140話 Treachery

 *


 土砂降りの雨は、未だに止むこともなく降り注いでいる。

 繁華街にある、少し高い建物の屋根。地上からでは死角になりやすい位置で、片翼の天使──ジュリオは、自身の武器である白い狙撃銃を構えていた。

 ピンクゴールドの短い髪と金色の瞳、白い軍服のような服装が特徴的な彼は、天使の女を狙っていた。今は彼女も気を失っており、地面で動いているのは天使の少年と銀髪の観測者の少女だけだった。

 これ以上は狙っても無意味だ────そう判断し、ジュリオは銃を下げた。


「あら、エンゲル。こっちも終わってしまったの?」


 いつの間に現れたのか、白いドレスの観測者──ノーファがジュリオの背後に立っていた。

 エンゲルというのは、ある集団に属するジュリオへ与えられたコードネームであった。エンゲルとして行動するとき、普段は白いローブを着ていたのだが、今回はキャッセリアにより自然に溶け込むために、あえて何も隠さぬ姿で行動していた。


「先ほど、シファ様が離脱しました。そちらはうまくいきましたか?」

「ええ。ピオーネの薬が切れかかっていたから、また作って飲ませたわ。しばらくは大丈夫でしょうけど、念のため別の箱庭で様子を見た方がいいかもしれない、ってところね」

「そうですか。そちらにはリコリスもいたと思うのですが?」

「リコリスは吹っ飛んでしまったわ。あのユキアって神の力で、だいぶ遠くにね。自力で戻って来られるでしょう」

「……なるほど」


 ジュリオは、過去にユキアと彼女の仲間に対峙したことがあった。神隠し事件が解決に近づこうとしていた頃、ジュリオはノーファと敵対している観測者を殺すため、彼女たちに奇襲をしかけたのだ。

 ただ、ジュリオの力を以てしても、ユキアのそばにいた観測者を殺すことはできず、その箱庭にいた「魔物グラウンクラック」も倒されてしまった。ジュリオにとって、魔物を倒されるなんてことは想定外だった。観測者のそばにいたユキアという若い女神こそが、その魔物を倒した張本人だったということも。


「シファったら、アーケンシェン相手なのに舐め腐った戦い方をしたのね。本当、バカな弟だわ」


 ノーファは肩をすくめて見せながら、先ほどまでジュリオが見ていた景色を見つめる。二人の人物を目で追っており、片方は観測者同族だということにも気づいている。


「誰か狙っていたの?」

「あの女です。翼を片方、奪いたくて」

「へぇ、そうなの。というか、予定よりも街が随分壊れてしまったわね。魔物たちに神たちを運ばせておいてよかったわ」

「……アストラルに侵された偽神たちですか。その魔物も、あいつの神幻術で消し炭にされましたけど」

「粗悪品の中でもさらに粗悪品だからいいのよ。そもそもわたくしたちにとって、魔物を作ることは傀儡を作ることに過ぎないわ。傀儡にそれ以上の価値を与えても無意味でしょう?」


 ジュリオの手前に建っていたはずの店が、凄まじい光によって損壊してしまっている。ノーファがジュリオの元に来る前、クリムの神幻術『天帝天誅〈ヒメル・ネーメズィス〉』によって繁華街が広範囲に損傷を受けた。元々、ジュリオは壊れた店の屋根で狙いを定めていたが、神幻術が発動した直後になんとか巻き添えを喰らわぬよう移動したのだった。

 路地裏や建物の陰にひそむ魔物たちは、トルテの限定スイーツを食べた神たちを連れ去っていた。繁華街に人気がなかったのはそのせいで、繁華街にいたクリムたちが魔物の存在に気づかなかったのは、シファが気を引いていたためだ。


「それよりノーファ様、あそこにいる観測者は放っておいてよろしいのですか。前の件もありますし、ぼくはあまり手出しないようにしていたのですが」

「妹は興味ないわ。兄の方が潰し甲斐があるもの」

「それならいいのですが」

「お話はここまでにしましょう。ここでは奴らに勘づかれるし、移動するわよ」


 ノーファに促され、ジュリオは立ち上がり彼女の後を追って走る。屋根の上では地面のように何も考えないわけにはいかず、バランスを保ちながら素早く屋根を飛び移ったりして移動しなければならなかった。

