第6話 十色の力(前)-5

 ――2日後。


 魔法の写し紙が淡い光を放っていた。まるで誰かがここに来て一筆書いていったかのように、はっきりとした文字が浮かび上がっている。私はその文字を読みながら息をのんだ。そこには、ブリジットとアポイントがとれたこと、そしてその場所と時間が記されていたからだ。


 まず考えたのはこの内容が真実かどうかだ。本当にブリジットと連絡をとれたのなら「カミル」という人間との約束がそもそも嘘だとばれてしまう。そう考えると、ここにある場所に誘い出しお金を奪い取る気でいるのか……。


 だが、それなら前回ブリジットの居場所に案内する、と言ってお金を持って来させたらよかったのではないだろうか? あえて時間を空けて連絡手段も渡してきたのを考えると、本当にブリジットと連絡をつけてくれた可能性もある。


 彼と接触するのが私の目的だ。そこを考えると多少のリスクを冒してでもこの誘いにのるべきなのだろう。――となると、結局危険な状況に陥った時にどうするかが最大の課題になってしまうのだ。



 先日は危なくなったら逃げたらいいと思っていた。だが、その「逃げる」すら叶わなかった。どうにか交渉できる場に持ち込めば、相手の利害を汲み取とった提案をできるかもしれない。

 私はこの先に想定される場面を頭の中でいくつもシミュレーションしてみた。脳内ではいろいろと機転がきいたりするのだが、現実の私はそこまで器用ではない。



 指定された時間は運よく酒場が閉まるときだった。路面電車の駅まで行ったらそこから目的の場所までは案内してくれる旨が記されている。

 酒場周辺の地理にはずいぶんと詳しくなったが、数駅離れるとまったく土地勘がなくなる。私にとって道案内は非常にありがたかった。


 約束の場所近くの駅は酒場の最寄駅からは遠く、路面電車に乗って見慣れない外の景色を眺めながら向かった。


 以前にこの国の地図を見せてもらったことがある。大きな分度器のようなかたちをしており、ちょうど90度にあたるところに王城と大きな城下町があった。ラナさんの酒場は30度あたりのところにあり、今向かっているところは120度付近のところに位置している。


 酒場と王城のある駅までの範囲は何度も行き来していたが、それより先にはほとんど行った経験がない。聞いた話では、大きな魔法ギルド関係の本部はほとんどそちら側にあるという。


 外をぼんやり眺めていると窓に水滴がぽつぽつと当たっていた。見上げてみると灰色をした雲が広がっている。傘を持っていなかったので、このまま雨の勢いが増してくると困るな、と思った。


 そうこう考えているうちに目的の駅までたどり着く。電車から降りると湿った蒸し暑い空気がまとわりついてきた。雨はまだ気にならない程度しか降っていなかったが、空模様はまだまだ降りやまないことを告げている。



「カミルさん、わざわざお越しいただいてありがとうございます」



 駅の出口にユージンさんが待っていて、私を見つけるなり大げさな所作で頭を下げた。その隣にはカマキリ男も一緒だ。


「いいえ、こちらこそ早々に連絡を頂いてありがとうございます」


 私も彼に深く頭を下げて礼を言った。もっとも本当にブリジットに会うまではこのお礼はとっておきたいと内心思っている。


「――雨がぱらついてきました。本降りになる前に向かうとしましょう。それほど遠くありませんのでご安心を」


 私はユージンさんの後ろを追って歩いた。カマキリ男は私の後ろからついて来ている。


「カミルさんはこの辺りに来ることありますか?」


「いいえ、中央の城下町より東に来るのは滅多にありません」


「そうですか……。まあ西側に住んでましたら城下とそっちで大体の用は事足りますからね」


 歩きながらユージンさんは世間話をいろいろとしてきた。なにか探りを入れられている気もしたので、内容を吟味しながら話をする。ただ、無言でついていくのは苦痛だったので、声をかけてくれるのはありがたい。


