第7話 ケの日-7

「そっ…そもそも『星と月のトリート』のなんです! ほっ『星』が先にきてるんです! このお菓子の主役は星なんですよ!」


 ローゼンバーグ卿以外のことで熱弁を振るうパララさんを私は初めて見た。


「いや、オレも小さい頃は星が好きだった。大人になって味覚が変わったんだな。きっとこのお菓子は、小さい子向けの『星』と大人向けの『月』ってふうに作ってるんだよ。だから、オレらくらい歳になったら月のが口に合うんだ」


 ブルードさんの意見だ。例のチョコレート菓子もたしか年齢によって支持率が変わるといったデータがあった気がする。


「そうそう、ブルードさんの言う通りだよ? ラナもパララちゃんもサージェもまだ味覚は子どもなのかもねぇ?」


「自分は今の歳になって子どもの頃に食べられなかった辛いものでも食べられるようになりました。味覚の変化の自覚はあります。ただ、このお菓子の好みは変わらず星のままです」


 カレンさんの意見に反論するサージェ氏も初めて見た。


「血の味だって塩っぽい味でしょ? 甘い血ってないじゃないですかー。やっぱり月のがいいですよー」


 リンカさんの話は、血の味が前提の時点で破綻している。


「ボクはずっと星の方が好きです。カレンもよく一緒に食べてたじゃない?」


「だから! それはブルードさんが言ってみたいにさ、味覚が変わるの。私もたしかに小さい頃は星を選んでたよ。ラナと取り合って喧嘩もしたもんね。けど、今は月のがいいんだよ」


「え…っと、今日は私が両方ともたくさん買ってきたので喧嘩しなくても十分な量はありますが――」


 よくわからないが、徐々に熱を帯びてきたので、私は話を休止させる方向にもっていこうと思った。


「スガぁ、そういうことじゃないんだよ!」

「そうですよ、スガさん。そういうのではないんです」


 カレンさんとラナさん同時に否定された。「そういうこと」とは一体どういうことか。もはや私がどっちの好みか、という話ではなく、星と月のお菓子のどちらが優れているか、みたいな話になってきている。


 まさかお土産のお菓子がきっかけでこんな論争に発展するとは思わなかった――、というよりこれは予測不可能だ。このお菓子にそれほどの執着がない私は話に加わることもなく、この状況を眺めながら頭にはある言葉が浮かんでいた。


『早く終わってくれないかな……』



 皆がそれぞれ好みのお菓子を口に運びながら意見を交わしている。犬好きと猫好きがお互いの良さで論争するのと同じで、一生決着がつかない議題であることは間違いない。

 事実、様々な意見が飛び交っているが誰一人として自分の好みが揺らいでいないのだ。


 ただ、それなりの時間を議論に費やしたせいか、疲労の色が見え始めていた。ひとり、またひとりと言葉を発しなくなり、ついには皆が無言でお菓子を頬張っている。

 料理も食べ終わり、私はそろそろお開きにしてもいい頃合いだと思っていたが、それも言い出しにくい空気だった。


 私も星と月のトリートを、特にどちらというわけでもなく適当にとって食べていた。無意識に食べていたのだが、ふとあることに気が付く。選んでいたわけではないのだが、私はずっと星、月、星、月……、の順番でお菓子をつまんでいたのだ。

 きっと口の中に甘さが広がると、無意識に塩気を欲してしまうのだろう。また逆に、塩気で満たされると甘さを求めてしまっているようだ。



「このお菓子って……、交互に食べ続けるのが一番おいしい食べ方なんではないでしょうか?」



 沈黙していた皆の視線が一斉にこちらを向いた。話し疲れたのか、誰も言葉を発しなかったので少し怖い。

 そして今度は星支持者と月支持者の各々が顔を見合った後に、星好きの人は月を、月好きの人は星に手を伸ばした。無言で咀嚼した後、先ほど口に入れたものとは逆の方を口に入れていた。


