第6話 十色の力(前)-7

「私が……、何者かだって?」


 雷の後は、しばしの静寂と雨の音だけが響いた。ユージンは私を見下ろしながら口を開く。


「――そうです。ブリジットはたったひとりで自分に探りを入れてくるあなたを不思議がっていましたよ?」


 私は自問自答していた。私は何者か……。他人に言ってすぐ伝わるような肩書など持ち合わせていない。ただ、酒場の手伝いをしているだけの男だ。自分の仕事も手掛けているので、こちらの世界でなら「商人」とでも言えばいいのか。


は剣士ギルドやら衛兵団に追われる身になっているようでしてね……。今回話をするのも苦労しましたよ。今、どこに潜んでいるかもよくわかりません。うちのギルドの人間でもないですからね」


 ユージンはどこか独り言のようにブリジットについて語っていた。


「カミルさん……、あなたはどう見ても剣士や衛兵には見えない。だが、ブリジットが残した『やりかけ』の人にもあなたは該当しなかった」


 彼の言う「やりかけ」とは、パララさんの仲介料ように詐欺の途中段階にある人たちを指しているのだろう。やはりそういった人間が複数いるのだ。それを装った私の作戦は外れではなかった。


 ただ、その後の対処がお粗末すぎるのだ。


「ブリジットはこう言ってましたよ。『私の考えをよく理解していないとこんな探りはできない』とね……。それであなたに興味をもったようです」


と、言われましても私はただの商人ですよ。大層な肩書は持ち合わせていません」


「そこですよ、カミルさん? それなりの人間ならこちらも調べればわかるんです。ところがですね、あなたのことは情報がまったくない……。ようは特に目立たない一般市民なんでしょう?」


 特に目立たない一般市民……、まったくもってその通りだ。


「そのカミルさんがどこでブリジットのことを知って、なぜひとりで探りを入れているのかが気になる……、というか、ブリジットは気にしているようです。教えてくれませんか?」


 異世界うんぬんの話はできない。本人と直接なら話は別だが、それ以外の状況でこの話は絶対にしないと決めている。仮に話したところで一笑に付されるだけだろうが……。


 なんと答えたものかと考えていたら、腹に衝撃が走った。体操選手の男が私の腹を蹴飛ばしたのだと後から気付いた。


 遅れて痛みがやってくる。


 腹の中心から波紋のように痛みの信号が広がり、胃からは込み上げる酸っぱいものを感じた。


「カミルさん……、どうせ抵抗できないんです。さっさと話して楽になりましょうよ? 私はこう見えても人を痛ぶる趣味とかないんですから」


 ユージンは左手中指で眼鏡を軽く上げてからこう言った。だが、私はなにか話そうにも腹の痛みでそれどころではない。本能的に痛みの箇所に手をやろうとしたが、後ろ手に縛られているので、ただ背中から金属音がガチャガチャと鳴るだけだった。



「10秒ごとに一発入れてやれ。話す気になったらとめろ」



 ユージンはそう言って腰を上げ私から距離をとった。周りにいる3人組はゲラゲラと品のない笑い方をしながらカマキリ男がカウントダウンを始めた。



「きゅうっ! はちっ! ななぁっ!」



 私は残り3秒のところで虫の幼虫のように体を丸めた。先ほど蹴られたところを庇おうとしたのだ。


 1秒が恐ろしく長く感じた。目を固く瞑って歯を食いしばる。


 大きな声で「1」と聞こえた。


 頭が大きく揺れた。


 真っ暗な視界に星が光ったように見えた。


 私は転げまわった。後頭部のあたりを蹴られたようだ。


 目から涙が出てきた。


 私は何者なのか……。なにか言わないといけない。


 考えている間に次のカウントが残り5秒まできていた。


「加減しろよ、口を割る前に死なれたら困る。いい情報が入ればブリジットに高く売れるからな?」


 あえてダメージが少ないところを狙ったのか、次は背中を蹴られたのがわかった。自分はなんて弱いんだ。このままであと何発耐えられるのか。身体がもっても心がもつのか。どう話したら解放されるかを必死に考えている自分がいた。


 間違ってもラナさんやカレンさん、パララさんの名前を出してはいけない。思考がまとまる前に次の痛みが身体を襲う。今度は尻のあたりだった。痛みが走ると思考が一瞬飛んでしまう。


 次に頭を切り替えた時にはカウントが残り5秒くらいになっていた。諦めのような感情が芽生えてくる。


 楽になりたい……。この感覚、以前に同じような経験があったような気がする。


 ――よく思い出せない。


 その後、何発殴られ蹴られたかはもう定かでなかった。体のどこが痛いというより私の体全体が痛みの塊になったような気分だ。意識が徐々に朦朧としていく。

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