145話 終わりを告げた夜
*
────現代という時代が始まってから三百年。神々の住む箱庭「キャッセリア」を治める最高神の生誕を祝う祭りが、突如として終わりを迎えた。
誰もが、明日も祭りを楽しんで笑っていられると思っていた。重大な事件が起きてしまうまでは。
「……やっぱり、あれだけの騒ぎになったら、犠牲者も出てしまうんですね」
セルジュがとても物悲しく呟いた。
生誕祭が開催されてから、初めての夜が訪れていた。雨はいつの間にか止んでいた。僕はヴィータとセルジュと一緒に、おかしくなった神たちの安否を確かめるべく繁華街中を捜索していた。
緊急事態ということもあり、本来ならミラージュが複製した神兵が巡回や警備をしているはずだった。しかし、神兵らしい存在は一人も街を闊歩していない。おかしくなった神の中にいたか、別の理由で行方不明になっているのだと思う。
行方がわからなくなっていた神は、六人ほど見つかった。すでに事切れた状態で。
「ラケルさん……いえ。今は、レイチェルさんとお呼びすべきでした」
六人の遺体の中には、紅紫色のピエロ──レイチェルさんもいた。かつてはラケルと名乗り、あらゆる神々を悩ませてきた彼女が、今は少しも動くことなく地面に横たわっている。
今は眠っているように見えるけれど、見つけたときの彼女の顔はとても安らかとは言えないものだった。戦争の後に見つける遺体というものは、いつだって見るに堪えないものだ。
「……もう夜も遅いです。今日は一旦、ここで捜索を切り上げましょう」
「ええ!? ぼく、まだ探したいです! にーさんがまだ────」
「夜は視界が悪いですし、敵がどこに潜伏しているかもわからないんですよ」
ヴィータは涼しい表情を崩さず、相変わらず淡々とした口調だった。セルジュは納得いかなさそうな顔で唇を噛み締めつつも、「わかったです」と力なく答えた。
「しかし、遺体をここに放置するわけにもいきませんね……クリム、神の遺体は普段どこに収容されるのですか」
「え……白の宮殿、だけど」
「宮殿に運べばいいんですね? なら、行きましょう」
本を懐にしまい、ヴィータは一気に二人の遺体を抱えて歩き出した。僕たちよりも小さな身体だというのに、どこにそんな力があるのやら……。
担架の類はすぐに用意できないため、僕とセルジュも二人ずつ抱えて運ぶことにした。レイチェルさんは、セルジュに運んでもらう。
宮殿の方へ歩いていく間、僕たちは何も言葉を交わさなかった。というより、何も交わすことができなかったのだ。
「クリム! 現場の調査終わったの?」
宮殿の入り口に向かうと、真っ先にユキアが現れた。僕たちの様子を察したのか、彼女の表情も曇っていく。
「ユキア……あの騒動で死者が出た。その中には、レイチェルさんも」
「レイチェルさんが!? 嘘でしょ!?」
とりあえず、遺体を宮殿の中に運び入れる。安全ではなくなった繁華街から一般神たちが宮殿に身を寄せていたために、遺体を見てざわめくのがわかった。
地下へ向かう階段を使い、遺体安置室になっている部屋へ運び入れる。地下は比較的涼しく、むしろ寒く感じるほどだった。
遺体を並べ終えたときには、ユキアはすすり泣いていた。レイチェルさんのそばで涙を流すユキアの肩に、セルジュがそっと手を置いた。見れば、彼の左肩にのみ生えた翼も震えている。
「せっかく、レイチェルさんとは友達になれたと思ったのに……こんなの、あんまりだよ……!」
「ぼくも、同じ気持ちです……また、魔特隊の仲間を失ってしまいましたから……」
僕は、二人をどうやって慰めればいいかわからなかった。
レイチェルさんは、アイリス様が倒れていた建物の瓦礫の中に埋まっていた。近くに固有の武器であるピンも転がっていたし、死ぬ間際まで戦っていたのだろうと思っている。
「あなたは泣かないんですね、クリム」
ユキアとセルジュが泣きじゃくる様子を見ていた僕に、ヴィータが小声で話しかけてくる。
遺体を探し続けていたときから、胸はずっと痛い。動かぬ神を見つければ見つけるほど、胸の痛みは増すばかりだった。だけど、涙は少しも出てこなかった。
「……変だと思うでしょ。こんなだから、冷酷な断罪神なんて思われるんだろうね」
「変ではないですよ。わたしを見てください」
いつもと変わらぬ調子で言う彼女の顔は、遺体を運んでいたときと同じ。涼しい表情だった。涙も、こぼれているようには見えない。