 もう片方の翼もあれば、飛び移るなんて面倒なことはしなくていいのに────ジュリオは、背中にある欠けた感覚を腹立たしく思いつつ移動する。

 その末に、二人は宮殿に近い建物の屋根に辿り着いた。


「最終フェーズよ、わたくしをしっかり守ってね」


 はい、と返事をしつつ狙撃銃を構え直し、ジュリオはノーファの背後に下がる。

 ノーファは屋根に立ち、壊れた繁華街を眺めていた。長い雨が降り続け、雨音しか響かない世界の虚空を仰ぎ、どこか恍惚とした笑みを浮かべるのだった。


「うふふふ。ようやくこの時が来たわ。かの国の地獄を、このキャッセリアで再現してあげる……」


 楕円が刻まれた翠の瞳が、ぼんやりと輝きを放つ。雨で濡れ切ったはずのドレスや長髪が、力を使おうとしているノーファから発生しているアストラルの瘴気によって舞い上がる。


「傲慢たる罪科は天を見ず、煉獄に────」

施錠クラウダンス

 

 謎の声とともに、ノーファの表情が凍る。ノーファを包み込もうとしていた瘴気が急激に薄まり、空気中に消えていく。

 ジュリオはその様子を見て、はっと視線を動かす。何もいないはずの隣の屋根から、ただならぬ気配を感じ取っていた。


「ノーファ様、下がって────」

「はいはい、大人しくしてろよっと」

「ぐぅっ!?」


 何もない場所から鋭いものが現れ、ジュリオの右肩に突き刺さった。気怠そうな男の声とともに投げられたそれは、二本の小型ナイフ。

 屋根の上の空間が僅かに歪み、ストロベリーブロンドの長髪の少女が溶け出るように現れた。身の丈よりも長い金色の杖を片手に、足まで隠してくれる桃色のドレスを着たまま、彼女は二人の敵を睨みつけている。

 その背後には、銀髪と黒いコートが特徴的な中年の男が佇んでいた。彼の手には、ジュリオに刺さったものと同じ小型ナイフが数本握られている。


「ようやく来たと思ったら……なんだか力の流れが悪いわね。それに、エンゲルに刺さったナイフもなんだか変だわ」

「ああ、余計な生命エネルギーは俺がいただくぞ。それにお前さんも、その状態じゃヘンテコな術は使えんだろ」

「なるほど……現代の最高神もなかなかやりますわね」


 ジュリオの顔色がみるみる青くなっていく。しかし、自らナイフを引き抜いたことで、生命エネルギーの吸収は収まる。

 興が冷めてもおかしくないはずなのに、ノーファの声は変わらず楽しそうだった。少女──アイリスと、男──カルデルトは、隣の屋根からジュリオたちのいる屋根に飛び移る。

 

「よくここがわかりましたわね」

「運び神とともに宮殿に飛び込んできた子がおってな、だいぶまずい状況になってることがわかった。彼らにここまで運んできてもらったのじゃ」

「……まあ、他でもないあなたをおびき寄せるために、街で混乱を引き起こしましたからね。全部計算通りです」

「ノーファ様、これ以上の問答は不要です。アイリスを始末させてください」


 ジュリオは狙撃銃の狙いをアイリスの頭へ定める。そしてアイリスもまた、杖をジュリオに向ける。

 見えない火花が散る中、ノーファはただ一人天使のような、はたまた悪魔のような微笑みを浮かべるのだった。


「うふふ、面白くなりそうだわ。それじゃあ、わたくしはあの男と遊ぶから、頑張ってアイリスを殺してね」

「仰せのままに」

「げっ、よりにもよって……アイリス様、俺ヤバいかもしれません」

「死なない程度に頑張っとくれ。『ゼノフォトニック・サンクチュアリ』」


 ジュリオが引き金を引こうとしたとき、アイリスの杖は既に光を放ち、魔法を発動していた。アイリスの周囲が薄い結晶型の光に包まれたが、直ぐに目に見えなくなる。これは、アイリスの固有魔法による結界だった。

