聖女様に耳かき<下>
「――ですから、サユリさんも他人と自分を比べる必要などないのです」
「はひ、ありがとうございます……ぐすっ」
あの後、ソニア様にめっちゃ慰められた。
優しい。この人、めっちゃ優しい。その慈悲深さたるや、まさに聖女様。まさにチート。こんな素晴らしい人と私如きを比べてしまうなんて……ぐすっ。
「ありがとうございます。少しだけ勇気が持てました」
「それは良かったです」
「はい。ソニア様と比べれば、私なんてミドリムシですから」
「ミドリムシ?? あの……よく分かりませんが自分を卑下する必要は……」
「いいんです。モブの私なんてミドリムシでも過分なくらいですから」
「モブ? ミドリムシ??」
形の良い眉を寄せてソニア様は困惑する。そんな表情さえも魅力的だ。圧倒的な母性。何と言う女子力。これが真のヒロイン
「評価していただけるのは光栄ですが、わたくしはサユリさんが思っているほど完璧な人間ではありませんよ。現にわたくしは自分の力を持て余して、こうしてカラッシニ老師に相談に来ているのですから」
「?」
よく分からないけど、完璧超人であるソニア様にもやっぱり悩みはあるらしい。そして「悩みのない人間なんていませんよ」と言って柔らかに微笑む。ああ、何と言う奥ゆかしさ。これこそまさにヒロインだ。
それに比べて私の存在価値なんて、すり潰して、掻き混ぜるだけだ。強いて言うなら、あとはこれくらいだろうか?
机の上に置いてあった耳かきの手を伸ばしてため息をついた。
「それは何ですか?」
「ああ、これは耳か……ええっと、耳を掃除する道具です」
「耳を掃除?」
一瞬だけ怪訝な顔をする。しかし何かを思い出したのかソニア様はハッと目を見開いて私に向き直った。
「ああ、老師が言っていた……サユリさんのことだったのですね」
「たぶん……って、何を聞いたんですか?」
「新しい内弟子にお耳を綺麗にしてくれる子がいると」
「で、弟子!?」
「ええ、違うのですか?」
「あ、いや……」
先生からすると、それこそ野良犬でも拾った感覚で引き取ってくれたんだと思っていたら、ちゃんと対外的にも弟子扱いしてくれてたんだ。ちょっと驚いた。
妙な感動を覚えていると、ソニア様がずぃっと顔を近づけて来た。
「ええっと……?」
あれ? なんだろ? 目がキラキラしている。
っていうか、近づくとやっぱりいい匂いが……
「あの……ソニア様?」
「サユリさん」
「は、はい」
「そのお耳の掃除というのを私にもしていただけませんか?」
「え? ソニア様にですか??」
「ええ、老師も絶賛されていました。少し興味があります」
悪戯っぽく微笑む。その笑顔がまた神々しい。ソニアたんってば、マジ神。
ああ、でも……
「いや、初めて会った人に耳かきなんて緊張しちゃいます。それにもしも手元が狂ってソニア様に何かあったら……」
「気にしなくても大丈夫ですよ」
「いや……」
いやいや、いやいや、大丈夫じゃないでしょ。この国の要人に何かあったら責任問題だ。
カラッシニ先生? いや、あの人も要人だけど、あの人耳かきで突き刺したくらいじゃ死なないでしょ。ここは何とか断って――そう思ったとき、ソニア様がさらにずいっと私に近づいてきた囁いた。
「お願いします」
「でも……」
