燐光のリュシオラ

雛菊

第1話

 ―――剱よ。災いの剣と共にある剱よ。もはや生命の剣ケレス共にあらず。もはやその身は災いの剣と等しく。三剣の鞘師の名のもと、災禍を遠ざける剱であれ。


 そう言われてから少し経った。ある日のこと。


「はい、パパルさんの所の子ね……えーと、ベアトリーチェちゃん? ご苦労様、ここにサインお願いね」


 いるのは酒場である。天井から垂らされた魔晶石のランプ達が照らすたくさんのテーブルは人々で賑わっている。

 俗に言う冒険者の酒場というものだった。とはいえ冒険者以外の人々も使う大衆酒場に近い店舗だったが。

 ベアトリーチェはペンを手に取ってから、思わず鼻から息を吸った。

 給仕に運ばれていく料理からの香りはとても好奇心をくすぐった。何せ故郷とパパルが経営する冒険者の宿のある都市ジキッドが知る世界のすべてだったのだから。

 それはさておいて自分の名前を一画一画、交易語でゆっくりと書いていく。カウンターに額がつきそうなほど近づいて書いているのを見て受付は苦笑いをしている。


「よし書けた! ……読める?」


 ベアトリーチェ渾身の出来だったが、書類の他の字に比べれば拙いサインだった。書かれた紙をごつごつとした指で取り受付はまじまじと見つめる


「問題ないみたいね、お疲れ様、ベアトリーチェちゃん」

「はぁーよかった。で、アタシ何運ばせられてたの? ちっちゃいけどよっぽど大事な物なんでしょ?」

「フフ、それはねぇ」


 開けて見せてもらえると思っていなかったベアトリーチェの視線が小箱に注がれている。

 アタシに運ばせるからにはという思いと出発前にパパルに―――お前の今後に関わる。と言われていたので期待せずにはいられなかったのだ。


「……ナニコレ?」


 出てきたのは小枝に乗った鳥の形をしたブローチだった。武骨な造りは装飾品というよりは何かしらの実用的な物に見えた。


「パパルさんのところでやってくなら知識も増やしなさい? 私たち炎人ドワーフの作るミストリル合金でできた、止まり木に乗った小鳥。つまりパパルさんの宿公認の証よ」

「……? つまりどういうこと?」

「例えばタナトテアの中ならここみたいにパパルさんと知り合いの宿ならどこでも泊まれるってことよ。ユニオン入りしてると微妙だけれどね」

「本当に!? やったー!」


 ベアトリーチェが飛び上がるほど喜んで床がミシリと音を立てた。何度か経験したが、道端で寝るのは好きではなかったのでベッドで寝れるというのはとても嬉しかったのだ。


「アナタの前にも何人も来てるけど、みんな粒揃いなのよねぇ、その仲間入りよおめでとうベアトリーチェちゃん。はいこれ報酬」

「ありがとう!」


 銅貨の入った皮袋を受け取ったベアトリーチェはそのまま後ろの酒場のテーブルの方に走っていって、背中の武器を椅子に立てかけると足を組んでテーブルに肘杖を突いた。


「ど、どうしたお嬢ちゃん?」

「ふふ、エールをひとつ、もらおうか」

「いや俺じゃなくて給仕の……ぶふっ、おーいタンタナ! エールひとつくれ!」


 そのテーブルに元からいた、革鎧を着込んだ男がベアトリーチェの代わりに注文してくれた。


「お嬢さんどこのご令嬢だ? 酒場初めてか?」

「なんかみんなアタシの事令嬢だのお姫様だの行ってくるけどなんで?」

「そりゃーお嬢さんそんな見事な黒染め……「はいエール一つ」俺じゃないそっちのお嬢さんの分だ」


 テーブルに置かれたのは陶磁器のジョッキになみなみと注がれ白く泡立っているエールに目を輝かせているベアトリーチェが口をつけようとした所で酒場のドアを吹き飛ばしそうな勢いで男が入ってきた。


「緊急依頼! 緊急依頼だぞ!」


 それを聞いてカウンターから飛び出してきた受付が男の持った紙を受け取って酒場全体にとどろくような大声を出した。


「都市長からの緊急依頼だよく聞きなさい! ちょいと早い季節だがピポグリフの大群が街に向かってきてるみたいだよ! 殺せば銀10、捕まえれば金3だ! やりたい奴は今すぐに飯かっこんで東壁まで突っ走りなさい! あやりたくない奴も緊急依頼だからね飯食い終わったらとっとと行きな!」

「金3! マジか!」「行くぞ行くぞ!」「今年は来たか!」


 酒場に居た連中の大半がそれを聞いて口を食い物いっぱいに膨らませて飛び出して行った。


「苦い……っ!」


 ベアトリーチェはといえばピポグリフがどんなものか見てみたいので初めてのエールを一気飲みしようとして予想外の苦さ────パパルのおっさんはあんなに美味そうに飲んでたのに! と頼んだからには飲まないとと思いつつ量の多さに困っていた。