 時が止まったように沈黙が流れた後、皆それぞれ次のお菓子を口に運んでいる。見る見るうちに量が減っていくので、私は無言で新しい袋を開けて補充していた。


「たしかに……、交互に食べるとお互いが引き立つようになるねぇ」とカレンさん。


「こっ…こんな贅沢な食べ方したことありませんでした。新しい発見です!」とパララさん。


「たしかに両方一度に開けたことはなかった……。盲点だったな」とサージェ氏。


「そうだよな、どっちか片方しか普通は袋開けないよな」とブルードさん。


「別々のお菓子食べ合わせるとか考えないですもんねー。これは意外でした」とリンカさん。


「これ……、一度この食べ方してしまうとやめられなくなってしまいますね」とラナさん。



 皆がそれぞれに「意見」というより、「独り言」を言いながらお菓子を頬張っている。料理も結構な量あったのにみんなたくさん食べるんだな、と思いながら私はその様子を見つめていた。


 星と月を交互に食べる、という方法が議論の終着点になった――、というよりは皆が疲れているところに、丁度いい落としどころとして嵌ったような感じだ。


 私は今日の出来事を勝手に「星月戦争」と名付けて日記に残すことを決めていた。




 その後、議論の再燃もなく、時間も相まって自然と解散の流れに向かっていった。後片付けは全員が手分けして手伝ってくれた。お互いが意見を言い合ったおかげなのか、最初に集まった時より明らかに皆が打ち解け合っているのが感じられる。


 もちろんそれは私自身も同じだった。お菓子の話題が白熱した時はどうなることかと思ったが、結果的にはあれが距離を縮めるきっかけになったようだ。


 片付けが終わり、皆がそれぞれの家に帰っていくのを酒場の外で見送った。私とラナさんだけが酒場の出口の前に残された。外は晴天の夜で、星の輝きが闇を感じさせなかった。


「とても楽しかったです。ラナさんとブルードさんにはせっかくの休みに、料理まで準備してもらって申し訳ありませんでした」


「スガさん、前にもブルードさんが言っていたでしょう? こういう時は謝るんでなくて『ありがとう』ですよ?」


 そういえば以前にそんなことを言われた。いつの間にか私は謝り癖がついてしまっているようだ。


「はい、ありがとうございました。とてもおいしかったです」


「どういたしまして。けど、今日話を盛り上げてくれた一番の立役者はスガさんの買ってきた『星月』ですよ?」


 たしかにそうかもしれない。もっとも「盛り上げ」というよりは「論争」の域に達していた気はするが……。


「そうかもしれませんね。私も買ってきた甲斐がありました」


 私は苦笑いも含んだ笑顔でそう言った。


「今度はちゃんとスガさんの好みも教えてくださいね?」


「えっ…と、考えておきます」


「ふふ……、冗談ですよ?」


 ラナさんはいたずらっぽく笑っていた。そして何気なしに星空を見上げているようだ。

 星の淡い光に照らされた顔はどこか神秘的な雰囲気を漂わせている。彼女の横顔を眺めながら私は今日集まってくれた人たちとの距離感について考えていた。


 私はラナさんに雇われてここにいる。知り合った人たちもほとんどがこの酒場でのつながりや仕事から生まれた関係だ。それゆえか、無意識にどこか関係を深めていくのを遠慮していた。



 社会人になってからは利害での人間関係ばかりが増え、学生の時の、いわゆる「友達」みたいな関係から遠ざかっていた。

 この世界で出会った人たちとも「仕事の付き合い」と線引きをしていたような気がする。だが、私はもっと距離を詰めてもいいのかもしれない。それを受け止めてくれる人たちに私は恵まれたようだ。


 ぼんやりそんなことを考えているとラナさんがこちらを向いた。無意識にずっと横顔を眺めていたので目が合ってしまった。私は取り繕うにように慌てて言葉を発する。


「きっ…今日はこのまま離れに戻ります。また明日からよろしくお願いします」


「ええ、ボクもこのまま部屋に戻ろうと思います。それでは、おやすみなさい」


「はい、おやすみなさい」



 ラナさんに一礼して、自室の離れに戻る。利害に関わる人間関係の構築は社会人になって格段にうまくなった。一方で、友人をつくるのはとても下手になっていると感じた。どこか関係に割り切りをもつようになってしまっている。


 いきなりはできないかもしれないが、少しずつでもそれを無くしていこうと思った。


 いつかカレンさんが、ラナさんのことを「大好き」と言っていた。


 先ほどの星空を見上げていたラナさんの横顔を思い出す。


 彼女との距離の取り方は少し難しいかな、と私は心の中で苦笑していた。


 私もどうしようもなく、ラナさんが好きなってしまったようだ。

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