「わたしも、感情の起伏がとても乏しいんです。涙も流せない、冷血な女なんですよ」
「……そんなことないんじゃないかな」
泣きたくなるほど苦しいのは事実だった。でも、ユキアとセルジュが泣いているのを見ていると、自分は堪えていたいと思ってしまうのだ。
僕たちはユキアとセルジュにそっと話しかけて、二人を連れて地上に戻ることにした。遺体安置室の隣の部屋に、水道が通っている場所があるので、そこで手を洗ってから階段を上った。
地下の空気は当然だけど、地上もどこか淀んだ空気のように思えた。
「あっ、ユキア! クリムも来ていたのか」
エントランスに向かうと、メアとティアルに会った。どうやら、アイリス様とアリアを無事運び終えたようだ。
「メア、ティアル! アイリスとアリアはもう運び終わった?」
「おう。アスタが様子を見てくれてるぜ。メアから聞いたけど、カルデがどこ行ったかわかんないって? 一体どうなってんだよ……」
信じられないといった表情を浮かべるティアルは、すごく余裕がなさそうだ。
夜に街を捜索している間も、カルデルトのことは見つけられなかった。向こうが歩き回っていれば、なかなか見つけることはできないだろうし、まだ生きていると考えたい。
「クリム、トゥーリ見てないか?」
「見てないけど……来てないのかい?」
アリアは気絶しているとはいえ生きているし、把握している限りだとカルデルトとトゥリヤの行方がわかっていない。
アーケンシェンは、アイリス様とともにこのキャッセリアを統治する役目がある。なのに、ここまでバラバラになっていると、本当にユキアから「おふざけ集団」と呼ばれかねない気がしてきた。
「とりあえず、カルデとトゥーリがどうしているのかを把握しないといけないな。行方不明になった奴らの捜索を任せっきりにするわけにもいかねーし……」
「そうだよ。シオンもソルも、オルフさんもナターシャ先生も探さなきゃいけないのよ!?」
ユキアは躍起になっているようで、今にも宮殿を飛び出しそうな勢いだった。
だが、ティアルは目を閉じて首を横に振る。
「今、魔特隊や他に手が空いている奴で安否確認を進めている。もはや繁華街は安全とは言えねぇ、今日はここで過ごした方がいい」
「……わかってる。こんな状況で家には帰れないよ」
みんな、冷静なふりを装っているだけで、落ち着けるはずもない。
今日だけで、一体どれほどの出来事が起きたのだろう。僕たちはただ、祭りを楽しむつもりだった。こんな破滅的な出来事を望んでいたはずじゃなかったのに。
「すまねぇ。私たちが力不足だったばっかりに」
俯いたティアルの目が、前髪で見えなくなる。力不足、という言葉に当てはまるのは僕も同じだから、何も言えなかった。
僕たちの表情があまりにも暗かったからか、ユキアが少し慌てだすのがわかった。
「そんな……こればかりはアーケンシェンの責任じゃ」
「ユキア、レーニエとステラが宮殿にいる。二人のことが気がかりだったんだろう、会いに行こう」
「あっ、そうだった! ごめん、ちょっと行ってくる!」
ユキアは僕たちに軽く手を振ってから、メアと一緒にどこかへ走り去って行く。
僕が口を開く前に、ティアルが顔を上げた。
「クリムとヴィータは、デウスプリズンに戻るんだろ? セルジュはどうするんだ?」
「えっと……どうしましょう」
「事態が落ち着くまでは白の宮殿にいた方がいい。さっきティアルも言ってた通り、繁華街も安全とは言い切れなくなったし」
僕たちが昼間に大方処理したとはいえ、小さい個体が潜んでいたり結界などものともせず侵入してくる可能性もある。今は大丈夫でも結界に異常が出てくることも考えられる。
その状態で神たちがバラバラになるよりは、宮殿に身を寄せておく方がまだ安全だと思った。宮殿自体に一般神が寝泊まりする施設が備わっているわけではないが、普段は使われない部屋がいくつかある。
「そう……ですね。ここにいれば、死ぬことはないと思いますし」
「では、わたしたちはこれで」
「ティアル、みんなをよろしくね」
「ああ。二人も気をつけてくれよ」
セルジュとティアルに見送られ、僕たちは宮殿を後にした。
*
「あっ、ユキアおねーちゃん! メアおねーちゃん!」
「ステラ!」
