146話 秘密を分け合うひと
夜も更け始めた頃、デウスプリズンに戻ってきたので中に入った。朝出たときとほとんど変わりなく、安心した。
カトラスさんは客室にいるかもしれないと思ったのだが、ヴィータは一直線に書斎に向かった。
「カトラス? ────って、何しているのですか!」
書斎のドアを開けたヴィータが、すぐに声を荒げた。僕も驚いて、一緒に書斎を覗き込む。
僕たちは、筋骨隆々な初老の男が書斎で身体を鍛えている場面に立ち会ってしまった。息と声を荒げながら腕立て伏せをしているのだ。
「うおおおお!! あの女狐めぇぇぇ!! 次会ったらあの苛立たしい顔を鉄槌で叩き潰してくれるわぁぁぁ!!」
血走った緑の瞳を見開き、何か恨み言を叫びながら一心不乱に腕立て伏せをしている。僕たちが戻ってきたことにすら気づいていない。
ヴィータはすごく不機嫌そうな顔で、腕立て伏せをしているカトラスさんの背中を思い切り踏んづけた。
「うおぁぁ!? 誰じゃ、わしのトレーニングを邪魔する奴は────って、帰ってきたのかえ」
「書斎でトレーニングするなんてバカですか!? 汗臭くなるでしょう!」
「わかったわかった、足をどけぃ! 動けないじゃろ!」
ヴィータが足を引っ込めて、カトラスさんがやれやれとしながら身体を起こす。いつの間にか机に置いていた布で、たくさんかいた汗をふき取った。
「すまんのう、クリム。結構長引いていたようじゃったから暇になって、自主トレをしていたんじゃ」
「は、はあ……」
「お主ら、何か食べてきたかえ? 弁当が届いていないようじゃが」
「……あ、そういえば」
もう夕食の時間だということをすっかり忘れていた。繁華街であんなことが起きたばかりだったし、悠々と食事できる雰囲気でもなかったので、昼から何も食べていない。
神兵の配達弁当が届いていないのも、街に異常が起きたせいで、神兵や運び神たちの機能が麻痺しているからだろう。
「こんなこともあろうかと、客室の方に食事を用意しておいたわい。ここにはあまり使っていない厨房があったじゃろう」
食事をどうするかという話になったとき、カトラスさんが書斎から出ていった。僕たちを客室に連れていき、ソファで挟んだテーブルに置いた料理を見せてくれた。
チキンにサラダ、スープといった料理が、まだ温かそうな状態で並べられている。僕とヴィータの分だけ置いてあるように見えた。
「デウスプリズンに厨房なんてあったんですね。わたし、全然気づきませんでした」
「お主らはいつも配達弁当じゃったからな。あやつもあまり使っておらんかったし、たまにはいいじゃろう」
ここは中央都市から結構離れていて、デウスプリズンのみで一通りの生活が送れるように設置されている。とはいえ、僕はほとんど料理ができないので、配達弁当に頼ってばかりだったけれど。
「さあ、冷めないうちに食べてしまっておくれ」
「カトラスさんはもう食べたんですか?」
「そうじゃ。トレーニングを始める少し前に食べたのでな」
僕とヴィータが向かい合って座り、食事に手をつける。僕はとりあえず、チキンをナイフで切って食べてみた。
ソースの味が程よく肉に染み込んでいる。食べ終わる頃には味が口の中に濃く残りそうだった。
食事を終え、僕たちは書斎に移動する。ヴィータはいつものようにベッドに座り、僕は自分の机の椅子に座る。カトラスさんだけは、書斎の端に立って腕組みをしていた。
「何かあったのじゃろう? 聞かせてくれんかの」
「元よりそのつもりです。クリム、こちらも情報共有を兼ねて話しましょう」
「わかった」
カトラスさんに生誕祭での出来事を話すという形で、僕とヴィータも生誕祭での事件についての整理を始めた。
今、アイリス様は意識不明の重傷だ。身体にひどい損傷を受けているというのに、それを治すことのできる人物はまだ見つかっていない。
祭りにもたらされた被害はそれだけではない。一部の一般神たちが、急に「おかしくなった」。性格が豹変したり、深刻な場合は他の神に襲いかかったりなど、滅多に起こり得ない事態が起きていた。
奇妙なのはここから先だ。おかしくなった神たちが、街から忽然と姿を消していたのだ。
「そういえば、クリムは『カフェに調査をしに行く』と言っていましたよね。あれは結局何だったのですか?」
「カフェに調査に行った理由は、繁華街から一部の神が姿を消したって話と直結しているんだ」
神たちがおかしくなった原因自体は、もう掴んでいる。繁華街でカフェ店員をしていたトルテさんという女神が作ったスイーツに、何かが仕掛けられていたらしい。生誕祭限定のスイーツを食べた神たちだけに異変が起こり、居合わせたユキアを襲おうとしたため、メアと一緒に神たちを昏倒させたのだ。
神たちのことを気にかける余裕がなかったとはいえ、カフェから全員が一気に姿を消すなんておかしい。
「恐らく、シファとノーファが裏で動いていたのじゃろう。昏倒させられたという神たちも、繁華街に現れた魔物か、もしくは二人と関係する複数人によって連れ去られた可能性が高いと思うぞ」
