続・蠱毒姫 〜魔王の花嫁と冥府の王

有馬 礼

第1話 薔薇園のアフタヌーンティー

 ここには、人の国だけでなく、あらゆる異界から集められた花々がいつも咲き乱れている。魔界の王宮の庭園はアウゲのお気に入りの場所だ。

 ヴォルフはいつもの散歩のような顔をしてアウゲを散策に誘った。ただし今日は、可憐なピンクの薔薇が咲き乱れるアーチをくぐった先にアフタヌーンティーの席が設られているのだが、まだ秘密だ。


「ほんとは異界でデートしたかったんですけど」


 アウゲの手を引きながらヴォルフが言う。現魔王の唯一の息子であり、魔界の王太子。その表情はあくまで柔らかく、甘い微笑みとともに濃い青の目がアウゲを見おろす。薔薇のアーチの隙間から漏れてくる光を反射して、ヴォルフの暗めの金髪が鈍く光る。


「いいえ。ここのところ、出陣したきり戻っていなかったでしょう? ゆっくりしてもらいたいわ。それに、私はこのお庭が好きよ」


 アウゲがごく薄い水色の目でヴォルフを見上げる。長くて真っ直ぐな銀の髪がさらりと揺れた。


「『離宮』の裏庭よりも?」


 アウゲは人の国から来た魔王の伴侶だ。魔王の伴侶として生まれた者は、人の国では他者を死に至らしめる毒素を撒き散らす「蠱毒の者」と呼ばれる。持って生まれたその体質から、人と触れ合うことはおろか親しく交流することも制限された。アウゲもまた、常にマスクをつけ、呼気に含まれる毒素を浄化するための浄化筒を背負って暮らしていた。

 その孤独の日々の中現れた近衛騎士、それがヴォルフだった。彼は自らの正体を偽ってアウゲに使える近衛騎士として人の国に来ていたのだった。

 祖国であるギュンターローゲ王国で暮らしていた、離宮とは名ばかりの小さな二階建ての家の裏には小川が流れていて、アウゲはそのほとりを散歩するのが好きだった。ヴォルフが言った離宮とはかつてアウゲが暮らしていた場所のことだ。


「それは……難しいところね」


「戻りたいと思うことはありますか?」


 ヴォルフは低い、落ち着いた声音で尋ねる。


「いいえ。ないわ」


 アウゲは優美にしかしきっぱりと言った。ヴォルフが愛する、気高さと負けん気の強さで。


「本当に?」


「ええ」


 アウゲは足を止めて、今まさに花開こうとしている薄ピンクの薔薇の蕾に、指の背でそっと触れる。


「でも春の裏庭は……そうね、好きだったわ。懐かしく思うこともある。けれど、それだけよ。なぜなら、今はここが私の居場所だから。違って?」


 アウゲはほっそりした指をヴォルフの節張った長い指に絡めた。


「姫さまの言うとおりです」


 ヴォルフは繋いだ手を持ち上げて、アウゲの白くて滑らかな手の甲にくちづける。アウゲはくすぐったそうに目を閉じて笑った。

 緩やかにカーブしている薔薇のアーチを抜けた先には――先客があった。


「あら、遅かったのねぇ。先にお茶をいただいているわよぅ」


 薔薇の葉と同じ濃い緑のドレスに身を包んだ女性は、ヴォルフの母であり現在の魔王・ローザだ。母と言っても魔族の年齢の重ねかたは人とは違うため、見た目はそう変わらない年齢に見える。その隣にいるのは、アウゲの前に人の国から魔界に来た、アウゲにとっては先祖であり義理の父である王配・ヴァイスト。


「やあ、君も、なかなか粋なことをするようになったね」


 ヴォルフにそっくりな声でヴァイストが言う。


「……ちょっと待ってください、なんで父上と母上が?」


「うふふ、母は何でもお見通しよぅ?」


「勝手に見通さないでください、気持ち悪い」


 ヴォルフはぶっきらぼうに言う。


「まあ、いやねぇ。これだから男の子は」


「なんで母上にバラすんだよ」


 ヴォルフは優雅な手つきでお茶を淹れている蜥蜴型魔族の執事頭、メーアメーアに食ってかかる。


「は? 言いがかりはおよしください」メーアメーアはカップから顔を上げるとぺろりと眼球を舐めた。「そもそも、朝の会合をすっぽかしたのはヴォルフさまでは? 朝食がアフタヌーンティーに変更になった、ただそれだけのことでございます。すべてはヴォルフさまの自業自得というもの。だいいち朝から」


