その感情は希釈できない。

不透明ふぅりん

夏のプールサイドにて

「ねぇねぇ、おにいさん!」


 痛いほど眩しい太陽の光は大地を熱して、その気温は30度を優に超えている。

 そんな地獄みたいな環境とは裏腹に、目の前には冷たい水が張られているプールがあり、その中にはバシャバシャと水しぶきを立てながら、きゃっきゃと小学生が戯れている。


「おにいさん……?」


 男の子のほうは、ギャーギャー、ヤバイヤバイ、とか叫びながらプールの隅から隅まで縦横無尽に駆け泳いでいる。

 一方で女の子の方はというと、主に壁沿いで固まりながら肩まで水に浸かりながらお話している。時折り男子の方を見て笑っていることもあるが、主にはお喋りに満開の花を咲かせている。


「おーい! おにーさーん、聞こえてますかー!」


 乱雑に、端的に、その光景を言い表すならば、クソガキとロリがプールで遊んでいる、だろう。

 男子の方の水着は昔から変わらない感じだが、女子の方は何らかの配慮か、短めの半袖半ズボンみたいな形状になっていて、極力肌の露出を減らしましたって感じである。

 これは、時代の変化と社会の圧力が混ざり合った末の変容であって、さらに注目すべき点は何と言っても――。


「こうなったら――えい!」


 ぴちゃ……ぎゅっ……。


「えっ」

「もう! まなが話しかけてるのに全然聞いてないのが悪いんだからね!」


 背中に何かがひたりと張り付く感触がした。

  一人物置の屋根でできた日陰に座ってぐるぐると思考を巡らせていたために、油断した結果、背後を取られたということか……。

 それにしても、この背中の感覚は――不快だ。

 ワイシャツをじとっと染み込んでいくこの感覚、そいつは濡れている。とてつもなくびしょびしょだ。

 冷たい。

 そして、徐々に徐々に、暖かい人肌ぐらいの温度を感じる。

 それと対比して、俺の顔は青ざめていく。

 と思ったら、今度は肩に何かの重さを感じる。

 感じるというか……横目で見えている。びしょぬれの髪の毛を携えながら、顎を肩に乗せてきている女児の横顔がはっきりと。

 それによって、強い塩素の香りがツンと香ってくる。


「ねぇ!」

「――!」


 突然耳元で大きな声が聞こえたため、俺は思わずビクンと大きく肩を揺らす。


「……はははっ! ひひひっ!」


 背中に冷たいぷにぷに感触をもたらしたロリは、水風船が弾けるように豪快に笑った。

 ――俺のテンションは5割減衰した。

 なんと言おうか、小学生とかいうエネルギーの塊みたいな生命体は何とも苦手である。

「なんだ小学生」

 いつもより低いトーンでそう言った。

「ねぇねぇ、おにいさんも先生なんでしょ!」

「先生……まぁ一応、先生か。でも俺は君たちの担任みたいな感じじゃないかな」

「じゃあどんな先生?」

「生徒に授業することもあるけど、でもほとんどは研究室に籠ってたり、フィールドワークに出かけてたりしてる」

「フィールドワークって?」

「今みたいに調べたい物を外に出て見たり確かめたりすることだ」

「へぇー! 面白そう!」

「あぁ面白いよ……基本は」


 「こんな環境じゃなかったら楽しかっただろうな」、なんて言葉が口まで出かけたところで、流石にまずいかと思い、飲み込んだ。ごくん。


「いいなー私もやってみたい!」

「ダメだ……俺のやっている研究はかなり危険性があってだな」

 ――噓だ。

「せんせー、今嘘ついてるでしょ」

 ――なに!?

「な、なんのことかな?」

「まな知ってるよ? せんせーがみんなには言っちゃいけないことしてるって」

「……ん?」

 ――いや、ちゃんと研究のためのフィールドワークで来たはずだが……。

「せんせーってあれなんでしょ?」

「あれって……」


「ロリコンさん……なんでしょ?」


 ――いや、待て待て! なんでそんなことになっているんだ! というか誰だそんな言葉に教えたやつ! そいつの方がやばいやつだろ!


「えーっと……小学生?」

「小学生やだ! まなって呼んで!」

「じゃあ……まなちゃん? 先生はそんなやばい人じゃないよ。ちゃんと研究のためにここに来て――」

「じゃあ証明してよ」

「へっ?」

「まな、先生がふぃーるどわーく? してるところの見たい! お願い! それ見たら信じるから!」

「参ったなぁ……」

 弱みを握られて(ありもしない捏造だが)、俺は仕方なくその条件を飲むことにした。飲まざるを得なかった。

「いいよ。今回だけの特別だからね。じゃあ、プールが終わって着替え終わったらまたここに戻ってきて。それまでは遊んできな」

「やったー! 楽しみ! じゃあまな、残りの時間せんせーとお話しする!」

「……そうか」

 ――どうしてこんなことになったんだろう。



「あ、そうだ。まなちゃん。君って本当にって言葉の意味を知ってるの?」

「うん、あれでしょ?」

 そう言って、まなちゃんはある場所を指さした。

 その指が指す先を見てみると、つるっぱげの太ったおじさんが、半透明モザイク塀の隙間から息を荒くして覗いていた。

「えっきも」

「まなは物知りだからね! へへん!」


 それから3時間後、そのおじさんが警察に連れていかれたのはまた別のお話。



 

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