第15話 束の間-3
「なんだい? ユージンをボコボコにしなかったのかい?」
例によって、夜遅めの時間に酒場へやってきたカレンさんは私にこう言った。
「私に謝ったりなんて必要ありませんよ。ましてや殴るなんてやっても自分の手を痛めるだけです」
「あの、アイスクリームとかいうのつくる道具みたいな顔にしてやったらよかったんだよ。優しすぎるのも考えもんだよ?」
私はあの半魚人みたいな絵を思い出して少し笑いそうになった。
「――カレンちゃんは相変わらずだな。もう少しお淑やかならないと男が寄り付かないぞ?」
急に私の背後から男性の声が聞こえた。
「トゥルー!?」
今度はカレンさんが大きな声を出した。振り返ると、がっしりとした体格で、私より少し年上に見える男が立っていた。この人はたしか……、この前近くの駅ですれ違った王国騎士団の人だ。
「久しぶりだな、カレンちゃん。2年ぶりか……。元気そうでなによりだ」
トゥルーと呼ばれた男性は、カレンさんの座るカウンター席の横に立った。
「お前……、ラナには先に挨拶しといて私にはようやくかい!?」
「すまない。挨拶だけであのギルドに顔を出すのは気が引けるしな? こっちに顔出すのもなかなか時間がつくれなくて」
「とりあえず突っ立てないで、横座りなよ。スガ! 私のおかわりとこの男の分のお酒もらえるかい?」
私はカレンさんの空になったグラスを回収して、新しいのをもらいに行った。
「彼がスガワラさんか? 表に看板を出してる――」
カウンターを離れたときに、トゥルーさんの声が背中から聞こえてきた。私のことをラナさんあたりから聞いたのだろうか?
お酒を並々注いだグラスを2つ持って再びカレンさんの席へ戻る。それを受け取った彼女は顔の高さまで掲げて言った。
「いろいろ言いたいことはあるけどさ、まずは一杯やってからだ」
トゥルーさんも同じ高さにグラスを掲げて、カチンとそれを軽く合わせた。
「オレは強くないからな、そんなに付き合えないぞ?」
ふたりはそう言うと同時にグラスを傾けて一気に半分ほどの量を飲んでいた。
「おう、トゥルー。戻ってたんだってな。元気にしてるみたいだな?」
今度はブルードさんが厨房から顔を出してきた。
「ブルードさん! ご無沙汰してます。そちらこそ変わらずいい身体してますね?」
「はっはっは! 当たり前だ。オレは死ぬまで身体を鍛え続けるぞ」
「カレンはトゥルー様が戻って来たと知ってから、ここに来るのを待ち焦がれてたんですよ?」
ラナさんが横から声をかける。カレンさんは口に含んでいたお酒を吹き出しそうになっていた。
「ラナ、あんまりふざけたこと言うな。とっちめるぞ?」
カレンさんはラナさんを軽く睨み低い声で言う。ラナさんはにこにこしながらそれに応えていた。私は気を利かせるつもりでここを離れようと背を向けた。
「あの――スガワラ、さんですよね? ご挨拶させてください」
「あっ……はい。どうも、はじめまして」
声をかけてくると思っていなかったので虚を突かれたようになった。彼は席から立ち上がりお辞儀をした。
「はじめまして、トゥルーといいます。2年ほど前までこのあたりに住んでいました。ここのみんながお世話になっていると聞いています」
「スガワラ ユタカです。世話になっている、なんてとんでもない。私の方が皆さんにお世話になりっぱなしですよ」
彼は一歩こちらに歩み寄って右手を差し出してきた。私は一度手を拭ってからその手をしっかりと握った。
「オレもこれからお世話になるかもしれません。よろしくお願いします」
口角をかすかに上げた、お手本のような微笑みで彼は私を見ていた。
◆◆◆
酒場からの帰り、私は久々にトゥルーとふたりになった。
ここ数日、暑い日が続いていたが、夜は涼やかな風が吹いており湿気もそれほど感じない。並んで歩くと、こいつの身体は以前よりずっと大きくなっているように感じた。王国騎士団で相当鍛えられたんだろう。
「今日は楽しかったな。みんな元気で――、それに変わってないのがいいな」
トゥルーは夜空に向かって独り言のような呟いていた。
「トゥルーもあんまり変わらないね? 騎士団でずいぶん揉まれたんじゃないかと思ってたけど?」
「それはカレンちゃんもだろ? ブレイヴ・ピラーの『金獅子』の名は辺境にまで届いてきたぞ」
「『獅子』なんて可愛くない名前で呼ばれてもあんまりうれしくないけどねぇ?」
「『猫』の方がよかったかな? それじゃちっとも強そうじゃないか、ははっ」
「……トゥルーは、ラナが心配で戻って来たのかい?」
私たちは並んで歩き続けていた。ほんの少しの静寂が流れる。
「戻って来たのは単なる配置換えだ。だが、ラナちゃんを心配していたのも事実だな」
「そっか……。なんにもないわけじゃないけど、あの子は元気になったよ」
「ああ、それを確認できただけでも安心した。しかし、酒場の中には今でもいるようだったな?」
私はトゥルーが言いたいことを察した。
「入れ替わり立ち代わりずっといるよ。魔法ギルドの雇われとか、王国からも監視役みたいなの出してるんだろう?」
横目で顔を窺うと、左手で顎のあたりを触っていた。こいつが考え事するときの癖だった。
「オレの管轄とは違うからあまりわからないが……、きっといるんだろうな」
そう、ラナが精霊を使役する規格外の魔法使いかもしれない、と知れ渡ったあの時からずっと、あの子の周りにはその力を我が物にしようとする連中が蠢いている。
それに関して、うちのギルドも例外とは言えないけど……。
いや、むしろもっとも執念深くその力を追い求めているのがブレイヴ・ピラーなのかもしれない。
「私はラナに二度と悲しい想いはしてほしくない。そのためだったら誰とでも戦うつもりだよ。トゥルーも――、表立ってなにかしてくれ、とは言わない。ただ、ラナの心の支えになってやってほしい」
またほんの少しの静寂、トゥルーの息を吸う音が聞こえた。
「当たり前だ。ラナちゃんはオレの妹みたいなもんだ。それを危険なことに巻き込もうとするやつがいたらぶちのめしてやるよ」
「くっくっ! ラナが妹なら私もそうなのかい?」
「うーん、まぁそうだな……? 生意気な妹だけどな」
「うっさいね、一言多いんだよ」
「はっはっは、カレンちゃんと話してると夜道も退屈でなくて助かるよ。さて、路面電車に乗るんだろう? オレは今日、近くの宿に泊まってるからここでお別れだな」
「そっか、ちょくちょく酒場に顔出しな。今度はもうちょい飲もうよ?」
「次の任務に響かない程度にな。それじゃ、またな!」
トゥルーは軽く手を上げてから背を向けた。私はしばらくの間、その場で彼の背中を見送っていた。
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