「あ、あの」


 アウゲは必死にメーアメーアの小言に割り込んだ。朝食を摂りながら会議をするはずだったということをアウゲは今知ったが、それはともかく、なかなかベッドから抜け出せなかったのはヴォルフがなんやかんやと渋ったせいで、つまりはそういうことなのだが、この流れでは義理の両親の前で余計な事柄が披露されてしまう。それは何としても阻止したい。


「お茶、お茶がいただきたいわ。せっかくこんな素敵な場所を用意していただいたんだもの」


「おお、左様でございました。わたくしとしたことがとんだ失礼を」


 メーアメーアは反対の眼球を舐める。

 ヴォルフは全く納得していない顔で、アウゲのために椅子を引いた。

 デーブルの上に並んだ、趣向を凝らした菓子も周りの薔薇に合わせて薄いピンク色で統一されている。


「姫さまも、あのピンクのドレスで来れば良かったのに」


 デコルテから上を露出させるそのドレスが着られなくなった原因のヴォルフが言う。ヴォルフから提案されたその時は、誰に見られるわけでもないから構わないかとも思ったが本当に危なかった。今着ているハイネックのドレスは胸元から上はレースだが、色が黒なので胸元や首筋に散らばった紅い痕は案外透けない。いや、見えていたところで誰も何も、指摘などしないだろう。しかし、そのことと恥ずかしいかどうかは全く別物だ。


「……今度はそうするわ」


 うっかり「誰のせいで」などと言おうものなら墓穴を掘ることが明らかなので、アウゲはそう言うにとどめた。


「それで? ご多忙にもかかわらず邪魔しに来た理由は何です?」


 ヴォルフはわざと背もたれに寄りかかる。


「ヴォルフ……」


 アウゲは嗜めるが、ヴォルフは全く意に介さない。


「いやねぇ、男の子は。情緒を理解しないんだからぁ」


 ローザは全く音を立てずにカップを戻した。


「まずはお茶を楽しみましょう。せっかくこんな素敵な場所で家族が揃ったんですもの」


「ヴォルフはここのところずっと忙しかったからね。ローザもそうだけれど、魔王は激務だ。休める時には十分に休むんだよ」


 ヴァイストが穏やかに言う。この、物静かで穏やかなヴォルフの父も怒ることがあるのだろうか、とアウゲはいつも思う。


「ありがとうございます。母上がもっと休みをくれればそうできるんですけど。ねえ、母上?」


 ヴォルフはローザを見る。


「うふ、ヴォルフは、自分の役割がどれほど重要なものか、理解して行動できる男の子だものねぇ?」


「やり口が汚いんですよ、いつもいつも」


 アウゲの前で格好悪いところは見せられないという弱みを握られているヴォルフは、結局母から休暇をもぎ取ることができない。


「格好つけてる男の子は好きよ? ねえ、アウゲもそうよね?」


「え? ええ……」


 何のことかよくわかっていないままにアウゲは曖昧に頷く。


「ちょっと、姫さまを巻き込むの、やめてもらっていいですか」


「ははは。頑張るんだよ、ヴォルフ」


「……父上まで」


 ヴォルフは恨みがましい目を父に向ける。


「さて」


 ローザが言う。その声音はヴォルフの母ではなく、魔王のものだった。


「今日は2人に話しておかなければならないことがあります」


 ヴォルフとアウゲも改めて姿勢を正した。


「最近の冥界の活動の活発化を見るに、冥界では、新しい冥府の王が誕生したと見て間違いありません。魔界の王は、冥界と現世を隔てる世界を統べる者として、冥府の王にその存在を認めさせなければならない。即ち、『即位の試練』です。その時が近づいている。そして、この試練には、魔王とその伴侶の2人で立ち向かわなければならない。心しておくように。いいわね?」


 ローザはヴォルフを、そして次にアウゲを見た。


「それぞれにとって、厳しい戦いになるわ」


 その言葉に、アウゲは冬の風に吹かれたように身体を震わせた。


「いつです」


「それは、誰にもわからない。明日かもしれないし、10年後かもしれない。でも、試練を開始する時、冥府の王はそのことを宣言しなければならない約定なの。その時がくればわかるわ」

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