第1棺 かんしゃ
「ナギ、今日まで本当にありがとう。なんとお礼を言っていいか」
ご遺体の埋葬が終わり、近親者や参列者の方々が墓地を離れていく中、今日の葬儀を希望したご家族の一人が僕のもとへとやってきた。亡くなった夫の奥さんであるミラさんは喪服を身に纏い、涙ながらに感謝を告げる。
「ありがとうございます。まだまだ半人前ですが、ミラさんの大切な旦那様の最期に立ち会わせていただいたこと光栄に思います」
「あの人も、きっとあなたに感謝しているわ」
「だと、良いのですが」
いつもの落ち込み癖が出てしまい、ミラさんは少しだけ笑顔になる。
「どうか暗い顔をしないで。あなたは真摯にあの人や私たち家族に向き合ってくれた。そんなあなたが暗い顔をしては心配になってまた夫が出てきてしまうわ」
遺族の人に励まされるなんて葬儀屋を名乗る者として恥ずかしい限りだ。それでも僕は自分の力足らずを飲み込んで改めてミラさんにお辞儀する。
「不甲斐ない姿をお見せしました。この後教会で会食もございますのでミラさんは教会へ向かってください」
「墓地までやってきた馬車に乗ればいいのね。わかったわ」
墓地を後にしようとするミラさんは立ち止まって僕へと振り返る。
「ナギ、あなたは? あなたも来てくださるのでしょう?」
「僕は後ほど伺います。墓地を管理されている方に挨拶をしなければなりませんので」
ミラさんは「必ずよ」と言い残し早歩きで墓地を離れていく。すると見計らったかのようにミラさんと入れ違いに別の女性が僕のもとへとやってくる。闇より濃い漆黒で流麗な長髪をなびかせ、喪服姿だからこそ映える白魚のような手と服の上からでもわかる完成された肢体。贅肉を完全に絶ってなお映える肉体は芸術の域にまで達している。漆黒のベールでわかりづらいが肌の色艶も整っており同性でもあまりの美しさに振り返ってしまうほどだ。
彼女、誘(イザナ)は僕の相棒であり、葬儀屋を運営している僕の最高のパートナーだ。そんな彼女はどこか澄まし顔のまま僕の目の前までやってくる。
「ナギ。皆を馬車まで導いてやったぞ」
「ありがとうイザナ。僕らは墓地の管理者の人に挨拶してから移動するよ」
「うむ」
イザナは目をつむったまま唇を突き出す。最近になってイザナが僕に何を求めているのかはわかるようになったので、あくまで毅然とした態度で人差し指を彼女の唇に触れさせる。
「……なんの真似だ?」
「今はそういうの禁止。仕事中だよ」
「周りに誰もおらんぞ」
「人前でやっちゃダメと仕事中もやっちゃダメもあったと思いますが?」
「……毎度思うが貴様のルールは難解だな」
不貞腐れながらイザナは抗議するが理解してほしい。絶世の美女から猛烈なアピールを受けてしまうとこっちとしても我慢することに集中せざるを得なくなる。仕事中に邪な妄想を抱えたままというのは僕のやり方に酷く反していた。
「何故我がこのような戯れをしたか、理解しているのか?」
「え、思い付きとか仕事を手伝ったご褒美の要求とかじゃないの?」
「ナギ、我を童と同じに見るでないぞ」
イザナはついに腕を組み頬を膨らませて怒りを露にする。だが全く怖くない。むしろ可愛いまである。
「貴様、先まであの女と楽しそうに話していたな」
「あの女って、ミラさん?」
するとイザナは指を鳴らしながら「ミラ」と繰り返す。
「そうか。あの女ミラと言うのか」
「なんの確認? なんでそんな怖い顔をしてるの?」
「おかしなことを言うなナギ。我が怖い顔をしているかどうかなど貴様にわかるわけないだろう」
「ベール越しでもわかるんだよ! イザナ怒ってるでしょ!?」
僕は非力でなんの力も持っていないけど、彼女はその逆。なんでもできるし、大抵のことは力業でねじ伏せることができる。しかもそれが比喩抜きで実行可能なので彼女の上司、というか彼女と契りを結んだ者としては気が気でない。
「お怒りの理由は正直わからないけど、怒ってるならどうかその怒りお鎮めください!」
「怒ってる理由もわからず収めろというのはあまりに傲慢ではないか? それは我に我慢せえと言ってるのと同じじゃぞナギ?」
ついにイザナはそっぽを向いて目も合わせてくれない。こうなった彼女は僕でも容易に止められない。墓地の管理者にもまだ挨拶は終わっていない。会食へも顔を出さないといけないし、これ以上の遅延は許されない。僕は意を決し「イザナ」と呼びかける。
「そのように気安く呼びかけることを誰が」
振り向きざまにその後彼女が何を言おうとしたのか、それを知るすべはない。何故なら僕は自分の唇で彼女の唇を塞いだから。
「……じゃあ管理者のおじさんのところへ行くからついてきて」
「……う、うむ」
きっと僕の顔は火が出るほど真っ赤になっているだろう。だがイザナはというと今までの怒りが吹き飛んで代わりに最高の笑みを浮かべながら僕の右腕にくっついてきた。柔らかな双丘を押し付けられ平静を保つことで手一杯だった。
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