「サユリさん、お願いします」
もう一度囁く。
甘える子猫のような愛らしい声だ。
「お願いします」
もう一回言われた。
おねがいします、おねがいします、おねがいします、おねがいしマス、おねがイシマス………うへぇ~、甘い声が脳味噌に浸み込んでいく。何かこの声、気持ちいい。
ヤバい、
カワイイ。
超カワイイ、ソニアたんはカワイイ、ソニアたんは最高、ソニアたんは正義、L・O・V・E、ラブリーソニア♡
頭のなかに桃色の
そして、それが晴れると私は即答していた。
「えっと……じゃあ、ちょっとやってみますか」
「ええ、お願いします」
ソニア様の笑顔が輝く。ああ、この笑顔も神々しい、マジ神。
どうやらソニア様の世界にも耳かきの習慣はなかったらしい。それを知った私はいつもカラッシニ先生を耳かきするときの長椅子に移動してから手招きする。
普通に考えたら、いきなり耳の穴に棒を突っ込まれるなんてホラーな光景だ。だけどそこは聖女様。私に害意がないのを見抜いたのか、興味深げに耳かきを眺め私の隣に座る。
「お手柔らかにお願いします」
清楚な女性が悪戯っ子のように微笑む。女性同士だから、そういう意味でも警戒心は薄かったのだろう。だけど当の私は、あまりに無防備に近づいてきたソニア様にちょっとだけドキドキしてしまった。
「どうかしましたか?」
「イイエ、ナンデモナイデス」
「そうですか?」
そう言って小首を傾げる姿もコケティッシュ。しかも近づくとさらにスゴイいい匂いがする。ヤバい。変な性癖に目覚めそうだ。
開きそうになった新たな扉を無理やり閉じた私は改めてソニア様の横顔をみる。
うわ~、睫毛長いな。これ盛ってないよね? カワイイ、ソニアたん可愛すぎる、うへ~、ソニアた~ん……ハッ、いけない。また新たな扉が開きかけた。
「その棒を耳の穴に入れるのですね?」
「え!? あ、ああ……そうです」
ヤバッ、一瞬意識が飛んでた??
ドギマギしながら説明する。
最近では口にすることも少なくなってきた、地球の、日本の話だ。
「私の生まれた国では、そういう風習があって――」
私の拙い話にソニア様は、頷き、相槌を打ち、反応する。
「なるほど、サユリさんのいた国には耳かきをしてくれるお店があって、耳を掃除するために皆がその店に並ぶのですね」
「あ、いや……みんなが耳かき屋さんに並ぶわけじゃあないんです」
「そうなんですか?」
「ええ」
私が通っていた耳かき屋さんはうらびれた雑居ビルの3階にあって、おまけにエレベーターがあるくせに止まらないから人も滅多に来ない。というか、私以外のお客さんを一回も見たことがない。今考えたら、あのお店ってどうしてつぶれなかったんだろ? 謎だ。
そんなことを思い出しながらも説明すると、ソニアさんはすっかり耳かきに興味津々になってしまっていた。
もうこれは断れないな。
「じゃ、じゃあ、始めてみましょうか」
「はい」
自分から話振っておいてなんだけど、ソニア様はすっかりやる気……というか、やられる気まんまんだ。
「耳の中を覗かれるというのも、何だか気恥ずかしいものですね」
照れた頬が僅かに桃色を帯びる。しかも上目遣いで私を見てくる。
ヤバい。
一瞬、胸にキュンときた。
いかん! 閉まれ!! 私の心の扉!!!
