第2話 またの出会い
森に入ってから早くも一週間が経った。以前の生活と比べると森での生活は質素で忙しい。ただそれも、一週間も経てば随分と慣れてきてしまった。
慣れない環境で、危険に囲まれて生活をするため、何か対策でもしなければ直ぐに命を落としかねないと思っていた。食事に有り付けない、急な環境の変化で体調を崩す、野生動物に襲われて怪我を負い悪化するなど、考えれば考えるほど自分が上手く生きて行けるような気がしなくなってくる。それでも今もまだ生きている。何故だかは分からないけど。
一週間の間に心もかなり軽くなった。ハクとの生活が楽しいお陰だろう。
家を追い出された出来事で腹を立てるのも悲しむのも癪に障るので、基本的には何も考えないようにはしていた。それでも、どうしても頭のどこかで消えない思いはあった。それが、時間を経てかなり薄れたような気がしている。
ハクも非常に元気だ。この一週間の間に体の大きさが三倍以上になったほどには。体重も想像以上に重くなってきていて、背中に乗られると体勢を崩しそうになるほどの重厚感がある。確かに
そう、ハクに与えると喜ぶせいで、何か動くものを見つけると食べ物だと思って手を伸ばしてしまうような癖が付いてしまった。………自分は悪くないと信じたい。手癖じゃないんです。ハクの喜び方が素直過ぎるだけなんです。
あとハク、それは成長で良いんだよね? いらぬ贅肉がついている訳ではないことを祈ろう。
そして、実はその小動物の狩りに関しても、龍の子に付随する体の変化の影響がある。
というのも龍の眼というのは人間の目とは構造が若干違うらしく、暗い場所でも何があるか分かったり、薄い壁を通しても見えるものがあったりする。微妙に使いどころには迷うものの、完全に役に立たない訳ではなかった。しかも人間だったころの視界が完全に失われたわけではなく、体感的には半々でどちらの見え方もしている。ただ意識的に切り替えることなどは出来ず、まだ慣れない視界に戸惑うことも少なくはなかった。
何かを通して見る際、その間の厚さの限界は人の肘から先の長さ程度だ。岩などを通して見ることは流石に難しいものの、木の幹の窪みで擬態しているような鳥や、草葉の陰に隠れている生物は何も問題なく見つけられた。
辺りで見つけて来た小鳥の片方をハクに与える。ハクは一口でそれを呑み込み、満足げに体を揺らして、白い鱗に良く映える赤い舌を覗かせた。感謝を伝えたいのか座り込んだ足の上に登ってくる。頭を撫でるとハクは動きを緩慢にしてそのまま瞳を閉じた。
自分も何か食べたい。一日動き回っていると無性に口寂しくなってくるのだ。正直まだあまり空腹ではないのだが、何かを腹の中に収めたかった。
森に入ってから食事量はかなり増えている。
龍の子のお陰かどうなのか色々と体の調子は良いが、実は一つだけ気になることがある。それが食事量だった。元々小食ではないとはいえ、この森に入って来てから食べる量は徐々に増えていて留まる所を知らず、今はまだ人間の食べる量の範囲をかろうじて超えていない程度にまで膨れ上がっていた。食料調達はこの森暮らしの中で面倒な課題の一つであるため、気にしないわけには行かないのだけれど………。
幸い未だ謎の多い龍の眼のお陰で小さな獲物には事欠くことが無いが、それでも食料が足りない日は多かった。しかも、ついハクにあげることも少なくないわけで。そろそろ本格的に動物を狩れるようにならないと不味いかもしれない。
しかし今の所、一匹で長期間の食事を賄えるほどの大きな動物を狩れる望みは少なかった。この森の入ってから大型の動物を見ていないわけではないのだが、見たとしてもかなり遠くに小さな影が見える程度で、会敵したと表現できるほど近寄ったことはない。近寄ろうとすれば、かなり遠い内に気が付かれて逃げられてしまうことが殆どだった。そのため大型の動物を狩ると言われても、何をどうすれば良いのか皆目見当もつかない。
