ディバイン・レガシィー -箱庭の観測者-

月詠来夏

【箱庭探訪編】第1章「星の輝く箱庭」

1話 人間のような女神

 ────あなたは、神という存在についてどれだけ知ってる?

 万能で尊い存在。人知を超えた不思議な存在。人間を作った存在。多分、人間は神をそう思っている。

 だけど、私は神がそんなに大それたものだとは思えない。

 なぜなら、私もその「神」の一人であって────他の神よりも出来損ないらしいから。


 幼い頃の私は、周りの神のようになれなくて悲しい思いをするばかりだった。なぜ、自分がこの世界に生み出されたのか、誰も教えてくれないしわかることもなかった。

 悲しくて、誰にも会いたくなかった私は、木陰に座ってとある本を読んでいた。それは、遙か昔に生きていたとされる神のお話。

 かつて、この世界には「人間と共存していた神」がいたらしい。その神の名は、カイザー。私が最も憧れるひと。


「────むかしむかし、古き良き時代にあったとある国に、栄華の象徴の王たる神がいました。

 王は同じ神である女王とともに、既に三百年以上の長い間、国を見守っていました。その間に、二人の間には子供が生まれ、カイザーと名付けられました。

 カイザーは、父である王に似て強く成長しました。それでいて、母である女王から受け継いだ優しさと気高さも忘れませんでした。大人になった彼は、父から王の座を受け継ぐことになり、民衆の前でその証を継承する儀式を行いました。

 王の証である冠を身に着け、黒き剣を掲げたカイザーは高らかに誓います。


『俺はこの国に生きる、すべての民を守ろう。神も人間も、異種族も関係ない。我が父から受け継がれしこの剣に誓おう』


 新たな王の誓いと、民衆の高揚と喝采こそが、国の栄華そのものでした────」


 神も、人間も関係ない────そう断言した彼の言葉は、私の生き方を肯定してくれる気がした。

 彼は物語の中の神に過ぎないらしかったけど、私は本当に生きていたって信じてる。

 そして、いつか彼が叶えていた世界を、再び見たい。

 

 ────「神と人間が共存する世界をこの目で見ること」だけが、今の私の生きる意味だった。




「うわあっ!」

 

 ベッドの真横の床に、頭がぶつかった。脚はベッドの上に放り投げられたままで、目をぱちくりさせながら目を覚ましたのだった。見慣れた天井が見えるのはいつものことである。ただ、ベッドから落ちかけているために身体が圧迫されて、息がしづらい。

 

「いったぁ……ていうか寒っ」


 しばらくベッドから落ちたその状態のまま固まっていたが、無論、誰も起こそうとする者はいないので、自力で起きるしかない。

 乱れて絡まった金髪を梳きながら、部屋の姿見に映った自分を見る。青い目は目覚めたばかりで半開きだし、この状態では外に出られない。

 とりあえず部屋から出て、洗面所で顔を洗う。眠気がしゃっきりと覚めて、身体の気だるさが消えていく。

 部屋に戻って寝間着を脱いで、黒タイツを履く。普段着の水色のシャツと青いジャケット、デニムショートパンツを身に着け茶色のブーツを履く。

 紺色のリボンで髪を二つ結びに整えたら、外に出かける準備は完了。

 人間とあまり変わらない、普通の女の子みたいな見た目────でも、私はこの服装が一番気に入っている。

 

「とりあえず、待ち合わせに遅れないようにしないとね」




 私の名前は、ユキア・アルシェリア。呼び名は普通にユキアだけど、アルシェリアというのは、人間でいうラストネームとは少し違う。神としての「役割」や「型番」のようなものを表している。というのも、私を含めた「この街」に生きる者は、全員「神」であるからだ。

 神といっても、この世界における「神」は、恐らく人間が想像する絶対的な存在とはちょっと違う。この世界じゃ、神も人間も割と似たような存在……なのかなって、私は勝手に思っている。

 私は、自分の家がある住居区域から離れ、付近にある「図書館」へ向かっているところだった。今日はそこで、同じ神である親友と待ち合わせしているのだ。

 見慣れた石レンガで舗装された道を歩いていると、赤レンガが積まれた建物が見えてくる。屋上と屋根に代わって、銀色のドームが設置されたこの建物が「図書館」だ。

 焦げ茶色の扉の付近に、すみれ色の髪の少女が立っている。紫のワンピースとジャケットに身を通し、黒いマントを羽織っている。私が近づくと、少女のマゼンタの瞳がこちらに向けられた。


