第4話 花の闇(後)-6

 私は話の流れで、自分があの場に居合わせた理由を説明した。


 カレンさんもラナさんも揃って、「勘がいい」、「すごい」、と関心している。ただ今の私はそんなことを聞きたいわけではない。とても深刻な状況だと思うのだが、なぜかラナさんとカレンさんの話し方には緊張感がなかった。



「――教えて下さい。殺人は別としても、なぜラナさんがこんなことをするんですか!?」



 私はたまらず大きな声で聞いてしまった。


 場に再び沈黙が流れる。


 ラナさんは下を向いていた。表情はわからない。



「理由が……、そのなんだよ」



 カレンさんが口を開いた。


「どういうことですか?」


「最初にあった殺人の被害者には、特徴的な十字の傷跡があった……。そして、以後のラナが行った切り裂き事件も同様の傷がある……、そしてもうひとつ――」


「もうひとつ?」


「3年前に殺されたラナの両親にも……、同じ傷跡があったんだ」


「えっ……」


 ラナさんの両親が亡くなっているのは聞いていた。この酒場もご両親が営んでいたのを継いだのだと――。しかし、それが殺人とは聞いていなかった。



「最初の殺人で十字傷があったのをラナはどっかで聞いてしまったんだろうねぇ。大方、酒場で衛兵が話しているのが聞こえたとかかな?」


 ラナさんは下を向いたまま小さく頷く。


「ラナの両親を殺した奴はまだ捕まっていない。そして今回同じ十字傷を負った殺人があった。犯人が同じやつである可能性は高い……。けど、またも犯人は捕まっていない。だから、手口を模倣した切り裂き魔を演じて誘いだそうとしてたんだろう、犯人を?」


「カレンは……、本当になんでもお見通しなのね?」


 顔を上げたラナさんは薄い笑みを浮かべながらそう言った。私はようやく情報の整理ができていた。ラナさんの両親は何者かによって殺害された。彼女はその犯人を捕まえたいのだ。一連の切り裂き魔事件は、いわば犯人を誘い出すための「撒き餌」だ。


「――とまぁ、ここまでわかっていても直接話したところではぐらかされるからね。現行犯が一番いいんだけど、これ以上無茶はしてほしくない。それでラナが怪しい格好で外に出るのを待っていたというわけだ。あの厚底ブーツは傑作だったけどねぇ」



 カレンさんはこの重たい話の中で、くっくっと口を塞ぎながら笑っている。いや、わざとやっているのだろう。


「もぅ……、あんまりからかわないで」


 ラナさんはむくれた顔をしてそう言った。私は話を本題に戻す。


「それで……、この後どうするんですか? ラナさんは衛兵のところへ行くんですか?」


 ラナさんの顔を見ながら聞いてみた。また薄い笑みを浮かべた表情に戻っている。


「人を傷つけないように注意はしましたが……、それでも許されることではないですから。誰かに見つかったらそれまでと思ってましたし――」


 やはり、お縄につくことになるのか?


「そこなんだけどねぇ……。今後はなにもしないと約束の元、黙っておいてもらえないかい?」


 カレンさんが妙な提案をする。


「カレン……、ボクは相応の罰を受ける覚悟はできていますよ?」


「わかってるよ。ただ今名乗り出ても、最初の殺人とまとめて犯人扱いされるのがオチだよ?」


「それは……、きっちり誤解が解けるよう話するしかないでしょ?」


「どうだろうか、ここは私に任せてもらえないかい?」


「カレンに……、任せる?」


「ラナにはいつか相応の償いをしてもらう時がくる……。けど、今は避けたいんだ。絶対に悪いようにはしない。この件の真相に別のやつが辿り着く前に私が始末したいんだよ」


「よくわからないけど……、ボクはどうしたらいいの?」


「黙っていてくれればいいよ。元々衛兵団の連中はラナを疑ってはいない。スガへの疑いも解けるように動くよ」


「悪いことをして……、それはちょっと――」


「これは私からのお願いだ。うちのギルドがこの件に関わっている今、ラナの名前を出したくないんだ」


「私の名前……。ひょっとしてと関係あるの?」


「うーん……、うまく説明はできないんだけどねぇ……。ラナとうちのギルド連中を関わらせたくないんだよ?」


 カレンさんの目は真剣だ。今回の事件を彼女が引き受けてた理由、実はここにあるのではないだろうか。

 ラナさんの犯行を止めるため、というのは当然あるだろう。


 それとは別に、彼女の所属するギルドとラナさんがかかわりをもつのを何故か嫌っている。そしてふいに出てきた「シャネイラ」という名前……。サージェ氏から聞いたギルドマスターの名前だった。



