僕と彼女と金木犀

十余一

僕と彼女の出会い

 褪せた橙色の座席に一人座り、流れていく景色をぼんやりと眺める。たった二両で走るローカル線。掲示されていたポスターによると沿線に紅葉の観光名所があるようだけれど、時期にはまだ早いようで他に乗客はいない。


 じっくりと考え事をするには良い環境だ、と古びた車両に揺られながら思う。何処でもいいから、とにかく一人になってみたかった。自分探しの旅というほど大層なものでもない。ただ、僕の人生はこれでいいのか、なんて問いかけをしてみたくなったんだ。

 そういうとき、従兄は数日行方不明になって友人と車で行き当たりばったりの旅をしたらしい。僕にはそこまでの度胸はないから、鉄道で、日帰り。目的地も決めずに足の赴くままの一人旅。

 

 車窓に映る緑ばかりで変わり映えのしない風景から目を離し、自分を取り巻く日々に想いを馳せる。

 代々続く名士の家系だから、その家の嫡男だから、周りは皆そういう目で僕を見てくる。純粋な期待に満ちた目だけではない。相応しいかどうかの品定め、あるいは媚び諂う卑しい眼差し。そんな視線の数々に嫌気がさしてしまったんだ。気に病み、終いには部屋に一人でいるはずなのに誰かに見られているような気さえした。

 こうして人里離れたところで気分転換をしたら、再びあの日常に戻り頑張っていけるだろうか。それとも、何か他の選択肢を見つけられるだろうか。



 僕を乗せた列車は終点に着く。ホームに降り立った瞬間、ふわりと金木犀が香った。線路に沿って、オレンジの小さな花をつけた木が立ち並んでいる。深呼吸して大好きな秋の香りで胸を満たした。

 クリーム色と朱色に彩られた車両を見送ってから木造の駅舎へ向かい、改札を通る。といっても自動改札ではなくICカードも使えない。ただ「ここに切符を入れてください」と書いてある小さな箱に切符を入れて通り過ぎた。当然駅員などもいない無人駅だ。このレトロな雰囲気に、首都圏ながら遠くに来てしまったような気がして、期待と少しの不安にそわそわとしてしまう。

 そんな僕に声をかける人物がいた。


「レン君……?」


 振り向くと、女性が驚いたような顔をして立っていた。


「やっぱりレン君だ! 久しぶりだね」

「えっと……、人違いじゃないですか? 僕はレンという名前ではないですし」


 目の前にいる女性にもレンという名前にも心当たりはない。僕の本名には掠りもしていないし、女性の勘違いだろうか。


「自分のあだ名を忘れちゃったの? オジ色が好きだから『レンくん』でしょう」


 嬉しそうに笑いながら話す彼女の言葉を聞いて思い出した。そういえば幼い頃そんなあだ名で呼ばれていたっけ。誕生日の頃に咲く金木犀の花が好きで、持ち物も全てオレンジ色にしたいと親にせがんだことがある。その頃の知り合い……?


「私のこと覚えていない? 久成妙和さわだよ」

「もしかして……、『さっちゃん』!?」

「大正解!」


 一層笑顔になったさっちゃんが飛び跳ねんばかりに喜ぶ。まさかこんなところで偶然にも会えるだなんて。小学二年生のときに転校していったさっちゃん。十数年ぶりに会った彼女は、当たり前だけれど、記憶の中にあるあどけなくて可愛い女の子とは違う。


「驚いたよ。さっちゃんは昔から可愛かったけれど、今は凄く美人さんだね」

「……すぐに思い出せなかった言い訳?」


 さっちゃんが照れながら、少し拗ねた様子で僕を睨みつける。慌てて弁明して、そっぽを向かれて、ちょっとしてから同時に噴き出してしまい笑い合う。二人の間には、会えなかった時間なんてなかったかのような雰囲気が漂う。何もかもが懐かしい。大好きな金木犀の香りもさっちゃんも。



 さっちゃんは今、この村で叔母の店を手伝いながら暮らしているという。そして、出勤の時間までまだ暫く時間があるからと、村の案内を買って出てくれた。下調べをせずに来てしまった僕にとっては嬉しい申し出だ。


 駅から離れ、長閑な田舎の道を二人並んで歩く。この先にある湖の景色がとても綺麗らしい。それから金木犀の名所もあるのだとか。線路沿いの木々も見事なものだったけれど、それ以上と言われ期待が膨らむ。


「レン君の家にあった木よりも、もっとずっと大きな木がたくさん並んでいるの」


 身振り手振りを交えながら活き活きと話すさっちゃん。その言葉に少しの違和感を覚え、「好きでしょう、金木犀」と続けた彼女に疑問を返してしまった。


「あれ? うちに来たことあったっけ?」

「……。レン君の家は大きなお屋敷だったでしょう。目立つからみんな知っていたと思うよ」


 金木犀があったのは中庭だったはずだ。でも、まあ、うちは良い意味でも悪い意味でも有名だったし知られていても不思議ではない。

 彼女は次いで湖に来る水鳥について話し始めた。その可愛らしい横顔を見つめながら、恋をして自由に生きる道もあるのかもしれないなんて考えてしまった。


 旅先で偶然にも初恋の人に再会して、意気投合して、楽しいひと時を過ごす。この地に来る前には思いもよらなかったことだ。これが何か良い予兆であればいいと願ってしまう。


 僕の人生に何か変化が訪れることを期待して、さっちゃんの隣を歩いた。

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