「じゃ、じゃあ、始めマス」
再び宣言する。
よし集中だ。
心を無にして耳かきに臨む。思い出すのは私が地球にいた時に通っていた耳かき屋さんのことだ。何とも不思議な雰囲気を持つ女性で、私が耳かき好きになったのも、あのお店に行ってからだ。あの人のことを思い出すと心が徐々に落ち着きを取り戻す。
よし、いける。
今の私は耳かきマシーン。邪な心は捨てるのだ。
そうして私はソニア様の耳たぶを指でつまんだ。
もにもに……むに、むに………
う~ん、何と言う触り心地。少し冷たくてふにょりとした触感。いつまでも触りたくなるような見事な耳たぶだ。
ん……いかんな。今の私は耳かきマシーン。邪な心など持ち合わせてはいないのだ。集中、集中……
むに、むに、もみ、もみ、むににぃぃ~~ぃ
「あの……サユリさん」
「え? あ、はい?」
「あまり、耳を触られると、その……」
気づけば先ほどまで白かったソニア様の耳が桃色に変わっている。
うむ、血色が良くなっているな。
私もだんだん集中してきた。
「ああ、すいません。痛かったですか?」
「いえ、大丈夫です。むしろ……」
その先は告げずに頬を染めたソニア様は視線をそらす。私とさして変わらぬ年齢のはずだが、その仕草はまるで乙女のようだ。
なんという
しかし、カラッシニ先生がいう所の集中モードに入った私の心は静かだった。
「じゃあ、次は耳かきしていきますね」
「え?……は、はい」
私の声に何か当ての外れたような顔をする。しかし今の私は乱されることはない。何故なら、今の私は集中モード。いわば耳かきマシーンだからだ。
「では、いきます」
「あの、サユリさん。何か雰囲気が……」
「…………」
耳かきを構えた。何を隠そうこの耳かき、実は常連だった耳かき屋さんからもらったものだったりする。私が大学に入学するとき「遠くの大学に入学するから、しばらくは来れない」という話をすると、入学祝ということで耳かきを一本もらったのだ。これを持っていると私の心はさらに研ぎ澄まされていく。
よし、今の私は耳かきマシーン。
いける!
そう判断すると、そっとソニア様の耳の縁に当てる。匙の部分はやや厚みがある。それがゆっくりと耳介の溝の部分に食い込んだ。指先にぐっと匙が抑えつける感覚が伝わる。
「…………んっ」
ソニア様の唇から小さな声が漏れた。
ぐっ、ぐぐぅ……ぐむ
耳介をマッサージするように耳かきの先端を当てる。
うん、この感覚だ。
指に伝わる感触を確かめながら、ゆっくりと匙を滑らせていく。
ぐむ……っと、少し強めに押す。
「ぅ……サユリさん」
「はい?」
「い、いえ……何でもありません」
「そうですか?」
うむ、ならば問題ないな。本人が何でもないって言ってるんだから……よし。
私は耳の溝の上を匙でゆっくりと掻いていく。
ぐぃ、ぐいぃ~~っ
ギリギリ痛くないくらいの強さで。
指先に伝わる感触が重要だ。この“くいっ”と引っかかるくらいの感触が重要だ。
ぐい~ぃ、ぐい~っ、一回目。
ぐいぃ~、ぐいいぃ、二回目。
ぐぃ~っ、ぐい~ぃ、三回目。
三回往復させると匙の上にはこんもりと垢の塊が載っていた。
こんな美人なのに耳はこんなに汚れている。
「あの……サユリさん。あまり眺められては……その……恥ずかしいです」
「…………」
「あの? サユリさん?? さっきから……?」
「…………」
一意専心。
如何にソニアたんが可愛すぎたとしても、耳かきマシーンと化した私の心が乱されることはない。耳介の汚れをしっかり取ったので、次はいよいよ耳かきの出番だ。
もう一度耳たぶを軽く引っ張り角度調整。光の入る加減で中が見えやすくなるのだ。
「ど、どうですか?」
「ええ、汚いですね」
「き、汚っ!?」
「はい、すごく汚れています」
正直に答える。
うむ、いかんな。実にいかん。耳の手入れをこれほど怠るとは。これはしっかりと私が掃除してやらねば。
私がまず攻めるのは耳の穴の入り口の部分。指が届くか届かないかという部分。その微妙なポイントを刺激する。
「そこ……ツンとして……」
「特にこの部分とかは指でも触りにくいですからね」
入口のすぐ側でありながらここから耳道はカーブを描くので、まず指は届かない。そういう場所だ。そこを突く。