 ノーファが銀の斧を両手に構え、カルデルトに突撃する。それが横目に見えたとき、アイリスから金色の魔弾が放たれた。何度も杖が輝いては、ジュリオに向かって飛ばされる。

 単純な動作で回避し、回避できない魔弾は銃身で振り払いつつ、アイリスへ距離を詰めて銃口を向けた。


「ようやく現れてくれたな! お前だけはおれが殺してやる!!」

「〈ノクス・ブラストブレイク〉」


 杖をジュリオに向けたまま、先端に収束させた闇の魔力を爆発させた。直撃したかと思われたが、ジュリオもまた光の魔力でドーム状の防壁を張った。その防壁さえも穴だらけになっていたが。

 しかし、アイリスも即座に杖を向けて詠唱を続ける。


「〈ノクス・チェインバインド〉」


 闇でできた魔力の鎖が複数放たれ、ジュリオへと迫る。身を翻して鎖を回避し、引き金を引いた。神は人間によく似ているのだから、銃であれば殺せると思っていた。

 だが、最高神として君臨する小さな少女は倒れていない。そもそも、弾丸が彼女に届いているのかさえすぐに判別できない。


「さっきの固有魔法か……くそっ!」

「なんじゃ、もう終わりかえ? 〈ヴェントゥス・エアーカッター〉」

「うっ!?」

 

 風の刃を放たれ、ジュリオの右肩の翼を掠る。羽が数枚散り、鋭い痛みが一瞬走っただけで済んだ。

 なぜ、彼女に銃弾が届かないのか。アイリスの戦闘力について、理解が不足していたとしか思えなかった。ジュリオの頭は焦燥感で混乱状態に陥っていく。


「ならば────〈AstroArtsアストロアーツ〉!」


 その詠唱は、異国の言葉のように流暢な響きだった。現実には何も起きておらず、アイリスには詠唱された魔法がどんなものか検討がつかない。


「……無駄な足掻きを」

「うるさいな。くらえ!」


 ジュリオが狙撃銃の引き金に指をかけ、向こうが魔法を行使する前に引く。先ほどまでの焦燥感はどこにもなく、不敵な笑みを作っていた。

 今回もアイリスは倒れなかった。しかし、見えなくなっていた結晶型の光に穴が空き、どんどん広がって結界が溶けていく。ここで初めて、アイリスの顔に動揺が現れた。

 自身の固有魔法による結界を壊した弾丸の正体に、彼女はいち早く気づいたのだ。


「アストラルを操るなど……お主、死ぬ気かえ?」

「お前さえ殺せれば、生きようが死のうが関係ない!!」


 さらに引き金を引き、普通ではない弾丸を再び放とうとする。アイリスは詠唱の時間も惜しく思い、無詠唱でドーム型の防壁を展開する。

 展開して防御態勢に入ったものの、白い狙撃銃からはカチカチと軽い音が聞こえてくるだけで、爆発音もしなければ薬莢が落ちることもなかった。

 ジュリオはあからさまに舌打ちをして、服のポケットからマガジンを引き抜き装填する。だが、アイリスが杖を向けて闇と風の魔力を収束させていることに気づいてしまう。その証拠に、彼女は紫を帯びた黒と緑の光に包まれていた。


「〈ヴェントゥス・イラプション〉〈ノクス・ブラストブレイク〉」

「さっきから闇と風ばかり……くそっ!!」


 暴風が吹き荒れ、そこに収束された高密度の闇が投げ込まれ爆発する。弾丸を装填していたジュリオに、畳みかけられた魔法を防ぐすべはなかった。


「お主も妾が生み出した子じゃぞ? 自分が生み出した神の強みも弱みも把握しとるわい」


 アイリスの魔法の衝撃に耐えられず、屋根が壊れ崩壊を始めた。ジュリオだけでなく、カルデルトとノーファにもその余波が及び、地場が頼りないものになっていく。


「どうせ飛べないじゃろう? 片翼の天使の片割れよ」

「────黙れ!! 『アダマンタイト・アセンブラー』!!」


 ジュリオの左手が光り輝き、手のひらを崩れる屋根に押し当てる。光る手を中心に、屋根が銀白色の金属に形を変え、平らな地面の形になり固まっていった。右側の背中から生える片翼に巻かれた鎖と同じ材質だ。

