序章 戦国時代の幕開け
歴史を知ってください(晉の分割)
ここから、しばらく秦が歴史に現れるまでの『資治通鑑』の内容を紹介します。興味のない方は、第1章からお読みください。
ハーバードのビジネススクールの講義を調べていて、その中に『歴史学』の博士の教授がたくさんいることに、驚いたことがあります。ビジネスで成功した人物や現代史の分析にたけた教授、それらも『歴史学』に含まれていたのです。
またラテン(ローマ文化)の教養はヨーロッパ社会に深く根付いていると聞いたこともあります。歴史とは奥の深い学問だと思います。
これから取り上げる時代の移り変わりは、
春秋時代は『春秋左氏伝』などの本に描かれた時代で、これら『春秋』に関する本は日本でもかなり読まれていて、この時代の話を好きな人には時々であいます。
これからする話は、その『春秋左氏伝』にも記載がおそらくわずかしかない、その春秋時代の終わりと、戦国時代の始まりの、時代が移り変わるころの物語です。
なぜこの物語をするか?
それはこの時期から説明すると、後のことが分かりやすいと思ったからです。また『資治通鑑』が物語をここから起こしているからというのがあります。司馬光の礼、分、名に対する説や、この時代の始まりにあたっての意見も、あとには載せて考えていただく材料にしています。
春秋の終わり、戦国の始まりを分けるのは、だいたい
晉の分割は悪ととらえられます。それは崇高な春秋時代の終わりであり、周王朝の勢力が衰え、下剋上が起こった時代です。司馬光は確かに批判しています。
しかしそれは中国が秦という王朝にまとめられる過程の時代であり、英雄たちの時代でもあります。
ここではその晉の分割に重要な役割を果たした人物、
趙襄子の生き方は、ライバルであった
晉という国は春秋時代の大国でした。
戦国時代の前、春秋時代には、
晉の国の
智襄子とは、その晉の国の卿(家老?)の名門に生まれた人物です。
その父は
名族が興るも、滅ぶも、それは人にあります。優秀な人物がリーダーになればその一族は起こり、無能な人物がリーダーになれば国は惑います。智氏もそのような代替わりを迎えようとし、智宣子は後継者を決めようとしていました。
智宣子が息子の
「悪いことはいわない、妾腹ではあるが、
智果は訴えました
「さもないと智氏は滅びてしまう」
智宣子は、なぜかを聞きました。
「瑤の人より
智果は語りました。
「智襄子が人より賢る点を挙げてみよう。
1つ目、あいつは美しい、美男子だ。
2つ目、あいつは戦争がうまい。弓を射たり、馬車を
3つ目、
4つ目、文が
5つ目、性格は強い意志があり果敢で、勇気がある。」
「いいじゃないか、それだけ美点があれば跡取りにしてもいいだろう」
「いや、だめだ」
智果はここまで美点を上げて、そして言いました。
「このように優れているのに
「仁」とは、孔子が説いて最も重要視した徳でした。それを一概に論じつくすのは難しいですが、一つには「相手にまごころを尽くし、相手のことを想いはかる徳」(「
ともかく、智果の見たところでは、智襄子にはこの『仁』の徳がなかったのです。
「ああ、この五つの賢る点がある。人より能力は
しかし、智宣子はその言葉に従いませんでした。『聴かず』と記されています。
智宣子は、智果が
そして、智氏の中に智襄子の本質を知る人物は、いなくなったのです。
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