スープがぬるい

村崎

1

そうして人類は永遠の眠りについた。


 兄の最後のツイートをみたとき、きもちわる、と思ったのが正直なところだった。だいたいアカウント名が「アラントイン@この世界から消える者」って痛すぎる。アラントインって、自分がつかってた保湿クリームに配合されていた成分の名前だろ。フォローはゼロ、フォロワーはたった四人しかいないアカウントで、しかもそのフォロワーだって、「会える人募集♡本当だよ♡」とだれかに会える日が本当にくるのか謎のアカウントが一人、「簡単に稼げる方法教えます!メルマガ購読してください。みんなで幸せになりましょう!oku-kasegu@……」とこの時代にだれがメールなんてつかうんだよ時代錯誤もいいとこと突っ込みたくなるようなアカウントが一人、「ひみつのはなしをします」とだけ書いてありプロフィール写真も設定していない鍵アカウントが一人、「本当に必要なものは一体何か?私たちはこのままでいいのか?真実と自分を探る旅。毎日動画配信中!三十二日目」というどこにでもあるような文章をのせているアカウントが一人とか終わってる。

 兄が死んでMacをもらえるということになったときはよっしゃーと思ったけれど、いざ立ち上げてみるとどうにもこのマシンはいけ好かない。今までWindowsしか使ってこなかった弊害だろうか、電源ボタンをさがすのに時間がかかるし(デザイン重視で場所がわかりづらい)、コントロールキーがみつからないのも腹立たしいし(コマンドってなんだよ)、英数変換キーを何度たたいてもかな変換にならなくてストレスがたまる(かな変換キーが別にあるとは盲点)。

 どうせあたしはユーチューブかツイッターくらいしかみないのだから、本当はMacだろうとWindowsだろうとどっちでもよかった。ただ、家族共用の古いデスクトップパソコンより大画面で画質もきれいだし、やっぱりMacのほうが「できる」ってかんじがするし、いけ好かなさだってそのうち慣れてどうでもよくなるんだろう。


 アラントイン@この世界から消える者こと兄の山田太郎は、生きるのが下手な人間だった。あたしの物心がついたとき兄は十二か十三歳、そのころからすでに、彼は人間の出来損ないと思われていた。

 兄とは会話がままならなかった。話しかけてもだいたい無視、たまに口を開けばこちらを罵倒する。身内とすらうまく会話ができないし、いつもなにかに怯えていて、近づこうとすると叫んだり逃げ出したりしてだれの手にも負えなかった。

「おまえら全員気持ちが悪い」

 両親、学校の先生、クラスメイト、それから近所のおじいさんやおばあさん、兄がお世話になっている皮膚科の先生までもが兄のために全員家に集まって、兄にまともな会話をさせようとたことがある。こちらを拒否する兄をだれも怒らなかったし、やさしく根気強く説得しようとしたけれど、結局兄はその一言だけを放って部屋に引きこもるようになってしまった。


全員人でなし。おれは最後の人類だ。おまえら誰も人間じゃない。そうだロボット、出来のいいロボットだ。誰も気づいていないのか?おれしか気づいていないのか?それならもういい。もういいんだ。準備はできた。こういう終わりだ。次で最後。そうして、


 Macのブラウザに保存されていたのは、兄自身のツイッターのページのみだった。遡ると宇宙人に頭改造でもされたのか、というような支離滅裂なツイートがあふれている。ほとんどは恨み言のようだけれど、なにを言いたいのか謎。というか更新頻度が一日五十回とかで、部屋のなかで兄は一体なにをしていたのか最後までだれも知らずにいたけれど、ツイッターしてただけかい。たとえば地球をメツボーさせるウイルスをこっそりつくっていたとか、人類を暴力化させる動画をサブリミナル効果で流しまくる装置がマウスを動かした瞬間作動するとか、死んでからわかる兄のすごかったことが出てくるかなーと少し考えていたのに、痛いツイートしか出てこなくて、それもだれにも届いてなくて、結局兄は兄だったんだなって。


なぜ誰も疑問を持たない?怒らない?本心を言わない?機械的な言葉にはうんざりだ。その目でおれをみるな。機械みたいな目でみるな。ここはどこだ?誰か教えてくれよ。誰もいないのか?


