第6話 十色の力(前)-3
ブリジットを尋ねてまわって3日が経った。
紹介所の前に集まっている人たちはこの3日間ほとんど変わっていない。3日連続で同じことを聞くとさすがに邪険に扱われるようになってしまった。私の顔をちらりと横目で見るだけで話しに応じてくれない人もいる。
前に見かけた物乞い風の男は3日間同じところに座っていたが、私が目を向けるとどこかへ行ってしまう。結局一度も話を聞くことはできなかった。
私は警察や探偵の経験があるわけではない。人探しとは難しいものだ、と改めて実感した。ましてや普通の人ではなく、身を潜めている可能性がある人となると尚更だ。
なにか別の方法を考えないと……、同じ方法を使って探すにしても期間を空けた方がいいかもしれない。いろいろと頭で考えを巡らせながら、紹介所を後にして駅のある大通りに戻ろうと思った。
その時、後ろに人の気配を感じた。
つけられているような気がする。
後ろを気にしないように歩きながら、耳をすませて足音を確かめてみる。しかし、街の生活音に紛れてうまく聞き取れない。
私は靴紐を結ぶふりをしてしゃがみ込み、後ろを窺ってみた。距離は10m弱くらいだろうか、男が2人立っているのがわかった。今は2人で向かい合って立ち話をしているように見える。服の柄が目に入ったが、顔はうまく確認できない。
直観的に危険を感じた。立ち上がって数歩ゆっくり歩こう……。そして次の角を曲がった先から全速力で走ろうと決めた。
靴紐をきつく締めなおして立ち上がり、振り返らずに歩いた。身体が緊張で強張っているのがわかる。歩きもぎこちなくなっている気がする。とにかく次の角までこのまま歩こう……。曲がったら走る……。
私は道の角にあるゴミ捨て場をなぜか凝視していた。あのゴミ捨て場のところを曲がったら前だけ見て走ろう。大通りに出るまでそれほど距離はなかったはずだ。後ろにいる人の顔を確認したいが、目を合わせると危ない気がする。
ゴミ捨て場が徐々に近づいてきた。動悸が速くなっていく。いつの間にか口で呼吸をしていた。
あと5mでゴミ捨て場……。
あと3歩、2歩、1歩――。
曲がって次の一歩に力を入れた。
地面をつま先で蹴り、顔を上げた。
次の瞬間、私はしりもちをついていた。思い切り走り出したつもりがなにかに跳ね返された。一瞬思考が停止した。首を振って顔を上げると私を見下ろしている巨体があった。酒樽を連想させる丸く大きな身体をした男が立っている。この男にぶつかってしまったのか。
私が立ち上がろうとした時、後ろに人の気配を感じた。振り返ると二人の男が立っていた。先ほどしゃがんだ時に見たのと同じ服の柄だ。細身で身長の低いカマキリみたいな男と体操選手のようにがたいのいい男だった。
「どうした、あんちゃん、急に走り出したら危ないぜ?」
ぶつかってしまった酒樽のような男は私の左手を引っ張り上げて起こしてくれた。私は右手で尻のあたりをはたきながら、礼を言ってここを通り過ぎようとした。
しかし、酒樽の男は私の左手を万力のような強い力で握ったままで離れなかった。今になってようやく思考が追い付いた。この男も後ろからつけてきた奴らの仲間なのか、と……。
危険な状況になったら走って逃げればいいと思っていた。だが、それすらできずにあっさりと捕まってしまった。情けないがいっそのこと大声を出して助けを呼ぼうかと思った。しかし、喉が締め付けられているみたいに声すら出せない。
なにをされたわけでもないが、私の頭と身体が危険信号を発しているようだ。
「お兄さん……、ちょっとだけ話があるんだけどいいかな?」
後ろにいた体操選手の男が肩を組んできた。酒樽の男の万力からはここでようやく解放される。だが、逃げられない状況に変わりはなかった。
少し前までは私を監視している衛兵がいると話を聞いていた。今もそれが続いていたらこの状況を救ってくれたのかもしれないが、残念ながらそうもいかないようだ。
私は、この男たち3人に連れられて今来た道を戻り、裏通りをさらに奥へと入っていった。大きな建物と建物の間にある狭いスペースに連れ込まれ、そこでようやく肩組みからも解放された。
生ゴミのような臭いが鼻をつく。
建物の側面を背にして私は
「お兄さん……、なんかお金持ってるんだよね。ちょっとこっちに融通してくれないかい?」
口調は一応疑問形だったが、私の返事を待たずにカマキリ男が私のズボンのポケットをまさぐっている。酒樽の男はいつの間にか私から奪った小物入れの鞄をひっくり返して中身を探っていた。
こういう時にカレンさんのように剣を扱えたり、パララさんのように魔法を使えたりしたら、返り討ちにできるのだろうか。
相手を叩きのめして、ついでに情報を聞き出したりする……。漫画やアニメでよく見かけるシーンではあるが、私にはこの状況を打開する力が無い。
危険を感じながらも、この男たちは単なる金銭目的で私を襲っているのか、それともブリジットとなにか繋がりがある者たちなのかと考えていた。
この3人組みを紹介所の付近で見かけた記憶はない。私が聞き込みをした人の誰かが情報を流したのだろうか?
