EPISODE 32:諦観


「ああ、もう! 泥でカッサカサになってるラン!」


 泥攻撃の流れ弾を受けたらしい、全身泥まみれのグランが文句を垂れている。羽についた泥が乾き始めてへばりつき飛びづらそう。その内操縦不能のヘリコプターみたいに錐揉きりもみトルネードで墜落しそうだ。昨日に引き続き、何度も汚泥を受けて不運な妖精である。

 ……乾く、か。

 その時、遊の脳内に閃きの電流十万ボルト。


「そうだ。ハウリさん、“悪攻流宇印怒アクセルウインド”を使うんだ!」

「え、今やる系?」


 思いがけない指示にハウリは不思議そうにしている。

 ドロドロの地面ではスリップ事故不可避、受験生ドン引きな程の滑り具合だ。素早さを底上げしたところで効果は望めず、むしろ転んだ時のダメージが心配になる。主の判断をいぶかしむのも当然だ。

 しかし、馬鹿正直にアクセルを踏む訳がない。

 遊は「僕を信じて」と、目で伝える。


「ま、遊っちが言うンならやってみよっか!」


 それに応えたハウリは、全身を渦巻く風で包み込む。だが、足は泥の中に沈んだまま。これでは駆け出した瞬間すってんころりん、転倒事故待ったなしである。

 では、この追い風をどう使うのか。


「ハウリさん、風を全部足元に向けて!」

「あはっ、なるほどね!」


 答えはドライヤーだ。

 身に纏う追い風をぬかるみへと吹かせることで水分を飛ばす。怪人一体を高速移動させる技だ、最大瞬間風速は計り知れない。ただの泥などいとも簡単に乾いてしまう。

 強烈な風圧で表面の泥は吹き飛び、残る地面もカラカラに乾燥だ。瞬く間にカピカピ固まっていく。若干の柔らかさは残るものの、スタートダッシュで踏みしめるには十分である。


「きひっ、何だその程度か。ぶっちゃけどうってことないっスけど?」


 固められた足場はハウリの周囲のみ。狭い区画だけ対策したところでたかが知れている。と、慢心しきったキュームは鼻で笑っている。

 しかし、これで十分。勝利への道筋は整備完了、あとは突っ走るだけだ。


「ハウリさん、追い風に乗って“魔破数羅終マッハスラッシュ”だ!」

「任せてよっ!」


 大地を踏みしめて跳躍、白昼の太陽を背に天高く舞い上がる。すると、ハウリの体は追い風を受けて滑空。泥の地面に触れることなく、上空よりキュームへと一気に肉薄する。

 必殺の、“悪攻流宇印怒アクセルウインド”と“魔破数羅終マッハスラッシュ”のコンボ技を叩き込む!


「はぁぁぁぁああああああああああああああああッ!」


 すれ違いざまの斬撃、ハウリの鋭い爪が翡翠ひすいに閃く。

 ぬかるみにスライディングで着地、弾かれた泥が玉のように跳ね上がる。

 数秒遅れて、キュームの両肩と両太腿ふとももより鮮血、間欠泉かんけつせんの如く勢いよく噴き上がった。


「そん、な」


 筋を断ち切られ立っていられず、キュームはくずおれてひざを突く。限界を迎えた体に呼応するように、黄色い仮面が粉々に砕け散る。引き篭もりらしい血色の悪い素顔が露わになった。

 超高速展開の逆転負けにポカーンと呆けている。だが、傷口よりびゅるびゅるほとばしる血液で、段々と状況を飲み込んでいく。


「……自分、これで終わりみたいっスね」


 糸が切れた人形のように、がっくり力なく項垂うなだれる。ボロボロの体もさることながら、心もポッキリ折れてしまったようだ。覇気も何もかもが霧散している。


「あぁ、ぱっとしない人生だったなぁ……後悔しかないっス」


 敗北を知って自暴自棄になったのか、もはや抵抗する素振りは一切ない。それどころか自身の生涯を振り返り始めている。諦めるのが早い。早過ぎる。そして案の定ネガティブな評価である。気が滅入りそうになる。


「あの、キュームさん」

「いいですよ、自分の負けっスから。どうぞどうぞ、煮るなり焼くなり犯すなり」

「し、しませんよ!」


 その割に性欲は残っているらしい。やはり、怪人の生態はよくわからない。誰か真面目に研究してほしい。


「でも……何をされてもいいって言うのなら――」


 遊は腰のホルダーから金色に輝く鍵を取り出す。


「――僕達の仲間になって下さい」


 隷属の鍵、その最後の一本。

 彼女を封印し、地球奪還の戦力として使役するための引導。


「同じ星の仲間と戦うのが辛いなら、僕にも考えがありますけど」


 酷な選択を迫っている自覚はある。封印されるかこのまま死ぬか、好きな方を選べ。要するにそう迫っているのだ。台詞せりふは完全に悪役のそれである。侵略者相手とはいえ心苦しくなってしまう。

 果たして、キュームはどう答えるのか。


「無論勿論もちろん仲間でも奴隷でも何でもします靴も舐めます、粉骨砕身ふんこつさいしん端微塵ぱみじんに頑張らさせていただきますっス、はい!」


 想像の斜め上に卑屈だった。

 美しいまでの土下座スタイルで、ドロドロの地面にひたいをぐりぐりこすりつけている。


「自分、こんなにかまってもらえるの、実は初めてで。……えっと、何と言うか、遊氏のことが、その……でゅふふふふふふふふふふふ」


 全身泥まみれのドロドロで、じめっとした気持ち悪い笑いを漏らしている。

 これは恐らく、彼女なりの好意の表れなのだろう。怪人の本能、ピットやセルピアやハウリと同じ、性欲由来の恋心。付き従う代わりに、寝首をくもとい性的に襲う機会を伺うということだ。

 ある意味持ちつ持たれつWin-Winの関係なので、封印と強制使役の罪悪感は薄れるのだが、果たして本当に大丈夫なのだろうか。この期に及んで不安になってくる。


「そ、それじゃあ、キュームさんも封印しますね」

「えへ、光栄っス。ふひひ」


 胸の紋章に生まれた穴、そこに鍵を差し込んで施錠。黄色い輝きを伴って、キュームは鍵の中へと封印される。

 これで仲間の怪人は四人。

 囚われのえるを救い出す、最終決戦の役者は揃ったのだ。

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