「スガも……今回の件、黙っていてくれないかい?」



 カレンさんは私にも口止めをしてきた。普通に考えれば、ラナさんを衛兵団に引き渡すのが正義のような気がする。ラナさんが逃げようとしているわけでもない。私はいろいろと考え――、そして、結論を出した。


「カレンさんの事情はよくわかりませんが、ラナさんには捕ってほしくはありません。それにラナさんが殺人犯扱いされる可能性を考えると、まずはラナさんの両親を殺害したやつを捕まえる方が先のはずです」


「スガさん……、たしかにそうかもしれませんが――」


「ラナ! お願いだ。殺人犯探しは私も協力する。今回の件を明らかにするのはそっちが終わってからにしてくれ?」


 ラナさんは唇の色が白くなるほど、人差し指をしばらく押し当てて考え込んでいる。そして、カレンさんの顔を見てこう言った。


「……わかったわ。けど、この3年まったく手がかりがない。簡単なことじゃないのよ?」


 ラナさんの目が急に見たこともないような力強いものに変わった。深海の底を覗き込んでいるような深い黒だった。そして……、急に表情を崩してこう言った。


「それに……これ、みんなで一緒に悪いことしようとしてるのよ?」


「剣士ギルドなんていう荒事まみれのとこに私はいるんだよ? やっすい正義感はとうの昔に無くしてるよ?」


 カレンさんは特に悪びれる様子もなくそう答えていた。剣を握る職業、というのはそういうものなのだろう。


 私は考えていた。こちらにやってくるまで、いわゆる法に触れることは一度もなかった。今やろうとしているのは元いた世界なら、犯人隠避とかの罪に問われるのだろう。


 しかし、私のもつこの正義感や倫理観は、こことは違う場所で得たものだ。なにが正しいかはわからないが、今はこの先自分が後悔しない選択をしたかった。



「悪いことでも……、私は構いません」



 私は決心してそう答えた。


 ラナさんは目を瞑ると、ふぅっと息を吐き出してから「わかりました。罪の意識を刻みながら……、今は黙っています」と言った。その表情は笑顔だった。


「変なこと言って悪いねぇ……。ふたりとも、ありがとう」


「カレンがお礼を言うのはなんか変な感じね、ボクがお礼を言うところなのかな?」


「私がお願いしたからいいんだよ」


 ラナさんとカレンさんの会話は友達同志のそれだった。カレンさんも実はラナさんが捕まることをおそれたのが本音なのかもしれない。




「――よしっ! それじゃあ私は帰るよ」


 カレンさんが急に立ち上がった。今は何時くらいだろうか。日付が変わっているのは間違いないだろう。


「カレン……、ごめんね。ありがとう」


 ラナさんは深々と頭を下げていた。カレンさんはそれを一瞥して背を向けて歩き出す。


「そういうのはいいよ。私とラナの仲だろ?」



 店の扉まで来たところで私はカレンさんに声をかけられて、一緒に外へ出た。外の空気は酒場の中よりずっと冷たく冷え込んでいた。


「サージェ、付き合わせて悪かったねぇ。あんたはもう帰りな」


 カレンさんは虚空に向かってそう言った。サージェ氏はずっとこのあたりにいたのだろうか?



