◆◆第4話 花の闇(後)-1

 ――翌朝。


 やはり寝付きが悪かった。冷水で顔を洗い眠気を追い払ったが、ラナさんに顔を合わせると、「お疲れのようですが、昨日のお仕事は大変だったのですか?」と聞かれた。


「ご心配おかけして申し訳ないです。昨夜はどうにも寝付きが悪くて――」


 彼女が顔を真っすぐに見つめてくるので思わず下を向いてしまった。


「そうですか……。お昼の時間はそれほど忙しくなりませんから、もう少しお休みになられてはいかがです?」


「お気遣いありがとうございます。大丈夫です。眠気は少しありますが、時間が経てばどこかへいくと思いますから」


 居候の身で、お店の手伝いをせずに寝ているなどさすがにできない。実際に体調が悪いわけではなく、ただ睡眠が不足しているだけなのだ。


 そう言っていつも通り仕事にかかろうとしたが……、ラナさんが立ちはだかった。そして私に顔を近づけてまじまじと見つめてくる。鼻と鼻がぶつかりそうな距離で見つめられ、逆に私が後ずさりしてしまった。彼女の吐息の熱が顔の皮膚で感じられる。


「いけません! スガさんのこんな顔初めて見ますよ! お店はいいですからもう少し寝てきてください!」


 彼女は私の目の下に人指し指を当ててそう言った。鏡を見ていなかったが、くまでもできているのだろうか。こうも強く言われると、甘えた方がいいのか、と思ってしまう。本当に優しい人だ、と改めて思った。


「……わかりました。もう少しだけ睡眠をとってきます。お店を開ける時間には必ず戻ります」


「そうしてください。その方がボクも遠慮せず仕事を頼めますからね?」


 こうして結局はラナさんの好意に甘えてしまった。もうひと眠りしたら頭もすっきりするだろうか。

 寝床で目をつむるがやはり眠気は襲ってこない。代わりに様々な考えが頭に過ってきた。


 カレンさんは切り裂き魔について私には話せないなにか有力な情報を持っている気がする。犯人は魔法使い、と話をしていた。魔法使いの知り合いはパララさんくらいしかいない。風の魔法がどうのとか聞いたので、彼女に聞いてみたらなにかわかるだろうか?


 魔法の知識に関しては乏しすぎてわからないことばかりだ。とりあえず、今考えていることをすっきりさせるためにも、カレンさんときちんと話さなければならない。



 その時、離れの扉からノックの音が響いた。考えに夢中になっていて驚いてしまう。最近こういうのが多い気がする。返事をして扉を開けるとラナさんが立っていた。


「リラックス効果のあるハーブティーを淹れましたよ。お休み前に飲んでみてください」


 ラナさんのかいがいしい姿に一瞬抱きしめたくなる衝動に駆られた。


「気を使わせて本当にすみません。どうにも寝付けそうにないのでやっぱりこのまま働きます。ハーブティーはありがたく頂戴します」


 ひとりでいるとずっと考え事をしてしまう。なので、今はいっそ考える暇がないくらいに仕事に没頭したい気分だった。


「……そうですか。もししんどくなったら遠慮なく言ってくださいね?」


 私はラナさんからハーブティーを受け取った。その香りを嗅ぎながら少しずつ啜って飲んだ。鼻孔の奥に清涼感が広がる。一息つくと先ほどまでよりは元気が出た気がしたので、離れを出て仕事を手伝いにいった。



 特別忙しい日ではなかったが、ラナさんとブルードさんにあれやこれやと聞いてまわった。なにかをしている時間は思考を止められる。そうこうしている間に夜になり、酒場が一番賑わう時間帯になっていた。


「スガさん今日はいつにも増して働くじゃないか、どうかしたのか!?」


 手が空くたびに、手伝うことをはありませんか? と聞いていたらブルードさんにそう言われた。


「いいえ、今日はいつも以上に働きたい気分なだけです!」


 睡眠時間が少なかったので、この時間になるとさすがに疲労が出てきた。だが、ここからが本当に忙しくなるので気合を入れるために両頬をパチンと叩く。



 常連客で店内は賑わってきた。そしていつもの来店時間とほぼ変わりなく、カレンさんもやってきた。座る席も毎度ほとんど変わらない。ブルードさんは彼女を見つけると注文を聞く前からお酒を出していたので、すぐにそれを運んで行った。