「来たか、ユキア。今日も付き合ってくれるか?」

「もちろんだよ、メア」


 図書館の前で待っていた少女は、メア・シュナーベルという。私の幼い頃からの親友だ。

 二人で扉を開け、図書館に入る。今日は、メアの探し物を手伝うことになっていたのだ。彼女は本を読むのが好きで、読みたい本があるらしい。




「今日は『神隠し』についての本を読みたいんだ。物語でも、報告書でも構わないから一緒に探してくれるか」


 いつもなら顔なじみの司書である神がいるのだけど、今日は用事があるらしく不在のようだ。仕方がないので、メアから探している本を聞いて自力で探すことにした。

 この図書館には、明確な階層が存在しない。図書館全体にぐるりと沿うように設置された螺旋階段があるので、それを使うか魔法で飛ぶかで目的の本棚に向かい、本を探す。私は魔法で飛ぶことができないので、階段を使う。

 私は基本的に暇を持て余しているので、こうして親友や友達に呼ばれたら何かできることを手伝う、という日々を送っている。

 人助けならぬ、神助けという奴かもしれない。ちやほやされたいとか、そういう邪な思いでやっているわけではなく、自分が今できるのはこのくらいだからやっている感じだ。

 本棚を適当に巡っていたら、「神隠し」というワードを含んだ題名の本をいくつか見つけた。それを抱えて、読書スペースに戻る。メアが机に本を積んでいるところだったので、そこに本の山を持っていった。


「ありがとう、ユキア」

「ねぇ、メア。なんで急に『神隠し』なんて調べ始めたの?」

「最近、街を歩いていると結構聞くんだ。ユキアは『神隠し』について、どのくらい知っているんだ?」


 メアは本の山から本を一冊取って開きつつ、そう尋ねてきた。

 神隠しって、確か人間がいなくなることを指すんじゃなかったか。人間の中でも、子供が急に姿を消すことを神隠しというらしい。まあ、言うなれば迷子って奴だね。物語の中ではよく出るワードだ。

 けれど、メアはその神隠しについて知りたいわけではないようだった。


「この世界は、神と人間では生きる場所……箱庭がはっきり分かれているだろう? 私たち神が、神だけが生きる箱庭で過ごしているように、人間も箱庭で生きているじゃないか」


 この世界は、ほんのちょっとどころでなく、めんどくさい状態である。

 私が生まれたときには、この世界は一つではなく、バラバラになってしまっていた。一つの世界が複数に断絶されて、たくさんの「箱庭」に分断されてしまっているのだ。

 例えば、大きな四角の水槽を世界とする。その中に分断された大きな泡がいくつも浮かんでいて、その泡が「箱庭」と呼ばれる分断された世界である────そんなイメージで捉えてくれればいい。

 私やメアはそんな箱庭の一つに住んでいるのだが、この箱庭には神しかいない。逆に、他の箱庭には人間がいるのだ。


「ユキアの言う『神隠し』は、あくまで人間の箱庭における神隠しなんだ」

「どういうこと? 神の間じゃ、神隠しの意味合いが違うってこと?」

「ああ。さっき、街で『神隠し』をよく聞くって言っただろう。神の言う『神隠し』とは、神そのものが突然姿を消すことらしいんだ。それを調べてみたいと思ってね」

「神隠しに遭った神って、どうなるの?」

「さあ。それは本を読めばわかるさ」


 私も神隠しについて書かれた本を手に取りつつ、神隠しについて考える。神が、急に姿を消す……姿を消すという部分は、人間の方の意味合いと同じなんだな。


「毎度思うんだけど、どうして人間と神って区別されているんだろ。私たちも人間も、似たようなものじゃん」

「『神は自らに似せて人間を創った』からだろう。小さい頃から、そう習ってきたじゃないか」

「じゃあ、どうしてわざわざ自分に似た存在を、別の場所に放置しているのよ? 神と人間、よく似た存在同士が同じ世界で生きたって、何もおかしくないと思うんだよね」


 神がどうして人間を創ったのか、人間を創った神とは誰なのか、それは誰も知らない。けれど、この世界のどこかに人間がいるということは、誰もが知っている。

 私は二十年生きてきて、未だに本物の人間を見たことがない。私だけじゃない。この街に生きる神のほとんどが、実際の人間を見たことがないとされている。

 そんな中で、私はいつか人間に会いたい、神と人間が共存できる世界になればいいな、と常々思っている。小さい頃から、この考え方は全然変わっていない。

 けれど────その考え方はこの街では異端だ。


「最高神……アイリス様がよく言っているだろう。神はあくまで『箱庭の観測者』であり、箱庭の中にある他の生命の世界に干渉してはいけない、と」

「それはアイリスが勝手に決めたルールじゃない。あいつは人間が嫌いだからそう言っているのよ。古代のときは神も人間も一緒に生きていたのに、なんで変えちゃったんだろう」