「こいつ……、大した金持ってませんぜ?」
酒樽の男が私の荷物をすべて地面にぶちまけた上でそう言った。カマキリ男もポケットから手を抜いて首を左右に振っている。
当然だ。私は仲介料の話をしてまわったが、実際に大金を持ち歩いているわけではない。移動と飲食に最低限必要なくらいしか持ってきていないのだ。
「お兄さん……、ブリジットさんに仲介料払いに来たんじゃなかったのかい?」
なにか答えようとしたが驚くほど声が出ない。ただ、それと同時に頭では体操選手の男が「ブリジット」と口にしたことを反芻していた。その口調からは「知り合いのブリジットさん」という含みを感じたからだ。今、目の前にいる奴らはブリジットと繋がっている。
「ぁ…ぁっ…あっあ」
私はこの状況で話すための発声練習をしていた。まさか恐怖に陥るとここまで声が出ないとは思わなかった。
以前に絶叫マシンが本当に苦手な人は「絶叫」すらできない、と聞いたことがある。今の私はまさにそれに近い状態なのだろう。一定の恐怖のレベルを超えると声すら出せなくなってしまうのだ。
「あ…っと、今は仲介料を持っていません……。ブリジットさんに会えたら直接お渡しする予定でしたので――」
かすれた声だったがようやくなんとか音にすることができた。
「ブリジットさんは今ちょっと忙しくてこの辺りに来れないんだわ? 金の受け渡しならオレらが代わりにやってやるけど?」
体操選手の男が顔を寄せてそう言ってくる。声を出すたびに息が顔にかかって不快だ。
「こちらは安定した職のためにお金を掻き集めてきたんです。それをなんの保証もなしに本人以外の人間に渡せると思いますか!?」
お金の回収目的だけでも、もう少しうまいやり方があるだろうに……。頭の回らない奴らめ! と私は頭の中で目の前の3人を罵倒していた。
しかし、裏を返せば今はその程度の抵抗しかできないのを物語っている。自分の非力さが情けない。彼らは「仲介料」だけの情報で私を襲ってきたのか。パララさんの時もそうだったが、常にそれなりの高額なお金を要求しているのだろう。
「――その人の言う通りだ」
その時、目の前の3人組とは明らかに違うドスの効いた低い声が響いた。
「ユージンさんっ!?」
酒樽の男が大声で言った。建物の隙間の出口の方からこちらに歩み寄ってくる男の姿がある。私に壁ドンをしていた体操選手の男やカマキリ男はその「ユージン」と呼ばれた男の方を見ると深々と頭を下げた。酒樽の男も同様に頭を下げている。
その男はここにいる他の3人より明らかに小奇麗で整った服装をしていた。歳は30くらいだろうか……。オールバックにした髪と細いレンズの眼鏡が特徴的だ。
その男は私たちのいる近くまでやってくると、次の瞬間、酒樽の男は反っくり返るようにしてその場に倒れた。
なにが起こったのか一瞬理解できなかった。倒れた男の顔は鼻血にまみれている。そして、ユージンと呼ばれた男の右膝のあたりにも血痕があり、状況を理解した。酒樽の男は地べたを転がりながら鼻を抑えて呻いている。
さらにこの男は無言のまま、カマキリ男の顔面を蹴り飛ばし、体操選手の男の腹に膝蹴りを入れた。三者三様に男たちは痛めた箇所を抑えながら苦しんでいる。
「この人はブリジットの『お客様』だろうが? それをお前らなにやってやがる?」
威圧感のある低い声だった。地面に転がったりうずくまっている男たちをユージンという男は見下ろしていた。
「申し訳ありません。私はユージンといいます。部下がとんだ無礼を働いたようで……」
その男は急に親しげな声色に変えると私の方を向いて頭を下げた。私は礼を言うべきなのか迷って無言になってしまった。
「こいつらには後でしっかりと礼儀を叩きこんでおきますんで、ここは私に免じて許してもらえませんか?」
「ぃ…いえ、私もなにかされたわけではありませんし、今ので十分ではないでしょうか……」
この3人組にはずいぶんと不快な思いをさせられたのは事実だが、痛みで悶えている姿を見ていると逆に哀れになってくる。こういうところは我ながら本当に「おひとよし」だと思う。