 どうやら兄は、自分以外の人間を全員ロボットだと思い込んでいたらしい。それがこの世界を受け入れなかった兄の処世術だったんだろう。あたしたち人間と世界は独立していない。切っても切れない存在なんだ。でもそれは決して厄介なことじゃない。仕組みさえ受け入れれば、世界は居心地のいい場所をあたえてくれる。


Goodnight, world


「なんだか急に、静かになった気がするわね」

 夕食中に母が言った。ぽつり、というオノマトペがよく似合うつぶやきだった。そのつぶやきは食卓に並ぶ三人分のトマトスープに落ちていく。なぜか我が家ではトマトスープがよく出るのだ。今は夏で暑いのに、熱いスープを飲まされる。表面をかきまぜると、玉ねぎとマカロニ、とろんと溶けかかっているトマトが所在なく揺れた。

「そうだな。やっぱり、さみしいよな」

 父もスープに声を落とした。あたしはそれをスプーンですくって飲む。いつもどおり味が濃くて正直まずい。でも食べないといけないからマカロニと玉ねぎを一緒に口に入れた。視線を感じて顔をあげると、母があたしをみながら涙を流していたのでぎょっとした。

「後悔してるわ。もっとできることがあったと思うのに……」

 母は肩と手を震わせて、下唇をぎゅっと噛んでいる。その肩を父が抱き寄せ、びっくりするくらいやさしい声を出した。

「みんな同じ気持ちだ」

 みんな、というのにはあたしも含まれているんだろうか。含まれているんだろうな。両親が兄のことを話しているのはわかっていた。けれどあたしには二人がなにを言っているのか完璧には理解できなかった。

 静けさは兄が生きていたときと少しも変わらない。だって兄は、ずっと部屋に引きこもって物音なんてめったに出さなかった。むしろ兄が生きていたときのほうが静かだった。父も母も不自然なほどしゃべらなかったんだから。まるでしゃべったらまずいと思っているみたいだった。その証拠に、ときどき口を開くと「やっぱり出来損ないだから」とか「悪いのは全部あいつなんだ」とか、兄を悪く言う言葉が出てきた。そのたび二人は不測の事態が起きたというふうに、慌てて口を閉じていたけど。それに比べれば、兄が死んでからの両親の声は、悲しそうにしていてものびのびしていてどこかあかるい。

 理解が及ばなかった兄から解放されてうれしいはずなのに、悲しむふりをする両親は兄の言うとおりロボットにみえた。そういうふうにするもの、とプログラミングされているロボット。たしかに死んだ人の悪口をいつまでも言うなんて人でなしってかんじだし、悲しむほうが正しいってわかってる。けれど兄を出来損ないって決めて見放した事実はなくならないのに。あたしは兄を嫌いなままだけど、父も母も、死んでから兄のことを好きになったみたい。兄のことをどうでもいいって思ってるのは、なぜかあたしだけになった。

「ねえいつも思うんだけど、このスープ少し味が濃くない? 調味料、なにが入ってるの?」

 肩を寄せ合って一枚の絵のようになっている両親に言う。なるべくやわらかい声色を出したのに、そこだけ雨が降ったみたいに二人の顔がどろどろ溶けた。数秒前まで美しさすら感じる表情で兄を悼んでいたのに、今度は未知の生物に出会ったというような戸惑った顔で、あたしをじっとみている。

「どうして今そんなどうでもいいことを言うんだ? 太郎が死んだというのに」

 本当にわからない、という口調。そんな父と母をみて、Macのキーボードに指を沈める動きを思い出した。コマンド+オプション+カーソルキー。さくっとタブを切り替えるみたいに、父と母の顔は瞬時に変わる。あたしが二人を操作しているんだって錯覚する。

「だって考えると余計悲しくなるでしょ。どうでもいいことを話していないと思い出しちゃうから」

 試しに溜息と悲哀を含ませながらそう言ってみると、やっぱりタブが切り替わった。父と母は今度は菩薩みたいな顔になって立ち上がり、あたしをそっと抱きしめる。わあ、ゲロ吐きそう。あたしまで父と母がつくる一枚の絵に組み込まれてしまったのだ。タイトルはそうだな、「兄よ永遠に」とか?

「おまえもつらいよな。そういう理由があったんだな。わかってあげられなくてごめんな」

 人の心を理解できるよう、AIの技術は日々進化してきたのだと聞いたことがある。あたしを理解しようと肩を抱く父と母の手からは温度を感じられなくて、たしかに人間じゃないな、なんて思った。


だれもかれも人間じゃない。おれは生まれてくる世界を間違えた。気持ち悪い。全員同じことを言ってくる。本心を言ってるやつは?人間はおれだけなのか?

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