第14話 内心

───ハク───


 まさかこのタイミングでかねてからの懸念が晴れるとは思っていなかった。

頭のどこかでは、ご主人様に自ら死を選ぶような意思はないと気づいていても、不安は何時までも心の奥底に巣食っていた。いつか死ぬ、という言葉の意図が分からなかっために、その言葉だけが頭の中を占領し続けていた。


 悩みが一つなくなっただけで、ここまで気が軽くなるものなのだろうか。非常に気分が良い。


「それで、ご主人様が空を飛んでいたのはどうしてですか?」


 ご主人様が空から戻ってきたときにはかなり驚いた。まずそもそも空を飛べるということを知らなかった上に、あの時の姿だ。


 今でも、脳裏にあの時の光景が張り付いている。

 混じり気の無い深い青色の髪が、瞳が、自分を呑み込んでしまいそうで、その白い肌が正午を過ぎたばかりの日の光を受けて痛々しくさざめいていた。無性に涙が出そうになって、目を逸らさないように、視界を歪ませないように耐えることが苦痛だった。

 翼が一つ羽ばたく度に、その空気を切り裂く重い音が心臓を抉った。龍の、その威容を現すに相応しいという表現では生温い程の光景だった。


「自分でも良く分かってない。飛べる気がしたから意識したら翼が生えて来て、そのままそれを動かして飛んだって感じ」

「………なるほど」


 どうしてできたのかと問われて答えに詰まるのは、何となく想像が付いた。元は人型でなかった私たちからしても、どのようにして体を作り変えているかと言われたら良く分からない。

 確実にご主人様の影響を受けてはいるのだろうけれど、詳しい理由は分からない。


「他の魔法に関してはどうでしょうか?」

「説明は難しいけど、魔素を実体化させる能力かな」


 ほら、と言ってご主人様が部屋の奥の方を指さす。その先にあった部屋に置いてある毛皮やら食器やらが宙に浮きあがる。

 その周囲の魔素は、まるで誰かの手がそこにあるかのように手形で動き回っていた。魔素が薄暗い青色を放っている。間違いなくご主人様の魔素だ。


「それで、首を絞めたということですよね」

「あれ? ハクは見てなかったよね?」

「サーロから話を聞きました」


 ご主人様が部屋を出て行ったとき、コクは残党処理をしてくるのだろうと言っていたのだが、その間にサーロに詳しい話を聞いた。フィアに聞かなかったのは、フィアが少し落ち込んでいたから。

 曰く、ご主人様にせっかく許可をもらって外出をしていたのに、迷惑をかける形になってしまったと。まずは生き残ったことを喜ぶようカーロに怒られていた。


 サーロの語った内容は、想定の範囲を優に飛び越えていた。

曰く、手をかざしたら首が飛び、視線を向ければ声を上げて倒れ、ひとたび拳を振るえば頭部は爆散する。普通、魔法はそこまで戦闘に使用できるものではないはずだというのに。


「魔素量はどの程度なのでしょうか? 戦闘中に足りなくなったようなことはなかったと聞いてますけれど………」

「考えたことなかった。今度試してみる。魔素量は増やせるっていうし、今のうちに増やしておきたい気もするから」

「もしかしたら、魔法自体ももう少し効率よくなるかもしれません」

「そうだね、まだ色々と試してみた方が良さそう」


 実践などの方がなんらかの変化はありそうだけれども、練習することが無駄だとは言わない。出来る限りのことはすべきだろう。私たちも普段はなるべく動けるように体を慣らしている。流石にフィアと打ち合うようなことは出来ないが、カーロ辺りであれば追いつけるようになって来た。

 何となくご主人様が嫌がるような気がして隠れてしているのだけれど。


 でも、そろそろ伝えた方が良いのかもしれない。訓練自体を禁止されるようなことはないだろうし、ご主人様が危惧するだろうことは今回のフィアのような事故。となれば、自衛力だけでも養っておいて損はない。


「………あの、私も訓練を見学しても良いですか?」


 口を出してきたのはコクだった。抜け駆けが許せなくて手の甲を抓ると、コクはちらりと冷たい視線だけをこちらに向ける。


「あの、できれば私も見学したいです」


 変なちょっかいをコクにかけている場合ではない。自分も見学できるように、売り込まなければ。


 ご主人様の魔法の練習。最近ではご主人様と行動を共にする時間も少なくなってきているから、ここを逃したくはない。それに、魔法を含めて諸々の検証をするのであればあの姿もまた見ることが出来るかもしれない。あの、龍と混じったような姿を。


「別に良いけど、面白くもないよ?」

「楽しむために見るわけではないので」


 コクが即答する。

 どう考えても嘘だろう。実は私よりもご主人様への想いが重いのだから。楽しむために見るわけではないと口では語っているが、絶対に私情の入り混じった要望のはずだ。


「ハクもそれでいいの?」

「はい。私は楽しめると思うので」

「隠すものでもないし、好きに見て良いよ。ただ、魔法の暴発とかに巻き込まれたら大変だから少し離れたところで見ていて欲しいけど」

「分かりました。ありがとうございます」


 コクは表情を崩さないようにしているけれど、嬉しそうな雰囲気を隠すことはできないでいた。私も嬉しくて笑うのをこらえられていないから、それをとやかく言えるような立場ではないのだけれど。


 ご主人様がそんな私たちの頭を撫でてくれた。出会った当初から変わらない。優しい手。自分の笑みが深まるのを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る