勇者地獄

田中よしたろう

第1話 魔王

「ハーーッハッハッハッハ!!」


「ケーーッケッケッケッケッケ!!」


 魔王の間に狂ったような哄笑が響きわたる。


 どこか人工的で機械的な壁面を晒す大広間は魔王の居城地下二千メートルに位置していた。


 半径百メートルほどのドーム状の広さがありながらここまで辿り着いた者はその天井や壁から張り出した幾何学的な岩塊に窮屈な印象を受けるだろう。


 おびただしい数の光条が煌めく。

 光条はお互いに競い合うように先頭を入れ替えながら広間の中央に立ち、黄金に輝く人影に殺到した。


 光条が着弾する直前、黄金の人影は大きく跳躍してそれをかわす。

 しかし、光条は目標を見失うことなく軌道を変え、彼を追跡する。


 黄金の人影の方は地面に足を付ける事無くそのまま宙を飛び、回避行動に移る。

 ある光条は、最短距離で黄金の人影を追い、別の数本は悠然と何者かに見せ付けるように広間の中央を大回りで目標に向かう、また別のそれは黄金色に輝く人影の回避先に回りこむように動く。


 黄金の人影の方も回避行動を激しくする。

 上下に飛び回り、手前に奥にと曲芸のような飛行をする。


 また、躱しきれないと判断したものは手に持つ聖剣で斬り払う。

 そしてそのまま広間の奥に座す異形の影へと切りかかった。


 その異形の影こそ、この広間と頭上の城を支配する魔王と呼ばれる者だった。

 ガインッ!!という鈍い音とともに魔王の胸部にある魔力球が消滅する。


 それとともに黄金の人陰を追跡していた光条も消滅した。


「ハハハッ。流石は黄金の力を得た勇者。効き目が無いか。」


「なら、これはどうかな」


 ドスンッ!!

 勇者と呼ばれた黄金の人影は、地面へと押しつぶされた。


 どうやら彼の周りだけ重力が操作されているらしい。自身の質量に押し潰される。


「このまま地下深くに封印してくれよう」


 魔王は四メートルにも及ぶ巨体を揺らしながら嗤った。

 魔王は装甲に覆われた巨大な4足獣の姿をしている。


 そしてその四足獣の頭部から女性とおぼしき艶めかしい上半身が生えている。

 髪は鴉の濡れ羽のように黒く艶やかで、腰の部分で切りそろえられている。

 しかし、その狐の面を陶器で形作ったような純白の禍々しい面が張り付いていた。


「ちょーーーしに乗るじゃねーーーーデス!!」


 キュオッ!!っと空気を吸い込むような音とともに魔王の肩口が爆発する。


「俺達を忘れてもらったら困るな」


 横合いから飛び込んできた人影が魔王の魔力球を切り裂く。

 その攻撃は魔力球を消し去るまではいかなかったが、僅かに威力を減じさせた。


「わがはいを無視するなぁーーーーでアーーーール!!そーーーーーれ!!超・絶!!アンチスペーーーール!!」


 勇者を地面に縫いつけていた力が消失した。


 すかさず身を起こした勇者が魔王に切りかかる。


「ぬっ!!」


 寸前でかわすことに成功した魔王だったが、僅かに掠めていたようで腹部にひと筋の赤い線が浮かんでいた。


「勇者の眷属どもか。人間の魔術士ごときが、魔王に傷を付けるとは。」


「人間を甘く見過ぎデス!!人類の最高峰が特定の属性のみに才能を集中させれば、魔王の魔術防御も抜くことができるデス!!」


「くっ」


 勇者は一時的に黄金の力を消し、魔王の前に降り立った。

 仲間たちが駆け寄ってくる。


 仲間の一人が勇者の装備を復元してくれた。

 勇者と仲間達は分断され、今まで一人で闘っていたのだ。

 

 しかし、それほど傷を負っていない所を見ると仲間は労せず突破できたようだ。

 魔王の前面に集結する勇者とその仲間たち。

 

 全員でズッと一歩前へ踏み出し、魔王にプレッシャーを掛ける。



「……ハハハ。確かに。確かに。私は人間を甘く見ていたようだ。今の私ではお前たちの戦力と比べていささか不利なようだ」


 魔王は僅かに後ずさりながら苦笑する。


「戦力的に劣る側は一時撤退して体勢を整えるのが常道」


 余裕を崩さぬ魔王に勇者が問いかける。


「ここまで追い詰められて退却する先があるのか?体勢を整えるための援軍は?」


「確かに!!我が軍団は王国連合に壊滅させられているだろう。だが勇者よ、貴様が元居た異世界ならばどうだ?」


「なに?」


 魔王が小声で呪文を唱える。

 すると、壁面の文様が列ごとに逆回転し、帯電したかのようにバチバチと電光を帯びる。


 広間全体が巨大な歯車の中心に位置しているかの様な錯覚を覚える。

 その後、魔王の背後に虚空から染み出すようにして巨大な門が現れた。


「穿世界門」


 勇者が呻くように呟いた。


「そうだ。我が復活すれば、勇者が召喚されるのは分かっていたからな、召喚される瞬間を見計らって制御を奪い取れるように細工をさせてもらった」


 大仰に天に向かって手を掲げる魔王。


「それでも貴様が門の一族を皆殺しにしなければ完全に制御権を委譲させることは難しかっただろうが、まあ……、私には幸運だったな」


 勇者はその言葉に歯噛みする。

 門の一族の一件は勇者の心に僅かばかりの慚愧の念を起こさせる。


「この門には貴様の世界へと続く経路が残っている。勇者の世界にはこの世界を凌駕する科学技術と、軍事力が有ると言うではないか。それを奪い取りこの世界へとって返せば貴様等や王国連合に対抗できるやもしれん」