 そう呟いて、はっと口を閉じた。メアが少しだけ悲しそうな顔をしているのに気づいたからだ。


「……あまり危なっかしいことはしないでくれ。私はユキアにあまり苦労してほしくない」

「だ、大丈夫だよ、みんなを心配させるようなことはしないから」


 メアはクールな子だけれど、私のことをすごく心配している。私も、友達をむやみに心配させることはしたくない。

 神と人間の共存とか、古代の話になると、私は熱くなりがちだ。「あの物語」に出会ってから、私はこの癖を直せずにいる。

 他人とは違って、糾弾したりせずに私の考えを受け入れてくれるのが、本当にありがたい。


「古代と言えば、久々にあの本を見つけたんだ。ほら」


 メアが一時読書を中断し、私に差し出してくれたのは一冊の本だった。触り心地のいい手触りに、表紙に描かれた男の神の絵。久しぶりに見たおかげか、ひどく懐かしい気持ちになる。


「『永世翔華神物語』!」


 これこそ、私が幼い頃に見つけた「世界の秘密」そのものだ。古代の歴史をモチーフにした物語なのだが、同時に生き方を教えてくれたものの一つである。

 何回か修復が施されているとはいえ相当古い本らしいから、かなり色あせている。小さい頃に読んだきりだったけれど、これを機に読み返してみようか。椅子に座り直し、本を開こうとしたが────


「……ユキア。聞こえるか」

「え?」


 メアが突然顔をしかめ、声をかけてくる。

 最初は風の音だと勘違いしていた。静寂に包まれていた図書館には、今のところ私たちしかいないはずだ。

 なのに、どこかから轟音が聞こえる。何かが破壊されている音がする。図書館から遠く離れた場所であることは確かだが……。

 この轟音の正体は、ただ一つだけだろう。


「……魔物が出たみたいだね」

「ああ。どうする?」


 そう尋ねるメアだが、彼女の手の中にある本は既に閉じられていた。いそいそと本を片づけ始めた辺り、私が返そうとしている答えもわかっているのだろう。

 それくらい、私たちはお互いのことを理解しているつもりだ。


「行こう」


 本を置いて、もう一度立ち上がる。誰もいない図書館から走り出る足音が、広々とした空間に響き溶けていった。




 青々とした空を見上げつつ、街から離れた草原を走っていた。変わらぬ空気と匂いの中、歪な黒い物体が浮遊しているのが見えた。

 黒と灰の異形は、小さく赤い目を持っていた。魔物の周りの地面は僅かに抉れているが、今は何かを探すように辺りを見回している。

 魔物の形に決まったものはない。ただ、私たちとは違う姿をしている。そのぐらいしか知っていることはない。


「準備はできたか、ユキア?」


 そうだった。武器の確認をしなきゃ。

 右腕を前に突き出し、手のひらに魔力を送る。周囲の魔力と自分の魔力が手のひらへ収束させ、混ざり合った黄金の光を刃として形作り、固める。軽く鋭い黄金の片手剣こそが、私の武器だ。

 私たちは神のみが使える、神が開発した魔法を使っていろいろなことができる。その一つが、詠唱不要の簡素な魔法〈武器保管術〉。自分の武器は常に自分の魔力に変換して最低限の質量で持ち歩くことができ、戦うときは素早く武器を顕現させることができるのだ。