考えているだけで食事が湧いて来るわけでもないので、取り敢えずは小動物で我慢しつつ色々と試してみる他ないだろう。
「文明の利器が使えないのは辛いね」
どれほど文句を言おうとも、今は手に入るだけの食料で腹を満たすことしかできなかった。小鳥を焼くために必死になって火を起こしながら、体を揺らしながら眺めるハクに語りかける。相変わらず返事は無いが、それでも何となく楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
こうしてハクと話す───一方的に言葉を投げかけているだけではあるけれどもが───ことがどれほど自分を支えているだろうか。ハクに出会わなければ森に入ってから何もしないで野垂れ死にしていたかもしれない自分を思うと、こうして今生きていることが感慨深く思えさえした。
やっと火が着いたので、枝に刺した小鳥を地面に刺して炎で炙る。毛は毟ったが、血抜きも何もしていないのであまり美味しくはないと思う。最近の食事は大抵そのようなものだった。今ばかりは生で食べられるハクが羨ましい。生暖かい血が自分の口の中に広がる感触を想像すると背筋が粟立つような気がするので、本気で生肉を食べたい訳ではないけれど。
そうして火の上で鈍い小さな破裂音をたてる小鳥を、二匹の蛇と一緒にぼんやりと眺める。二匹の蛇と。
そう、この一週間の森生活の中での一番の変化である。
「コクはいつからいたんだろうね………」
コクと名付けたその蛇は、その名前からも分かる通り瞳の縁に至るまで全身が黒い。四日前ほどからだろうか、気が付いたらコクはハクと一緒に
今となってはハクが自分と出会う前から二匹が知り合いだったのかどうかは分からなくなってしまった。ただ仲はとても良く、二匹でじゃれ合っている姿をよく見る。
地面に刺してあった枝を引き抜いて、焼き立ての鳥を口に運ぶ。散々おいしくない不味いだの言った小鳥だったが、思いのほか口に馴染んだ。そろそろ無味の生活に慣れて来たのかもしれない。
人間として暮らしていた頃と比べてどちらの生活の方が楽しいかと言われると、言葉にはしがたい答えづらさがある。勿論今の生活が楽しいことは間違いないのだが、はっきり今の生活の方が良いと言い切れないのは、
ただもう今は、あの暮らしが戻ってくることはない。諦めるほかないのだろう。かつてを取り戻そうとするのは。忘れるしかない。忘れなくてはならない。
ただ未練がないとは言えずとも、家族の変貌を見てしまってからは戻りたいとも思えなくなってしまった。あの優しかった自分の家族が何故ああなってしまったのか、と困惑に近い思いも大きいけれど。
正直に言うと、ハクとコクを家族の埋め合わせとして扱うようなことはしたくなかった。彼らが自分の生活の大きな精神的支えになっていることは間違いがないけれど。それでも、彼らに全体重を寄り掛からせて生きていくようなことはどうしてもしたくない。
それに、今はまだ詳しいことは分からないが────………。
いや、止めよう。叶わないかもしれない未来に縋りつくようなことはしない方が良い。実現できなければ悲しくなるだけなのだから。
何とはなくハクとコクと戯れる。ハクは結構活発に俺の体を動き回るが、コクは手に縋り付いて来るだけであまり動こうとはしなかった。ただ、撫でる手を止めると抗議するように甘噛みしてくる。ハクが背中に入り込んできた。
今日は随分と元気なご様子で。あれ、ハクさんや? くすぐったいんですけど。
ハクが背中の鱗の部分を舐め始めた。普通の肌の部分と違って、一枚皮を隔てられているような感じはするが、それでも感覚はある。
少しの間我慢したが耐えられなくなって、ハクを背中から引きずり出してコクと一緒に足元に居させた。不満気だったが、撫でたら落ち着いた。
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