少年少女

冬野ほたる

少年少女


 あれは小学校二年生のときだった。

 クラスにアメリカからの帰国子女の転校生がやってきた。


 先生に連れられて教室に入ってきた彼は、さらりとした黒髪の、きりっとした目元が印象的な少年だった。彼は神経質そうに、気難しそうに眉間をしかめていた。

 今なら、もしかすると、初めての慣れない場所に緊張していただけなのかもしれないと考えることができる。しかし当時のわたしは、そのしかめられた眉間に、彼に近寄りがたい雰囲気を感じとった。

 それと同時に、一種の羨望とでもいうのだろうか。憧れにも似た、そんな気持ちも抱いたのだ。

 それは彼が帰国子女だということにも起因していたのかもしれない。

 なにしろ地方の田舎の小学校にやってきた、アメリカという外国からの転校生。

 それだけで、わたしたちとは違うなにかを知っているように思えた。なにかわからないけどスゴイ、というような、キラキラとしたものを感じたのだろう。


 すぐに彼と仲良くなったのは、クラスの学級委員を務めていたお調子者で人気者の男の子だった。

 楽しそうにふざけ合う彼らを、わたしはどこか羨ましく眺めていた。

 正直にいえば、彼と話をしてみたかった。テレビでしか見たことのない、アメリカという国に住んでいた彼の話を聞きたかった。

 しかし、彼に話しかけることはできないでいた。

 最初に感じた近寄りがたい雰囲気は、かなりを潜めていたのだが……。

 彼は眩しく映っていた。

 それに比べてわたしは、愛嬌もなく、可愛くもなく、勉強もできるわけでもなく、運動などはからっきしで、足も遅かった。

 そんなわたしなどが、にこにこと彼に話しかけられるわけもない。


 そうこうしているうちに日々は過ぎて、席替えの時期がきた。

 彼はわたしの斜め前の席になり、彼の後ろの席はお調子者の学級委員だった。

 つまり、空間を挟んだわたしの隣の席が、学級委員の席になったのだ。

 

 わたしは緊張していた。

 緊張しながらも、もしかしたら話せる機会があるかもしれないと、少しばかりの期待をしながら。

 しかし、その機会はなかなか訪れなかった。


 そしてあの日。

 それは図画工作の時間におきた。


 その授業は確か、好きな風景をくというものだった。

 各々が机の上の画用紙に、自分の心に残った景色を描いていた。

 下書きが終わり、絵具で色をのせていく。

 彼は早くに描き終わり、画用紙を持って、後ろの学級委員に見せるために振り向いた。

 顔を上げていたわたしにも、彼の描いた絵が見えた。

 外国の街並みがえがかれていた。

 日本の田舎の店とは明らかに違う、色彩。

 建物の看板には英語でCafeだか、Coffeeだとか書かれていた。

 

 その絵は彼と同じように、きらきらと輝いて、とても眩しく思えた。

 わくわくドキドキと心が踊るようなときめきを覚えた。

 わたしの知らない外国の景色。とてもステキだと思った。


 思わず、口から言葉がこぼれて話しかけていた。

 「それ、英語だよね?」と。


 そのときの彼の表情の豹変具合は、今でもはっきりと思い出せる。

 さっとわたしに向き直り、眼光を鋭くし、眉間を神経質そうに寄せて睨んだのだ。

 そして強い口調で非難するように言った。

 「なんだよ。英語じゃいけないのかよ」

 

 わたしはびっくりしてしまった。

 驚いて、とっさになにも言うことができなかった。

 その怒気を含んだ強い口調に萎縮してしまった。怖いと思った。

 わたしは英語が悪いなんて一言も言ってはいない。

 そんなつもりで発した言葉ではない。

 それなのに、なぜ?

 すると、隣の学級委員はすぐさま彼に同調した。

 わたしを避難するために、大きな声をあげる。

 「そうだよ。べつに英語だっていいだろ」

 

 その大声に、周りの子たちがどうしたのだと、振り向いた。

 わたしはその視線が恥ずかしかった。

 その子たちの目には、わたしが悪者だった。

 彼はわたしをじっと睨んでいた。

 違う。悪いなんて言ってない。

 ただ、絵がステキだと話しかけただけ。

 それを伝えようにも、頭の中が真っ白になってしまった。

 口が動かず、なにも言えなかった。

 彼の憎悪を剥き出しにした目が怖かった。

 そして、ひとしきりわたしを睨むと、ふいと興味を失ったように顔をそむけた。

 わたしは下を向いた。

 そのときに初めて、同じ年の子に「恐い」という感情を覚えた。

  

 それからは、彼らをなるべく視界に入れないように過ごした。

 うっかり目でも合おうものなら、め付けられているような気さえしていた。

 彼らからわたしに話しかけてくることはなく、わたしも彼らに話しかけるような真似はしなかった。

 あの日から、彼はきらきらとした眩しいものではなくなった。ただの、恐ろしいものになっていた。


 学年が上がる前に、彼は家族の仕事の都合でまたアメリカに戻ることになった。

 お別れ会の日に学級委員は泣いた。クラスの半分くらいの子たちも泣いていたかもしれない。

 しかし、わたしはほっとしていた。

 もう意図的に、彼を視界に入れないように過ごさなくてもいいのだ。

 彼を恐ろしいと思う気持ちから、解放されるのだ。


 それから一年も経たないうちに、お調子者の学級委員も同じように、家族の仕事の都合で都会に越していった。

 二人がいなくなったことで、わたしの心は軽くなった。

 胸の奥の重いかせが弛んで、少しだけ自由になったように感じていた。


 六年生になり卒業式を控えるころ、少し早い謝恩会という名目で、担任の教師とクラスの生徒が、小学校近くのバーベキューができる会場に集まった。

 その場には、お調子者の学級委員がいた。

 彼を見付けた途端に、胸がぎゅっと痛くなった。

 なぜ、彼がここにいるのか? 転校したはずなのに。

 

