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 自分と世界は独立していない。世界に見放されたら生きていくのはしんどいし。だからみんなこの世界に組み込まれながら生きている。

 世界の仕組みはいろんなルールによって構築されていた。たとえば絶対に人の意見を否定しない、とか、絶対に人を憎まない、とか、絶対に褒める、とか、人の死を絶対に悲しむ、とか。だから偉い人の演説なんかは全員が肯定するし、派閥もないし、どんな映画もおもしろいって感想だけがあふれてる。

 表面的で無難。昔はそう言われていたらしいし、人類が恒常的になるって否定意見も少なくなかった(って教科書に書いてあった)。だけど、だれも傷つかない言葉だけをつかえば、だれにとっても居心地がよくなるって多くの人が気づいたんだ。それに恒常的のどこが悪いのかはよくわからない。Macは今でもじゅうぶん便利だし。

 言葉による過ちを繰り返してきた先人から、人類はいろんなことを学んでる。その学びをいかさず過ちを犯す人間は出来損ないで、言ってしまえば人類の敵。敵をつくらないためのお薬とかワクチンとかナントカが出回ってるってたまに聞くけど、そんなの兄のツイートくらい痛い噂だ。だれだって傷つきたくないって思うのは当然のこと。だからみんな自主的に居心地のいい世界をつくってる。その世界に乗り遅れたら、たしかにそれは最後の人類ってことになるよね。


 兄がMacを買ったのは彼が十七歳のときだった。はじめて兄が自らなにかを得ようと行動したことは、深夜に父の財布からクレジットカードを盗んで勝手に買い物をした事実に目をつぶれるくらい、両親にとっては称賛に値する行為だった。だからたくさん兄のことを褒めたけど、やっぱり部屋から出てこなかった。

 トイレか風呂でしか部屋から出ない兄が、ぼさぼさの髪と髭を揺らしながら届いたMacを部屋に持っていくのをみたとき、あたしの口から、汚い、という言葉がこぼれた。そしたら少しうれしそうにしていて不気味だった。

 乾燥肌でよく顔を掻きむしっていた兄の皮膚は昔からぼろぼろで、皮や垢を教室にまき散らしていたという話を両親から聞いたことがある。わざと怒られるようなことをしていたみたいだけど、だれも兄を怒らなかった。やさしさを否定した兄は一体、どんな世界を望んでいたんだろう?


死ぬより眠るほうがいい。そのほうが誰かが起こしにくる可能性があるからな。おれは眠る。だれも起こしにこなかったら?永遠に眠るだけ。人間がいる夢をみたい。それにしても誰かって誰だ?


 自分と世界は独立していないけど、自分がいなくなっても世界は変わらないっていうのは嫌味だ。兄のフォロワーの一人である「本当に必要なものは一体何か?私たちはこのままでいいのか?真実と自分を探る旅。毎日動画配信中!」のアカウントは、本当にしっかり毎日動画を配信していて、もう七十五日目になった。~真実と自分を探る旅~というパワーポイントでつくったようなフォントがはじめに表示されて、きっかり十五分で終わる。田舎暮らしのおじさんが山中での暮らしを発信してるけど、結局この人が伝えたい真実がなんなのかはわからない。ときどきとってつけたように、「私たちは自然そして人類を愛するために生まれてきた、これこそ真実。ううむ、これにて退散(決め台詞)」なんて言ってるけど。愛って発言がすごく軽薄に聞こえてコメント欄をみると、「愛。いい言葉ですね」と書かれていてびっくりした。全然思ってないでしょ、って突っ込みたくなるくらい薄っぺらい言葉にみえる。ただとにかくこうして、この配信者は兄が死ぬ前と死ぬあとでまったく変わらず真実と自分を探している。動画のなかの顔はいつでも楽しそうだった。兄が死んだところでやっぱり世界は変わらないんだなって思う。

 

おれは絶望している。誰か気づいてるか?洗脳されてる。本当におまえは人間か?

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