

 さてしんよりの見方から見た、『疑惑ぎわく』については見てみましたが、の言い分もあるでしょう。ちょうどその間の出来事がまとめられた文章を、『史記しき屈原くつげん列伝れつでんに見つけたので引いておきます。


 屈原の出自しゅつじについてははぶいて、その箇所かしょのみ抜き出させていただきます。


 屈平くつへい(屈原)が退けられたのち、その後に秦はせいとうとしましたが、齊は楚と親しくしていましたので、秦の惠文王けいぶんおうはそれをうれえて、張儀ちょうぎいつわって秦を去らせ、おくりものを厚くし人質をゆだねて楚につかえさせ、進言させました。


「秦はたいへん齊を憎んでおります、齊と楚は同盟しておりますが、楚が心からく齊とつことができれば、秦はしょうの地、六百里を献じようと望むでしょう」


 楚の懷王かいおう貪欲どんよくで張儀を信じて、遂に齊と絶交し、使者を遣わして秦にゆかせ地を受け取らせようとしました。張儀はたばかって申しました。


「儀が懷王様に約六里を与えることは聞きました、ですが六百里を与えるとは聞きませんでした。」と。


 楚の使いは怒って去り、帰って懷王に告げました。懷王はそれを聞いて怒り、大いに軍をおこして秦をちました。秦は兵をはっして楚軍をち、大いに楚の軍をたんせつやぶり、斬首ざんしゅすること八万、楚将・屈匃くつかいとりことし、ついに楚の漢中かんちゅうの地を取りました。懷王はそこでことごとく国中の兵を発してその軍で深く侵入して秦を撃ち、藍田らんでんに戦いました。がそのことを聞いて、楚の本国を襲いとうに至りました。楚兵はおそれ、楚の軍は秦より帰ることになりました。さらには齊は怒って楚を救わず、楚は各国からの圧力に大いにくるしみました。


 明年つぎのとし、秦は漢中の地をいて楚に与えて和をうてきました。楚王は言いました。


「地を得なくてもいい、どうか張儀を得て心をなぐさめたい」


 張儀はそれを聞いて、そこで言いました。「一人のが漢中の地に当たるのであれば、わたしは楚にゆきたいとおもいます。」そして楚にゆき、またえんをたどっておくりもの政事せいじつかさどる者である重臣の靳尚きんしょうに厚く贈り、詭弁きべんを懷王の寵姬ちょうきである鄭袖ていしゅうにふるいました。懷王は最終的に鄭袖の言うことを聴き、また張儀をとき放って去らせました。是時このとき、屈平(原)は既にうとまれており、さらに重要な位におらず、齊に使つかいしていました、帰ってきて反命はんめいし、懷王をいさめて言いました。


「どうして張儀を殺されなかったのですか?」


 懷王は後悔し、張儀を追わせましたが追いつきませんでした。


 その後のことです、諸侯がともに楚をち、大いに楚をやぶり、その将軍・唐眛とうばつを殺したのは。


 時に秦の昭王は楚と婚姻こんいんしており、懷王と会おうとしました。懷王は行こうとしませんでした、屈平は申しました。


「秦は虎や狼のような国でございます、信ずるべきではございません、行かないにこしたことはありません」と。(『史記』楚世家せいか?、『通鑑』では昭睢しょうすいがこの言を発したことになっている)懷王の稚子ちし(末っ子)の子蘭しらんが王に行くことをすすめました。「どうして秦とよしみを絶ちなさるのですか!」懷王は最終的に行くことになりました。

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