「さて……スガ、今回は世話になったね?」


「いいえ、まさかとは思いましたが……、今はこれでよかったと思っています」


「報酬は私の自腹で払うよ。これは約束だからね」


「はい。私も仕事として引き受けましたのでしっかり頂戴します」


「スガのそういうところいいね。変な遠慮がなくて逆に助かるよ。それと――」


「それと……?」



 彼女は一呼吸おいてから続けた。


「新しい仕事を……、頼まれてくれないかい?」


「新しい……、なんでしょう?」


「ラナの両親を殺したやつを探すの手伝ってほしい。今なにができるってわけじゃないんだけどねぇ……」


 彼女にこう言われたが、私は言われる前から決めていた。


「わかりました。引き受けます」


「はは、即答か……。報酬はなにが準備できるかわからない……。けど――」



 これに関しては報酬など期待していなかった。カレンさんから話が無くても自主的に動こうと思っていたくらいだ。それでも、「けど」の続きは気になった。


「ラナの笑顔がきっと返ってくる。これが報酬になるかな?」


「ラナさんの笑顔……、ですか?」


 私の思い浮かべるラナさんはいつも笑顔だった。特に口をUの字に曲げた可愛らしい笑顔が印象的だ。



「両親が亡くなって以来……、ラナはずっと笑ってる」


 私は返事に窮した。わずかな沈黙の後、カレンさんが続けた。


「元々よく笑う子ではあったよ……。けど、あの事件の後は不自然なくらいに笑顔でいるんだ。だけどさ、あの笑顔は仮面に見えるんだよ。ずっとあの笑顔……、だけど心の底から笑っているラナの顔じゃない」


 カレンさんは遠くを見るように私から視線を逸らして話を続けた。


「私はラナの本当の笑顔を取り戻したい。あの子とは幼い頃からの付き合いでね……。面と向かっては言えないけど、大好きなんだ。だからラナを救ってやりたい」


 カレンさんはずっとこちらを見ずに話している。きっと表情を見られたくないのだと察した。


「はい。カレンさんほどの付き合いはありませんが……、私はラナさんに返しきれないほど恩があります。力になれるならどんなことでもしたいと思っています。それに、報酬がラナさんの笑顔でしたらこれに勝るものはありません」


 勢いでこんなことを言ったが、きっと後から思い出すと恥ずかしさで死にそうになるだろう。


「なかなか言うねぇ……。期待しているよ、スガ!」


 そう言ってカレンさんは夜道を進んでいく。その背中が闇に溶けるまで私は見送った。



 店内に戻ると、ラナさんは私に向かっても深々と頭を下げた。


「ご迷惑をかけて本当にごめんなさい……。きっとボクのことを軽蔑したでしょう」


 今になって思えば、初めて出会った時も今の切り裂き魔の姿をしていたのだ。あの時は自分がそれどころではなかったし、あの格好が不自然と思えるほどの情報も無かった。


「頭を上げて下さい。正直、驚きはしました……。そしてラナさんがやったことが許されるとも思いません。ですが――」


「ですが……?」


「上手く言えませんが……、ラナさんが他の人と同じように悩んだり間違ったことをするのに私はほんの少し安心しました」


「えっ?」


 ラナさんはきょとんとした顔をした。


「なんというか……、ラナさんは私にとって天使みたいな人です。いきなり夜道で助けを求めた私を救ってくれました。仕事も与えてくれて、看板まで出させてくれました。そんなラナさんも完璧じゃないんだとわかってホッとしたんです」


 これは深夜テンションなのか、あとから思い出すと後悔しそうなことばかり口走っている。今日はきっとそういう日なのだろう。


「ふふっ……、天使なんてオーバーですよ。最初にお会いした時は、万が一危ない人なら黒焦げにしちゃうくらいの気持ちでいましたから」


 ラナさんはクスクス笑いながらとんでもないことを言っていた。この人が規格外の魔法使いと知った今は冗談に聞こえない。知らないところで命拾いしていたようだ。


「ラナさん、今日はもう休みましょう。このままでは明日のお店に支障がでそうですから」


「そうですね……。スガさん、ありがとうございました。ボクが明日をいつもと同じように迎えられるのはスガさんとカレンのおかげです」


 ラナさんはそう言って改めて深く頭を下げた後、自室へと向かっていった。私はその背中を見つめながら、今日吐いた幾多の恥ずかしい台詞を思い出し背中が痒くなるのを感じていた。


「忘れて寝よう……」


 そう独り言ちて離れに戻った。すると身体にどっと疲れが出た。そういえば、今日は朝から睡眠をあまりとれていなかったのを今更ながら思い出した。


 今日はきっと深い眠りにつけそうだ。

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