「んっ!?」
「あれ? 痛かったですか?」
「いえ、大丈夫……です」
「ちょっと驚いただけで……刺激が強くて」
「ああ、ここって垢が溜まりやすい場所ですから痒いですよね。ここはどうですか?」
指で耳かきに捻りを加えると、先ほどまで触れる程度だった匙の先端がくいっと耳のツボを刺激する。
「どうです?」
「だ、大丈夫……痛いけど、気持ちのいい痛さです」
「良かった。ちょうどイタ気持ちいいくらいですね」
「イタキモチイイ?」
「じゃあ、もうちょっと穴の中も掃除していきますね」
「あっ、ちょっと――」
ソニア様が何か言ったような気もするが、今の私は耳かきマシーン。耳垢を取ることこそが至上命題だ。
私はソニア様の桃色に染まった耳たぶをまっすぐに引っ張り角度を調整する。外の光が差し込んだ耳の穴の中はやはりしっかりと垢がこびりついている。
「やっぱり、けっこう垢が溜まっていますね」
「あ、垢が……」
「はい、じゃあ、取りますね」
恥ずかし気にソニア様の頬が染まるが、私は心動かされることもなく代わりに手を動かす。
最初に刺激するのは耳の穴の入り口周辺だ。まずは匙のカーブに合わせて入口の縁を掻く。
ゾゾ、ゾゾゾ……ゾゾゾォォ
引きずるように匙を操る。
ほんの数回、耳を掘っただけだというのに匙の上は乾いた耳垢でいっぱいになっていた。
「あ、そこ……気持ちいいです」
「そうですか? じゃあ、ここは?」
「あっ……そこも……いいです」
「ふむ」
ソニア様の感想を参考に私は指先に力を入れる。とは言っても、それはほんの僅かな匙加減。
入口から少しだけ入った奥の部分。聖女様の耳にあるまじき白っぽい耳垢の塊が鎮座している。
「除去します」
「はい? じょきょ?…………ぁぁ!?」
匙の先端が固まった垢の根本に滑り込む。
私はそこにゆっくりと匙の先を滑りこませる。
ペリペリ、ペリリッ
耳垢の剥がれる感触。同時にソニア様の喉から高い声が上がるが無視だ。
私は耳垢が剥がれ剥き出しになった粘膜の上を引っ掻くように耳かきの先端を当て、ほんの僅かに力を込める。
「んぁ……それイタキモチイイです」
「ふむ、じゃあここは?」
「んぅ……そこもイタキモチイイです」
「うむ、じゃあここ」
「そこも……イタキモチイイ」
「じゃあ――」
◇
「うん、こんなものかな」
私は満面の笑みで頷いた。
長椅子の上では聖女様がぐったりとした様子で横たわっている。もちろん耳の中はピカピカだ。
「ずいぶんと楽しそうだな」
「あれ?タッキーラ、いたの?」
「さっき部屋に入って来たときに声をかけただろ。お前と目も会ったと思うが?」
「え? そうだっけ?」
全然気づかなかった。
まぁ、それもこれもソフィア様が可愛すぎるのと、耳の中が汚すぎせいだ。
「相変わらず集中しだすと際限がないな」
「そ、そうなの?」
「ああ、多分、お前が本気で集中しているときは相当強力な精神魔法でも跳ね返せるんじゃないのか? だからこそ、あの精度のポーションが作れるんだろうが」
呆れたような感心したような微妙な顔でタッキーラは私を見る。
私の頭のなかで
≪サユリはスキル『耳かき集中』を会得したっ!!≫
って幻聴が聞こえた気がする。いや、まじで恥ずかしいスキルだから本当に会得してたらちょっと嫌だ。
怖くなってソニア様を見ると、聖女様は未だに耳かきの衝撃から立ち直れていないのか恍惚の笑みのまま長椅子の上でその身を晒している。ステータス画面はしばらく確認してくれそうにない。
「そういえば聖女様は何をしに来たんだ?」
「さぁ? カラッシニ先生に用事があるって言ってたけど?」
「そうか……まぁ、先生が来るまでもう少しあるから丁度良かったな」
「そ、そうね……」
私達は二人して長椅子の上でピクピクと心地よさそうに痙攣する彼女に視線を送る。
大きな声じゃ言えないが、ちょっと女の子がしたらマズイ顔だ。
ちなみに結局、私のステータス画面には『耳かき集中』なんていうおかしなスキルは発現していなかったことが、後日ちゃんと判明するのだが、それはまた別の話だ。
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