「やっぱり飲みきれんよな。行きたいなら俺が飲んどくから安心して行きな」

「ありがとう! アンタは行かないの?」

「モンスター退治の冒険者じゃ無いし仲間待たせてるからな」


 ベアトリーチェは銅5枚をテーブルに置いて外へ飛び出した。酒場から大通りに出て東壁への道すがらの人々は大騒ぎしているが、なんだが恐れてるとかそういうものではなくお祭りのようだった。

 ハンマーと盾を担いだ受付も走っていてギョッとしたベアトリーチェは隣に並んだ。


「受付なのに戦うの!?」

「普段は受付だけれどこの時期だけは冒険者兼元ピポグリフライダーのルンクルー復活なのよね!」

「ピポグリフって乗れる生き物なんだ」

「ピポグリフも知らないの!?」


 逆にルンクルーにギョッとされたベアトリーチェが前を向くと、都市を守る壁を飛び越えるようにそのピポグリフが一匹姿を現した。


「鳥……馬?」


 ベアトリーチェが走りながらこちらへ突っ込んでくるピポグリフを観察する。

 正面から見ると猛禽が鉤爪をこちらに向けて突っ込んできているように見えるがその後ろに馬の胴体と後脚のようなものがくっついていた。

 あそこに乗るのだろうかと思いながら、ピポグリフの地面ごと切り裂くような鉤爪攻撃を避けて、幅広のクチバシのついばみを避けて、羽毛に覆われた首にしがみついて後頭部を肘鉄で殴打し昏倒させる。


「素手でなんて、パパルさんの所の新人はいつもすごいのをよこすね」


 倒れたピポグリフを衛兵が縛り上げるのを見ながらルンクルーがベアトリーチェの腰をポンポンと叩いて、自身の手を眺めながら怪訝な顔をしだした。


「どうしたの?」

「え、ううん別に。それよりも妙なことがあるのよね」

「妙なこと? それより他のピポグリフ捕まえにいかなかくていいの?」


 ベアトリーチェは縛り上げられたまま檻に押し込まれるピポグリフを眺めながら首を傾げた。金三枚といえば大金なので、一匹捕まえてもう十分と余裕の構えである。


「こんな精強なピポグリフ見ないのよ」

「確かに檻が狭そうだけど……なんかまずいの?」


  あの檻じゃ寝返りも打てないだろうな。と自分の気絶させたピポグリフを見てから隣のルンクルーに視線を向けた。

 ベアトリーチェが幼い頃見た、雨季になっても雨が降らない時の族長と鞘師の漫然とした不安のこもった顔に似ていた。


「ピポグリフ知らないんだったね。まずここに来る奴らは繁殖期に縄張り争いで負けた個体なんだ」


 さらに壁を越えて来たピポグリフがベアトリーチェ達を無視し、建物を壊して内側に潜り込もうとする。

 衛兵たちは暴れるそれを縛ろうと必死だ。


「それにしてはずいぶん元気だし毛並み良くない?」

「その通り。それにピポグリフの狙いは東壁の外にある馬の牧場なのね。壁を超えてくるなんてことしない」


 きょろきょろとあたりを見回すと壁の内側に設置されたカタパルトからは上空に向け樽が飛ばされ、それが爆発を起こして近くを飛んでいたヒポグリフが気絶して墜落している。

 無視してそのまま都市の上空を超えていくヒポグリフがいっぱいいた。


「そういう悪い予感って大体当たるんだ。じゃあなんで壁超えてきてるの?」

「繁殖期とか関係なく、何かから逃げてるってことね」


 東壁の門に到達すると同時に、門を挟む側防塔上部に設置された鐘が打ち鳴らされた。


「これは何の鐘?」


 ベアトリーチェが音に顔をしかめながらその間も鐘は鳴りやまず打ち鳴らし続けられている。ルンクルーに先導され門の脇に設置された通用口を抜けているさなかも聞こえるほどの大音量だった。


「鐘は野盗含めた人の襲撃を知らせるものね。外の場産地を守るための物で三回くらい鳴らすものよ。それをこれだけ鳴らすってことは……」


 暗い壁内側を抜けてベアトリーチェは外の明るさに目を細めた。

 外では鐘の意図がわからず、ヒポグリフに対処していた冒険者たちが手を止めて壁上を見ている。


「ドラゴンだ! ドラゴンが出たぞ!!」


 側防塔の衛兵が叫んだ。衛兵が指さす先を下にいる全員の目線が追っていく。

 その先は地平線だ。そこから何か飛び出してくる。

 大きなヒポグリフだ。

 それが赤い何かに食いつかれて再び地平線の下へ消える。

 少しの時間を置いて、地べたにいるベアトリーチェ達の視界に入るほど接近し、それは姿を現した。

 二枚の大きな翼、隆々とした四肢に立派な頭の角、そして全身を覆う血のように赤い鱗。

 こちらに迫る赤竜レッドドラゴンの姿だった。

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