 カマキリ男はなにも言わずに私の2mほど後ろをついて歩いていた。雨を気にしてなのか、元々そうなのか、ユージンさんの歩きはペースが速かった。

 大通りを外れて怪しい看板を出したお店が並ぶ狭い道に入っていく。ほとんどの店はまだ開いていないようだ。


「カミルさんは夜のお店とは縁が無さそうですね?」


 なるほど、やはりそういう類の店が並んでいるところか……。とても凝視はできない性的な描写のある看板がいくつか目に付いた。


「ははっ……、あまり興味ありませんね」


 あまり聞かれたくない話題だったので適当な返事をする。こちらの世界にくる前でもこういった店の世話になった経験はない。


「あまりいい景色ではないですが、もう少しで着きますので我慢してください」


 ユージンさんについて歩いている間に雲行きはますます怪しくなっていた。日が暮れるのはまだまだ先だが、あたりは薄暗くなってきている。空気の湿り具合も増してきていた。これは大雨になりそうだな、と思った。

 雲の様子を窺って、視線を前に戻すとユージンさんが足を止めていた。古い倉庫のような建物の前だった。



「ここは私らのギルドが使っています。何分小さいギルドですからね……。あまり立派な建物はまだ借りられませんでして――」



 建物の中に入ったら以前にも増して逃げるのも助けを呼ぶのも困難になるだろう。果たして中にブリジットはいるのだろうか。建物を眺めていると正面の両開きの扉が嫌な音をたてながら開いた。


「さ……、中に入りましょう? 雨がいよいよ本降りになりそうな気配です」


 私は意を決してユージンさんに続いてその扉をくぐった。中は埃っぽく、灯りは部屋全体を照らすには明らかに弱いものだった。


 本当に彼らは日々ここを使っているのだろうか? 常々人が出入りしている気配をあまり感じない。背中で金属の擦れる音が響いた。振り返ると、先ほどの扉を酒樽の男と体操選手の男が閉めている。

 そして中には彼ら以外にも数人の人影が目に付いた。視認できる範囲で5~6人くらいだろうか。ユージンさんが建物の奥に入っていくので、その後を追っていく。


 すると彼は立ち止まり、ゆっくりとこちらに振り返った。


「さて……、カミルさん。悪いがここにブリジットはおりません」


 私は息をのんだ。悪い予感が当たったようだ。我ながら簡単に罠にはめられるな、と呆れていた。


 次の瞬間、後ろに近づいてくる人の気配を感じた。


 振り返ろうとしたが、反応が遅かった。強い力で両手を掴まれたかと思うと、なにか手錠のようなもので後ろ手に縛られてしまった。


 無機質な金属の音が響き、冷たい鉄の感触が手首から伝わってくる。例の3人組がそこには立っていた。そして酒樽の男が私の尻を蹴り飛ばし、地面に転がってしまった。手もつかずに転んだのは何年ぶりだろうか、肩から崩れるように倒れた。今度は地べたの冷たさが直に伝わってきた。


「カミルさん、手荒なことをしてすみません。――ですが、質問に答えてもらえればすぐに解放します」


「約束が違いますね。ブリジットさんに会わせてくれる話ではなかったのですか?」


 普通に話したつもりだったが、かすれた小さな声で、変に上ずった高い声になっていた。ユージンは地面に転がる私の顔を見下ろしながら話始めた。


「それはお互い様ですよ? カミルさんもお金を準備していない。いや……、そもそも仲介料を払うつもりなんてないんでしょう?」


「ブリジットさんに会わせてもらってきちんと話ができたら、その準備はあります」


「嘘はやめましょう、カミルさん。あなたがそもそもブリジットと会っていないのはもうわかっています」


 やはりばれてしまっていたか。


 だが、私の話が嘘とわかれば仲介料を騙しとるのもできないともわかるだろう。現に彼は、私がお金を準備していない、と今言っていたではないか。それなら単なる報復目的で私を呼び出したのか?


 いや、なにか質問に答えろ、と言っていたような……?


「カミルさん。私らもできれば暴力に訴えたくはないんですよ……。嘘をついて近づいてきたのにはムカつきますがね?」


 ユージンはしゃがんで私に顔を寄せてきた。近くで見ると他の3人よりはるかに迫力のある形相をしている。


「私からあなた方に話すことは、なにもないと思いますが?」


「いいや、それがですね? お金とかはどうでもいいのでひとつだけ尋ねて来い、とブリジットから頼まれましてね?」


 その時、外から大きな音がした。おそらく雷の音だろう。そして雨が地面に叩きつける音が響いてきた。



「――カミルさん……、あなたは何者ですか?」

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