「お前ら、この人が心の広いお人で助かったな!?」
私へ向ける声と部下へ向ける声と態度の違いがこの男の危険度合を感じさせた。そして、この男もまた「ブリジット」の名を口にしている。先ほどの3人よりはまともに話をできる気配もあった。
「ええと……、ユージンさんでしたか? 私は……『カミル』と申します」
私は名乗るのを一瞬躊躇した後、咄嗟に思いついた仮名を口にした。以前に好きだったテレビゲームの主人公の名前だ。私の本名はこの世界では珍しいようなので迂闊に口にするのはリスクが高いと思った。
「――カミルさんですか。ブリジットと約束が会ってこちらに来られたと小耳に挟んだのですが?」
「はい、少し前に仕事を紹介してもらえる約束をしておりまして……、ブリジットさんとお知り合いなのでしょうか?」
「ええ……、こう見えて私はとあるギルドの元締めをしておりまして、ブリジットとは懇意にさせてもらっております」
この男はどこかのギルドマスターなのか、どちらかというとヤクザの若頭という方がしっくりくる印象だ。だが、なにより……、ついにブリジットに繋がる人間を見つけた。これは非常に大きな収穫だ。
「彼にお会いすることはできないでしょうか? 仲介料をお渡しする約束になっていたのですが――」
「詳しい事情は私も存じませんが、ブリジットは今ずいぶんと忙しくしているようです。実を言うと私も数日顔を合わせておりません」
やはりそう簡単に会うことはできないか……。いや、彼を知っている人間と出会えただけでも進展はあった。
「ですが、お約束があったのなら彼も無下にはしないでしょう。よければ私から連絡をとってみようと思うのですがいかがですか?」
まさかの……、思ってもみない申し出だった。
「非常に助かりますが……、お願いしてもよろしいのですか?」
彼はその強面の表情にはあまり似合わない笑顔をつくってみせた。
「私の部下がご迷惑をおかけしました。この程度でよければ喜んで引き受けますよ」
私はこのユージンという男の真意をはかりかねていた。この男の言うことを完全に信用するのは危険だ。元々は部下を使って私から仲介料を奪い取ろうとしたのではないだろうか。
だが、今すぐにお金を手に入れれないのであれば、改めて機会をつくってお金を持って来させる……。これまでの出来事はすべてこの男の筋書きで進んでいるような気もした。
それでも、うまく利用すればブリジットの元へ辿り着けるかもしれない。その淡い期待が私の背中を押した。
「それでは、初対面で図々しいかもしれませんが……、お言葉に甘えてもよろしいですか?」
ユージン氏は大きく頷いた。
「もちろんです。そうですね……、カミルさんにこれをお渡ししておきます」
彼は不思議な文様の入った紙切れを私に手渡した。
「こいつは特殊な魔法が施された紙でして、『魔法の写し紙』と呼ばれています。私の手元にある対になっている紙に文字を書くと、こちらにも同じ文字が映し出されるようになってます」
ラナさんの酒場で扱っている仕事の依頼書で似たものがあったのを思い出した。通信技術はあまり発展していない世界だが、魔法を使っていろいろと便利なことができるようだ。
「ブリジットと連絡をとれましたら、ここに場所と日時を記します。文字が書き足されると発光しますので見落としもないと思いますよ?」
「わかりました。ありがとうございます」
「いいってことですよ。こんな汚いところで話込んでしまって申し訳ありませんね」
彼と話している間に、酒樽の男は自分が地面にぶちまけた私の荷物を再び鞄に戻していた。そして、それを両手で持ってこちらに差し出してきた。
私はその男の鼻血がまだ止まっていないことを気にしながらそれを受け取った。カマキリ男と体操選手の男は私の背中にまわりこんで服についた汚れをはたき落としてくれた。目の前には彼らの挙動を見つめるユージンさんの鋭い眼光があった。
こうして私は身の危険を感じながらもブリジットへと繋がる手がかりを掴んだのだった。
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