◆第15話 束の間-1

 朝、いつもより早くを目を覚ました日、私はカレンさんから預かった書類に目を通していた。中身はすべて手書きで、ラナさんのご両親が殺害された事件のことについて記されている。終わりの方のページには、この近辺で殺害された王国騎士団の人の事件についても書かれていた。


 どちらの事件も「剣」と思われる長い刃物で斬られているようで、不意をつかれたのか争った形跡もないことが共通項のようだ。ラナさんのご両親は夫婦でこの酒場を経営していたようで、剣士でも魔法使いでもなく、争いの場に出る人ではなかったらしい。


 私自身がかなり変異的な「魔法使い」と知ってしまった今、これの才能について遺伝とかはまったく関係ないのだろう。


 最近――、と言ってもかなりの月日が経っているが、殺害された王国の騎士とラナさんの家とのつながりは特に見つかっていない。これらを結び付けているのは、カレンさんの話していた「特徴的な十字傷」だけだ。もっともこの傷はどうやら殺害時の傷ではなく、後からなにかのメッセージのように残されたもののようだ。


 紐で綴じられた書類を捲っていくと、これもカレンさんが手書きしたであろうその十字傷のスケッチがあった。その大きさや切り口の方向など細かくメモも添えてある。


 それを見ても最初はなんとも思わなかった。ただ、数枚の紙を捲ったところで私は先ほどのスケッチのあったページに戻った。


 彼女はこの傷のスケッチを「本物」を見ながら描いたのだろうか?


 つまり、殺害された剣士の遺体を見ながら……。よくよく見ると十文字と重なるように小さくアルファベットの「C」のような模様が描かれていた。


 これがもし本物を見て正確に描かれたものなら――。


 私の頭の中には、とある人物と話した時の内容が蘇っていた。気になっていた単語が頭の中で反芻される。同時に私はこの先、苦渋の決断をしなければならないと悟った。


「こんな偶然ってあるのか……」


 私は心の中で呟いたつもりだったが、それは口から音としてこぼれていた。




 お昼時の酒場、ラナさんとふたりで昼食目当てのお客の応対をしていた。今日も外の気温は高く、口コミで評判になったのか、アイスクリームの追加注文が多かった。なかにはスイーツ感覚で、それだけ単品で頼みにくる女性客もいるくらいだ。


 来客の波が落ち着き、テーブルの清掃と食器洗いをしていると、見覚えのある長身の男がお店へと入って来た。


「あら……、グロイツェル様? いらっしゃいませ」


 私より先にラナさんが挨拶をした。


「ラナンキュラス様、スガワラさん、失礼致します」


 グロイツェル氏は入口のところでラナさんに向かって大きく頭を下げて礼をした。その隣りには「ランさん」ことランギスさんの姿もあった。


「あらあら……、まずはお掛けになって下さい。すぐに冷たいお水を持ってきます」


 ラナさんはそう言ってぱたぱたと小走りでカウンターの裏に入っていった。私は今、掃除を終えたばかりの4人掛けのテーブルの椅子を引いて2人を誘導した。

 ランさんは言葉こそ発しなかったが、私とラナさんに笑顔を向けて頷いていた。グロイツェル氏がいる手前、遠慮しているのだろう。グロイツェル氏は席に腰を下ろしたが、ランさんはその横に立ったままだ。


 少しするとラナさんが氷を入れた水を運んでやってきた。ギルドの制服を着ている彼らを見ていると、中は汗だくなのではないかと心配になる。特にランさんの方を……。


 グロイツェル氏は一口だけ水を口に含んだ後、正面に座ったラナさんに向けて話始めた。私はなんとなくその近くに突っ立っていた。


「今日は2つほどお伝えすることがあって参りました。1つは、先日の『黒の遺跡』でのお礼を申し上げにきました。無事、カレンを救出できたのはあなた方のおかげです」


 彼はそう言って、ブレイヴ・ピラーの紋章が入った小さな箱をテーブルの上に置いた。彼が蓋を開けると、中には金貨が敷き詰められている。


「これは我がギルドからの謝礼です。遠慮なくお受け取り下さい」


 それを見たラナさんは無表情で、そこにかすかな険しさが含まれていた。きっとこの謝礼を差し出した人のさらに向こう側を彼女は見ているのだろう。


「ボクはカレンを――、親友を助けたかっただけです。正式な依頼に応えたつもりはありませんのでこれは受け取れません」


「ラナンキュラス様の想いはどうあれ、あなたは身の危険を冒してまでカレンを助けてくれました。それはスガワラ氏も同様です。我々はその成果に応える義務があります」


 グロイツェル氏は淡々と話している。カレンさんが彼を「頑固」と言っていたのを思い出す。これはそう簡単には引き下がってくれそうにない。

 すると、ラナさんは急に表情を緩めて笑顔で彼に語り掛けた。


「では、グロイツェル様。それにランさんも、ここのお客様になってくれませんか?」


「客……、ですか?」


 彼は虚をつかれたような顔をした。


「おふたり……いえ、他のお仲間の方を連れて来てもらっても構いません。お客様として来て下さったら、この金額分までお料理もお酒も提供させてもらいます」


 グロイツェル氏とランさんは一瞬顔を見合わせていた。


「しかし、それでは――」

「この条件でないとお金は受け取れません」


 ラナさんは笑顔のままきっぱりと言い切った。その後、いたずらっぽく笑って、「カレンを除いて……」と付け足した。


「――わかりました。ラナンキュラス様はなかなかに交渉の手腕をお持ちのようだ。その条件で受け取ってください。必ず、お客としてまたここを訪れます」


 グロイツェル氏はわずかに口元を緩ませていた。彼のこういう表情は初めて見た気がする。隣りにいるランさんは終始笑顔で私たちに応えていた。


「それで、実はもう1つお話がありまして……、ランギスよ。をここに連れてきなさい」


 彼がそういうとランさんは酒場から一度出ていった。私とラナさんがその姿を目で追っていると、ほどなくして戻って来た。後ろにひとりの男を連れて――。


 私は「その男」に見覚えがあった。――というより、苦い記憶ゆえに忘れられるはずもなかった。ラナさんも先ほどの笑顔から一変して、少し険しい顔つきとなっている。


 そこに立っていたのは以前、私を散々な目に合わせてくれた男、ユージンだった。

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