そう言ったカトラスさんは、意外なことに驚いておらず冷静だ。
シファはわかる。だが、ノーファという名前に聞き覚えはなかった。
「カトラスさん。ノーファって誰ですか?」
「シファの姉じゃ。あやつもかなり厄介な相手じゃよ、シファとは別の意味でな」
「あと、おかしくなった神たちが連れ去られたってどういうことですか? 魔物が神を連れ去るなんて変です」
「そうじゃな。普通ならば、魔物は神を攻撃して命を奪おうとする。じゃが、それはあくまで自然発生した魔物の話……シファとノーファはどういうわけか、魔物を作る術を持っている」
繁華街に大量の魔物が現れたとき、シファが「おれと姉さんで作った」とか「失敗作」だとか言っていた。つまり、繁華街に侵入した魔物は普段キャッセリアに現れるものとは別の存在なのだろう。
それにしては、僕の神幻術であっという間に消し飛ばせたのだけど……たまたま普通の魔物と変わらなかっただけだろうか。
「普通の魔物は、誰かの命令を聞き入れるようにできていないのでしょう。あいつらが作った魔物はそうじゃないと仮定して、一体どこへ連れ去るのか……」
「その答えとなる場所なら、わしとティアルが知っておる」
なぜか、このタイミングでティアルの名前が出てきた。彼女は生誕祭の間、魔特隊の総指揮官として警戒や見回りを行っていたはずだ。
「実は前々から、キャッセリアの繁華街に怪しい場所があったのじゃ」
「怪しい場所?」
「随分と昔から放置されている教会を模した建物があってな。その地下に謎の施設があった。ティアルたち魔特隊が突撃した頃には、もうもぬけの殻になっておったが……あれは『隠れ家』じゃった」
カトラスさんの話の流れからして、その隠れ家にシファとノーファが潜んでいたのだろう。もしかしたら、魔物もそこにいたかもしれない。
どうやら、ティアルたちは生誕祭が開催されるタイミングでそこへ突撃しに行ったらしい。そのときであれば、向こうの警戒が薄れる可能性があったからだ。
だから、あんなに慌てていたのかな……。
「それじゃあ、あいつらはその隠れ家を放棄して、またどこか別の場所に身を潜めているということですか」
「多分、そうではないかのう。その新しい隠れ家に、連れ去った神を閉じ込めているのかもしれん」
「……そうだとしたら、本当にひどいですよ」
思わず、膝の上で拳を強く握りしめていた。生誕祭を利用して神を連れ去るなんて、何が目的なのかさっぱりわからない。
カトラスさんは目を開き、書斎のドアへと向かった。
「状況は大体わかった。アイリスの容態を見に行こう。わしはここで失礼するわい」
「わかりました。カトラス、ここで何か変わったことはないですか?」
「特にない。あの封印もずっと維持されたままじゃから、安心せい」
書斎のドアが開き、閉まる音だけが虚しく響いた。その場に、僕とヴィータだけが残される。
ヴィータは書斎のドアを眺めながら、ため息をつく。
「……クリム。さっき、アリアのことも話していましたよね」
「うん」
カトラスさんには、アリアが自らリミッターを解除し、暴走した末にヴィータが気絶させたことも話していた。
アリアのリミッターが解除された結果、百年前の出来事のせいで人格が変わったアリアが表に出てしまった。リミッターがある状態よりも戦闘力が高くなるから、そうするしかなかったし僕も止められなかった。
「けれど、あなたがアリアの現状をどうにかしようとしていることは話していなかった。もしかして、カトラスにも知られたくないことなんですか?」
あまりの鋭さに、何も言えなかった。
カトラスさんはアイリス様と深く繋がっている。僕のやっていることを知られたら、アイリス様にもすぐ伝わるだろう。
「まあ、仕方ありません。アリアのことはわたしも気になりますし、協力しましょう」
「えっ? ヴィータが?」
「なんですか。何か問題でも?」
顔は普通だったが、口調が明らかに不機嫌になった。
「言ったでしょう。あなたにわたしを突き放す権利などありません。『厄災』の件もありますし、あなたに死なれては困るんですよ」
確かに、ヴィータの言う通りではある。僕のやっていることがアイリス様にバレたら、アリア共々処分するとすでに明言されているのだ。
僕がいなくなったら、ヴィータはきっとここから出られなくなる。まだ僕と出会う前、この牢獄の奥でずっと眠っていたときのように。
「それに、あなたにはお兄様とユキアもいます。どうしても行き詰まりを見せたら、二人にも話してみたらどうですか」
「話したところでわかってくれるかな?」
「さあ。お兄様はバカですし、ユキアもあなたほど頭が良いわけじゃないので、相談するならまずはわたしにしてほしいですけどね」
この子、やっぱり言葉が冷たい。前々からそうだけど。
だけどその分、嘘偽りもないから安心できる。僕もせめて、彼女たちに対しては正直でありたい。
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