メアと一緒に宮殿の廊下を歩いていたとき、聞き慣れた声が私たちを呼んだ。その方向を向いてすぐ、彼女は私に抱き着いてきた。
私たちの元に走ってきたステラに怪我はなさそうだ。ただ、緊張の糸が途切れたのか、小刻みに震えて泣きそうになっている。
「ちょっとステラ様!? いきなり走って────あ、ユキア!」
ステラの後ろから、黒い執事服の男──アルバトスもついてきた。彼と無事に合流できたんだ、それだけですごく安心できる。
「あんたたちも平気そうだな。お疲れさん」
「あ、レーニエ君……」
ミルクティーブラウンの長髪の少年が、私たちに労いの言葉をかけてくれる。アルバトスと合流してからも、例の運び神の少年はずっとステラについていてくれたようだ。
それだけに、私は彼に対してとてつもない申し訳なさを感じている。
「あの……ごめんなさい。トルテさんが……」
「なんとなく、そんな気はしてた。あいつら、俺から見てもヤバそうだったし。俺はそもそも戦えないし、あんたたちに文句を言う資格なんかない」
運び神は、基本的に非戦闘員である。戦えないことはわかっていた、だから彼にステラを逃がしてもらったのだ。
代わりに私がトルテさんを助けるつもりだった。それなのに、全力を出す隙すらなかった。それが悔しくて悔しくてたまらない。
「姉貴と、それからシュノーとレノは中庭にいます。会いに行きますか?」
「ううん、とりあえず後で行く。アルバトスは、私たちの無事を二人にも伝えておいて」
「わかりました。って、ステラ様……?」
ステラは私から離れようとせず、逆に離すまいとしがみついている。それどころかすすり泣いている。
「ユキアおねーちゃんたちは、いなくならないよね……? トルテさんみたいに……」
「っ!」
必死にしがみつくステラを抱きしめながら、私は後悔の念に苛まれていた。
シオンとソルがおかしくなった現場に居合わせ、知らない神に何度も襲われて。まだ大人になっていないこの子に、あんな惨状を耐えられるわけがない。私が守り切れなかったせいで、余計な傷を負わせてしまった。そう考えてしまう。
それだけじゃない。守り切れなかったひとだっていた。私の手の届かないところだったとはいえ、レイチェルさんは死んでしまった。後悔してもしきれない。
「あのさ。あんまり気負いすぎない方がいいんじゃないのか」
「レーニエ君?」
「誰にだって、やれることの限界ってもんがある。俺みたいな運び神が戦えないのと同じ。あんたが無理して何かあったら、この子にもっと悲しい思いをさせる。そんなの不本意だろ」
ぶっきらぼうで、無愛想な印象のあるひとだ。その本質は本当に人間らしくて、現実をよくわかっている。
理想論を追っているだけでは、無謀なだけ。私は助けられなかった後悔ばかりを気にして、生き残ったひとのことを考えずに行くところだった。
へこたれている時間なんてない。アスタは私にそう言ってくれた。
「そうですよ。ユキアもメアも、まだ大人になったばかりの子供なんですから。あまり私たちを心配させないでくださいね」
「も、もう子供じゃないんだからやめてよ! ……でも、レーニエ君もアルバトスも、ステラもありがと」
「……別に、あんたが後悔したって、俺は知らないけどな」
レーニエ君は素っ気なく言うけれど、私は嬉しかった。決して独りじゃないって実感できる。
ステラが私から身体を離したので、私も抱きしめるのをやめた。涙の跡が残っているにもかかわらず、笑顔を浮かべようとしていた。
「これからどうするんだ、ユキア?」
「宮殿にも怪我人がいるって、ヴィータが言ってた。私、そのひとたちを助けたい。それなら、ステラも安心でしょ?」
「うん、大丈夫! ごめんなさい……わがまま言っちゃって」
「いなくなるのが怖いって思うのは仕方ないことだよ」
なんだか、いつの間にかステラが強い子になったなぁ、と感じた。
昔は世界のことなんて何も知らない、悲しいことなど経験していなかった。それゆえに、ひとたび悲しい出来事が起きれば壊れそうになるほど泣いていた。
きっと、私の知らないところで経験をたくさん経験を積んでいるのだと思う。私も、もっと強くならなきゃ。
その前に、私にしかできないことをしよう。カイザーのように、困っている誰かを助けられる神になれるように。
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