 金属として固着したことで建物の崩壊は免れたものの、ジュリオは手の光が消えると同時にその場に片膝をついた。いつの間にか呼吸がとても荒いものになり、全身が軋むように痛みを発していた。

 魔力切れの症状に近いが、これはアストラルの力を使った弊害であった。意識を保つために、ジュリオは〈AstroArtsアストロアーツ〉の効果を打ち切るように力を制御した。


「はぁ……はぁ……なぜだ……アストラルさえあれば、殺せると思ったのに……!!」

「まだ終わっていないの、エンゲル? こっちはほぼ潰したわよ?」


 ノーファが腕を振り下ろすたび、ぐちゃぐちゃと鈍い音が響き渡った。彼女が握る斧の先には、血まみれになったカルデルトが倒れ伏している。

 アイリスもジュリオも、お互いの敵を倒すことに意識を注いでいたために、二人の戦況をまったく把握していなかった。


「わたくし、星幽術をすべて封じられてしまっているのですけどね。小さい子供に斧を振り下ろされる気分はどうですか?」

「だから、俺の力は戦闘向きじゃねぇっつってんだろ……!!」

「戦場でそんなものは関係ありませんわ。戦いに来た者はすべて平等なのですよ?」


 カルデルトの意識はまだあるものの、小型ナイフでは少女の身の丈以上ある刃を防ぐことなどできるはずがない。ノーファの白いドレスやきめ細やかな肌が、赤黒い血でみるみる染まっていく。


「カルデルト! 〈ルクス・ブラスト────ッ!?」


 アイリスが詠唱しようとした瞬間、ジュリオが引き金を引く。弾丸が杖を掠り、アイリスの手から弾き飛ばす。銀白色に固まった屋根に杖が投げ出され、取り戻そうと手を伸ばす。

 屋根の縁まで転がった杖は、なんとか落ちず縁に引っかかった。アイリスはすぐにでも杖を取り戻そうとするも、背中を見せればすぐさま撃たれる未来を想像した。

 カルデルトはまだ死んではいないが、到底すぐに動ける状態ではない。アイリスは奥歯を噛み締め、ジュリオを鋭く睨みつけた。


「おのれ……お主を殺す気は毛頭なかったのじゃが。ここまで来たら、処分するしかないのう」

「簡単にやれると思うなよ。おれはもう、生まれたばかりの頃とは違う」

 

 白い銃口は、最高神の額をしっかりと狙っている。杖を手放してしまったアイリスに、ろくな反撃手段は残されていなかった。ジュリオはほっそりとした青年の見た目をしているが、幼女の姿であるアイリスを押さえつけるくらいは簡単にやってのけてしまうだろう。


「お主は、なぜそんなに妾を殺したがっているのじゃ。心当たりがないのじゃが」

「わざわざ教えるほど、おれは優しくない。黙って死ね。それがおれたちの望みだ」


 会話にならない。説得をすんなりとできるとは到底思えなかった。

 固まった屋根の上で、ぐちゃぐちゃと斧が振り下ろされる音ばかりが響いていた。ふと、その場が無音になった時間が生まれる。


「────はぁ。ろくに抵抗もできないなんてつまらないわ。ねぇ、エンゲル?」


 血まみれの斧を持ったまま、ノーファは呆れ果てた顔でカルデルトから離れた。こつん、こつんと靴音を響かせながら、アイリスたちの方へ歩いてくる。アイリスは身構えたが、ノーファが歩み寄ったのはジュリオの方だった。


「ノーファ様……?」


 アイリスの目には、ノーファの行動がとても妙なものに映る。

 血まみれになった白い少女以外、誰も動かない中。困惑した表情を見せながら狙撃銃を下ろすジュリオを、彼女は斧で斬りつけたのだ。

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