 隣を駆けるメアの手には、既に拳銃があった。黒い長めの銃身に銀の装飾が施されており、日光に照らされ輝いている。


「いつも通りでいいな。とどめは頼むぞ」

「うん!」


 すみれ色の長い髪が少しずつ遠のいていく。やがて、足先に魔力を込めて高く飛び上がっていった。銃口が魔物へ向けられたことで、奴はこちらに気づいた。

 魔物の気を引いてくれたところで、このまま背後に回り込むことにした。背中に目がついていないなら気づかれまい。


「やあっ!」


 剣を振りかざし、異形の背を深く切り裂く。黒くどろりとした液体をまき散らして、魔物は咆哮する。

 無意識に距離をとった。私が立っていた場所に、鈍く光る触手が叩きつけられる。草が潰された土が丸見えになった。


「お前の相手はこっちだ! 〈ノクス・ブラストブレイク〉!」


 銃口から紫をまとう魔力が放たれ、魔物を巻き込み爆発する。不気味な体液を至るところから垂れ流しつつ、浮き沈みを繰り返している。

 苦痛で暴れている隙に、こちらは高く飛び上がる。剣を両手でしっかり握り、振り上げる。


「〈ルクス・ランスクラッド〉!」


 自身の剣に光の魔力をまとい、刃を振り下ろした。巨体を縦に斬り裂いたとき、大きな手ごたえを感じる。

 二つに分かれた異形が崩れていく。後に残ったのは、黒々とした大量の体液だけだった。

 一仕事終わった気分だ。深く息をついたら、高揚感を覚える。剣を一旦魔力に変えてしまい込む。


「やったよ、メア!」


 久しぶりの達成感とともに、両手を前に向けながら駆け寄った。にこりと微笑みながら私と手を合わせてくれた。


「よくやったな。少し久しぶりだったが、動きも鈍ってなかった」

「いつもサポートありがとうね。私ももっと頑張らなきゃ」

「ゆっくりでいい。私はユキアの助けになれれば────っ!」


 息をのんだと思ったら、細い腕が私の身体を抱きしめていた。地面に二人して転がり込んだときには、旋風が髪をさらっていく勢いで吹き荒れた。

 メアの頭でよく見えない。だが、何が起こったのかは察した。


「伏せろ、ユキア!」


 まもなく魔銃の発砲音が耳をつんざく。私たちの頭上には、やはり黒と灰、そして小さく赤い目の異形が浮かんでいた。だが、さっき倒した魔物とはまた別の種類だ。触手や身体の形が違うし、先の種類にはなかった尻尾が生えている。

 発砲音とともにメアの身体が離れた。もう一度剣を召喚して起き上がり、すかさず叩きつけられた触手を斬り裂く。

 しかし。


(あ、やば────)


 剣を振りかざしきった頃には、別の触手が私のすぐ真上に迫っていた────


「おらあぁ!!」


 目をつぶっていたら声がした。目を開けた頃には、触手が私の横に落ちていた。

 断ち切られた跡を見たら、銃でできるようなものではなかった。しかも、かなり見覚えがある太刀筋。

 これは……斧で断たれた傷だ。


「ったく、ぼうっとしてんじゃねぇぞユキア」


 そう悪態をつきながら現れたのは、茶髪と金色の瞳の少年──私の幼なじみだった。

 不機嫌そうにこっちを振り返っているから、助けられた側なのに腹が立つ。


「お前、よくもユキアを……!」

「落ち着いて、メア。シオンが助けてくれたから」


 血相を変えて銃を構える彼女を諫めるように、緑の魔導書を片手に抱えた緑髪と青翠の目の少年が現れる。

 黒のアンダーリムフレームの眼鏡が特徴的な奴だから、横顔を見たらすぐにわかった。


「ソル……」

「シオン。行くよ」

「言われなくとも!」


 魔導書がぱらぱらと捲られていく中で、茶髪の少年──シオンは一人魔物へと立ち向かっていく。両手で戦斧を握り、飛び上がったところで大きく振りかざした。


「うらぁ────って、え?」


 魔物が身を翻し、刃を回避する。ちらっと間抜け面が見えた。


「ちょっ!? なんだこいつ避けやがって! ふざけんな!」

「落ち着いてシオン。〈ヴェントゥス・チェインバインド〉」


 気の抜ける叫び声とともに落下するバカに代わり、魔導書を開いたソルが前に出る。

 風を纏った魔力の鎖が何本も放たれる。またたく間に鎖が魔物を捕らえ、地に引きずり落とした。


「やっていいよ」

「っしゃあ! 今度こそくらえーっ!!」


 再び飛び上がったシオンは、もう一度戦斧を振り下ろした。今度は外すことなく、的確に魔物を真っ二つにできた。

 先と同じく、異形は崩れてただの黒い液体となった。これ以上魔物がやってくる気配は、今のところなさそうだ。

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