第15話 束の間-4

 ある日を境に私はあまり外を出歩かなくなっていた。かれこれ一月くらいになるだろうか。暇があれば離れでカレンさんの書いた書類に目を通している。内容を覚えるほどに繰り返し読んでいたと思う。


 しかし、決してこれを熟読するために外出しなかったわけではない。


 外に出ると、「誰か」に出会う気がする。


 「なにか」が動き出す気がする。


 そんな曖昧な理由からだ。もちろん、それには推測レベルではあるが予感もあった。


 そういえば、いつかサージェ氏が「勘は言葉で説明できない最良の選択」と言っていたのを思い出した。今の私にある予感が「最良」になるのかはわからない。ただ、今の生活を壊してしまう恐怖が私をここに縛り付けているようだ。


 友達関係の異性に告白したら、恋人同士になれるかもしれない。けど、結ばれなかったら友達としての関係を続けられない。だから、告白自体できずに友達のままを続けている。

 そんな思春期にありそうな悩みとどこか似ているように思えた。




「スガさん、お体の調子が悪いんですか?」


 昼間に酒場の開店準備をしていると、ラナさんにそう声をかけられた。


「いいえ、特になにもありませんが……?」


「そうですか……、ここ最近はお休みの日もずっと離れの中にいるみたいでしたので少し心配してました」


「外が暑いですからね、たしかに少し気怠くなっているのはあるかもしれません。私の祖国では『夏バテ』と言ってましたね」


「たしかに暑い日が続いてますね。カエルさんが大活躍してますよ」


 アイスクリームメーカーは完全に4人目の店員となっていた。もし現代の日本にラナさんがいたら奇妙なゆるかわグッズとか買い込んでいそうだ。


「ですが、あんまりお外に出ないと本当に体を悪くしてしまいますよ? ちょっと前までお休みの日はいつもお出掛けされてたので余計に心配です」


 たしかに休みの日は、この世界のことを――、街のことをいろいろ知って覚えたい一心でずっと出歩いていた。それを急にやめると不自然に見えてしまうかもしれない。


「本当になんでもありませんよ。次の休みは外に出ようかと思います」


 まったくそんな気はなかったのだが、ラナさんを安心させる意味で私はこう言った。しかし、それを勘付かれたのか、彼女は私の目をじっと見つめてくる。黒く大きな球体に虹色の虹彩が輝いて見える。いつ見ても綺麗な目だ。


「もしお約束がないのでしたら、ボクに付き合ってもらえませんか?」


「えっ……と、なにか買い出しとかでしょうか?」


「いいえ、特になにもありませんよ。一緒に外でお食事とかお買い物をしたいかな……って。ダメですか?」


 私は全力で首を横に振った。いろいろ予想外な話で心が追い付いて来ていないが、身体の方は意味を理解してくれたらしい。


「いいえ、まったくダメじゃありません。私でよければ喜んで」


「では、決まりですね。お昼から外に出たいのでお寝坊は許しませんからね?」


 彼女はいつもの笑顔を私に向けてそう言った。ほんの少し前までは、次の休みに楽しみなど感じていなかったのに、急に待ち遠しくなってきた。我ながらなんて単純な人間なのだと呆れてしまう。




 ――そして、次の休日。


 私は朝、まだ薄暗い時間に目を覚ましていた。寝坊するどころか早く起き過ぎて外で眠くならないか心配なくらいだ。まるで、初めて異性とデートする男子学生のようだと苦笑した。

 たしかに社会人になってからは仕事ばかりで、それらしい付き合いはまったくなかった。


 女性とデート(?)をするのは大学生以来だろうか? ラナさんとはいつも一緒に仕事をしているのに、すでに緊張している自分がいる。それでもこういう懐かしい感覚自体を楽しもうとしている自分がいるので、学生時代よりは心が大人になっているのだろう。


 しっかり明るくなったくらいで外へ出て、新鮮な空気を吸い込んだ。車の排気ガスとかが一切無い世界なので、肺いっぱいに空気を取り込むのがとても気持ちいい。


「あらあら……、おはようございます。もう起きてらしたんですか?」


 ラナさんも早くから起きて、庭の植物に水を撒いているところだった。


「おはようございます。寝坊だけはしまいと意識していたら、こんな時間に目が覚めました」


「ふふっ、せっかくですから朝ごはんを一緒に食べましょうか?」


 早起きは三文の得、というが私にとっては三文どころではない。酒場の空席を使って他愛のない話をしながらラナさんと食事をとる。その後、少し時間を空けてから私たちは街の中央へ出かけた。


 私はあまりおしゃれな服を持っていなかったので、仕事用のワイシャツを着ていった。なにか準備するものがあるわけでもないのだが、離れの中を無意味に右往左往していると、いつの間にか時間は経っていった。


 お店の前でラナさんを待っていると、彼女はいかにもお出掛けらしい服装で私の前に現れた。

 淡い水色の薄手のワンピースを着て、茶色で少しメッシュの入ったパンプスを履いている。背中に純白のリボンが結んであり、首には細い銀のネックレスをしている。


 私は少しの間、その姿に見惚れていた。

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