 彼はわたしにとっては、すでに部外者だった。


 しかし、生徒の人数もクラスの数も少ない田舎の小学校では、彼は未だに部外者ではなかったのだ。

 転校してからも連絡を取り合っていたクラスの子が、彼を謝恩会に招待していた。

 

 わたしは学級委員が来ることを知らなかった。

 知っていたら謝恩会には出席しなかったのに。

 

 わたしは彼とは距離をとり、近づかないようにした。


 それなのに、お手洗いから戻る途中の廊下で、向こうから彼が歩いてくるのがわかった。

 わたしは一人だったが、彼も一人だった。

 

 どうしようかと思った。

 廊下は一直線で隠れられる物陰もない。

 わたしは彼と、なすすべもなくすれ違うしかなかった。

 

 「よう。元気だった?」


 耳を疑った。

 彼はすれ違うときに、手を挙げて屈託のない笑顔でそう言った。

 

 わたしはなんと答えてよいかわからなくて、「うん」とだけ返した。

 混乱していた。

 本当の気持ちをいえば、返事もしたくなかった。

 彼を存在していないことにして、聞こえなかったことにして、無視したかった。

 しかし、わたしの中のこうあるべきだという常識と、幼い社交性がそれを否定した。

 それをしてしまえば、なんて心の狭い人間なのだと、自分を責めてしまうだろう。そして、自己嫌悪に苦しむことになる。そんなことになりたくはない。

 しかし、「うん」と返事をしたことで、わたしは自分の心を裏切った。

 わたしにはまだ、自分の心を護るだけのしたたかさは備わってはいなかった。


 学級委員との会話はその一言だけ。

 そのあとはまた距離をとり、謝恩会は終了した。

 

 学級委員とはそれ以来会うこともなかった。

 アメリカに戻った彼のほうは、のちに日本に帰国したと風の噂で聞いた。

 もちろん会うことなどない。




 今ならわかる。

 わたしの、「それ、英語だよね?」という言葉は、帰国子女の彼にとっては、「なんで日本語で書かないの?」という意味に聞こえたのだ。

 彼は英語を流暢にペラペラと話していた。日本語も普通に話していると思ったが、もしかすると、日本語にコンプレックスを持っていたのかもしれない。

 だから、わたしの言葉をそう捉えた。

 わたしによって傷つけられた彼は、当然だという信念を持って、わたしに反撃したのだ。

 あのとき、いつもの無愛想な話し方ではなく、もっと愛嬌のある声で話しかけることができていたら。



 彼はあの日のことを、今でも憶えているのだろうか。

 わたしに傷つけられた、哀しみと憎しみを憶えているのか。

 それとも、つまらないことだと、憶えてさえもいないのか。

 

 わたしは思い出すと、今でも胸が締め付けられる気がする。

 それほどまでに衝撃的で決定的なできごとだった。

 

 謝恩会の日に話しかけてきた学級委員はどうなのだろう。

 「悪い者」であるわたしを、正義感というグローブで叩き、彼に加勢したあの日は、日常の一幕にすぎなかったのだろうか。

 そして、どういうつもりで謝恩会の日に、わたしに声をかけたのか。

 懐かしさからなのか。

 お調子者で人気者の「俺」だからか。

 憶えてさえもいなかったからなのか。

 はたまた、なんの意味もないのか。




 わたしはもう、少女ではない。

 

 もし、今、再び彼らに会うことがあっても、顔には作った笑顔を浮かべて、あの日のできごとを話すこともできるはずだ。

 あの日に。

 彼がわたしの言葉の意味を取り違えて怒ったことに対して、誤解を解こうとする台詞せりふもすらすらと口から出てくることだろう。なんだったら「ごめんなさい」とも、神妙な表情で伝えることができるかもしれない。

 心の中で痛みを覚えながらも。


 そして彼もまた、すでに少年ではない。

 それを聞いた彼は、あのとき、俺はこう思っていたなんていうことも話してくれるかもしれない。

 あるいは、わたしのように心の中を隠しながら「俺もごめん」とでも微笑むのかもしれない。


 とっくに少女ではなくなったわたしの性格は悪くなった。というよりは、世間に揉まれて、ボロ雑巾のようにすれた。

 自分を護るためにずるいこともたくさん覚えた。

 これを成長と呼び、大人になったというのだろうか。


 はっきりと言ってしまうのなら、彼らのことはそれでもやっぱり、嫌いだ。

 あのできごとを引き起こしたのが、わたしの言葉が原因であっても。

 わたしが彼を傷つけたとしても。

 お互いの未熟さ故の結果だったとしても。

 同じように彼はわたしを傷つけた。

 たとえしこりを解いたとしても、それは年月を経て心の中で錆びて、抜けなくなってしまったのだから。


 勝手ながら、彼もまた、同じことを感じていればいいのにと思う。

 そうであれば、わたしの中の罪悪感が少しだけ洗い流されて、薄まるような気がする。


 久しぶりに反芻した記憶に、そんなことを考えた。


 ああ、わたしたちは本当に幼かった。


 痛みを覚えながらもそれを苦く噛み潰し、その味をどこかで懐かしんでもいる。

 かつて少女であったわたしの中には、そんなわたしも確かに存在しているようだった。

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