「俺の世界の事を良く知っているじゃないか。フォルに聞いたのか」


「ふふっ、その通り。あの娘は素直だったよ。追ってくるならば追ってくればいい。しかし、かの世界とは時差が有るらしいな。先に着いて迎え撃つのは私の方だ」


「おいっ!!待てっ!!」


「さらばだ!!」


 そう言い残すと魔王は滲むように門へと消えていった。


「くッ……やたら余裕っぽい態度だったのは奥の手を隠し持っていたからか」


「言いたい事だけいって消えやがったデスね」


「三流舞台の魔王そのままであーーーーるな」


「ご丁寧にいろいろ説明していったのは追ってくるのを誘っているってことか」


 穿世界門は依然雷光を纏いながらそこに存在している。

 勇者は一瞬、迷いを見せた後こう切り出した。


「俺はこのまま魔王を追おうと思う」


「この門がいつまで維持されているか分からないし、俺の元いた世界に災厄が降りかかるのを見過ごせない。この世界に再び戻ってこられるかどうかも分からない。だからみんなとはここでお別れ……」


「チョーーーーーっと待つデェス!!」


 その声に仲間たちを改めて振り返る。

 今の声は〝女魔術騎士〟、クレセント・エンドバーグだ。


「水臭い事言ってんじゃねえデェスよ。こうなったら毒を喰らわば皿まで。最後までつきあうデェスよ。」


 ウーラル国の武門の息女である彼女は、武者修行の旅の途中で勇者に出会った。

 最初の街からずっと勇者の傍にいてくれている。


「……それにあなたの生まれた世界を見てみたいデスし」


 最後に勇者に聞こえないようにポツリと呟く。


「ん?何か言ったか?」


「べ、別に何でもねぇーデスよ!!」


 彼女は真っ赤になって喚いた。


「魔王とお前との決着がどうなるか分からないままでは気持ちが悪いしな。魔王が勝っていれば再侵攻される恐れもある。」


 その声は〝斧の聖闘士ブランジ"。彼は家名を無くしたと言っていた。だからブランジという名前しか知らない。


 門の一族に無理やり召喚された後、山中で隠遁していた勇者を説得して魔王退治に連れ出したのは彼だ。


 精神性に関して言えば彼の方が勇者に相応しいのかもしれない。

 傭兵をしていたと言っていたが、その割に金に執着している感じはしない。


 どちらかというと魔王を倒すことが目的のように見える。

 それゆえどこかの国の高名な騎士ではないかと勇者は感じていた。


 そして最後に〝魔術使い〟、首領ドン・ドロワス・ドミニポーデ三世の方を見る。


「魔王の奴も〝とって返す〟と言っていた。締め上げればこの世界に戻る方法を吐くかも知れんのであーーーーるな。その際には我輩の力が必要になるであろう」


 夜の街エニシアで秘密結社を築いていた男だ。街を牛耳っていたマフィアが魔物の傀儡である事を暴いた事件で知り合った。


 事件が解決した後も、なし崩し的になんとなく付いてきてしまった。

 性格はアレだが魔術の腕は確かなので勇者も一行に加わることを許した。


「ありがとう。みんな」


 故郷との永遠の決別になるかも知れない事に逡巡が無いわけでは無いだろう。

 それでもついてきてくれる仲間たちの友情を嬉しく思う。


 また、それだけの時を共に戦ってきた証でもある。

 時には衝突したりもしたが、最後はお互い認め合ってここまで来たのだ。


「さあ、行こう」


 全員で同時に門をくぐる。

 魔王の言う時差があった場合、向こうでバラバラに出現してしまうのを防ぐためだ。


 ぐにゃりと視界が歪む。

 この世界に召喚された時と同じだ。

 星ぼしが輝く宇宙空間の中、無限に門が連なっている。


 究極で窮極な次元の隙間を通り、別の世界へと移動するのだ。

 その瞬間、無貌の混沌や千の仔を孕みし雌山羊を見、狂った音色のフルートを聞き、宇宙の深遠に座する巨大な存在を知覚した気がした。


 そして、閃光に包まれる。

 真っ白になっていた視界が次第に色を取り戻すと、カラフルな看板を掲げたビルとしい数の人々が見えてきた。

 足元には白く太い線の縞模様があり、つまり横断歩道だ。109と描かれたビルもある。


 間違いない。

 勇者は異世界に召喚される前、関東に居住していたため、何度か来た事がある。

 ここは渋谷スクランブル交差点だ。しかもそのど真ん中。


 辺りでは仲間たちがポカーーンとした顔で周りの景色を見渡している。

 どうやら全員時差無しでこちらに来られたようだ。


「きゃあっ!!」

「な、何なの!?」


 気が付くと眼の前では女性が二人、尻餅をついて驚愕の表情でこちらを見上げていた。

 片方は肩までのセミロングを明るめの色で染めた活発な印象を受ける女性。


 もう片方は腰まで伸ばした黒髪と落ち着いた眼差しで大人びた印象を持った女性。

 二人ともカジュアルな服装をしている。


 手に持ったカバンや年齢から大学生かな?と勇者は思った。

 勇者達がこの世界に出現した瞬間を目撃してしまったのかもしれない。


 こうして、勇者〝阿久和 章吾〟は元の世界へと帰還したのだった。



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