「やぁ、スガ。今日も悪いんだけど夜、頼むね?」


 間近にいる私しか聞き取れないくらいの小さな声で彼女はそう言った。


「その件なのですが……、少しだけお話できませんか?」


 私は彼女の顔を見てそういった。私の表情からなにかを察したのか、最初は笑っていたカレンさんの表情が真剣なものに変わった。


「今日入れてあと2日、それまで我慢してくれないかい?」


「いえ……、夜に外へ出るのは全然構わないんです。そうではなく――」


「わかってるよ。だからあと2日だけ疑問を持たずに従ってくれないかいって話さ?」


 なるほど、カレンさんの「我慢」は、私がなにか聞くのを我慢してくれ、という意味で言っていたのか。


「2日経てば……、この依頼についてきちんと説明してくれますか?」


 カレンさんは、うーんと少し考え込むように3秒程度下を向いた。それから顔をあげて私を見つめた。


「全部話せるかはわからない……。けど、協力してもらってるわけだからねぇ。スガが納得できるよう説明はさせてもらうよ?」


「……わかりました。昨日はサージェさんと話をしました。それ以外に報告することはなかったです」


「そうかい。愛想がないやつだったろ?」


「カレンさんをとても尊敬しているのはわかりました」


「はは、私じゃなくてそれ以外のやつに愛想よくしろって言ってんだけどねぇ……」


 彼女はそう言いながら目を細めていた。そして目の前のお酒を勢いよくと飲み始めた。私は頭に抱えた考えをそのままに彼女の席を離れた。


 酒場の夜はあっという間に時が流れた。忙しいと本当に時間が加速しているように感じる。路面電車の最終便の時間が近づき、お客たちは明日に備えて帰っていく。私は閉店準備をしながらその後の仕事について考えていた。


「今日はお疲れのようですが……、この後のお仕事は大丈夫ですか?」


 ラナさんが顔を覗き込みながら尋ねてきた。結局あれから睡眠をとらずにこの時間まできたので、さすがに眠気と疲れが襲ってきていた。


「はい。もうひと踏ん張りしたら今日はよく眠れそうです」


「あまり無理をしないで下さいね」


 このままだと駅前のベンチで寝てしまいそうな気がする。さすがにそれは避けたかった。店の閉店業務をして、店内の清掃をする。私もラナさんも黙々と作業をした。一通り終わり、外に出ようかと思ったところでコーヒーの香りが鼻をくすぐった。


「少しだけ濃い目に入れましたので飲んでいってください。今のスガさんの顔を見ているとお仕事中に寝てしまいそうですから」


「そうですか? ありがとうございます。とても助かります」


 コーヒーはまだ熱かったが、私はぐいぐい飲み干すとカップをラナさんに返した。


「おいしかったです。それでは今日も行ってまいります!」


「はい。お気をつけて」



 外は今日も星が明るく輝いている。人の気配が無くなった街をひとり歩く。きっとすでにサージェ氏が私をどこかで見張っているのだろう。気配を消すのがうまいのか、灯りの少なさも手伝って居場所がまったくわからない。


 先ほどのコーヒーのおかげで身体が中から暖かかった。同じ道のりの繰り返しは距離を短く感じさせた。いつもの駅前のベンチにつき、腰をかける。



 星空を見上げながら、昨日のことを私は思い出していた。こうしているところにサージェ氏から突然声をかけられたのだ。


 ――従順なのだな、か……。


 たしかに私は従順かもしれない。


 あたりを見まわして人の気配を探った。準備運動をするように席から立ち上がって屈伸をする。膝からポキポキと骨の音が鳴る。運動不足かもしれない。



 心の中で昨日のサージェ氏の問いかけに答えていた。


 従順なのは間違いない。ただ、それはカレンさんに対してではない。他の誰に対してでもない。私は……、私自身の探求心と好奇心に対して従順なのだ。



 私は意を決して走り出した。振り返らず、街の入り組んだ路地に駆け込んだ。そこは街灯の灯りも届かないまさに「闇の中」だ。

 ここの路地は幾重にも道が別れている。複雑な道になっていて星の灯りもほとんど届かない。いきなりこの道にきたら迷うことは必至だろう。明るい時間にこの道を歩き回って熟知していなければ……。


 私はこちらの世界にきてからずっと、時間があれば街中を歩き回っている。この世界のことがわからないため、情報を得るために積極的に外へ出た。歩く道を毎日変えてこの街を知ろうとした。

 それゆえにこの路地も熟知している。この中ならばきっとサージェ氏の目を振り切れる。路地に入って右に左にと曲がった後に、高い塀の横に屈んで身を潜めた。しばらくして誰かの足音が聞こえた。



「クソっ! あの男……、なにを考えている!?」



 サージェ氏の声が聞こえた。明らかに怒りの感情がこもった声だ。やはり私を追ってきていたようだが、足音は遠のいていった。

 私はしばらく身を潜めてあたりの様子を伺った。夜の路地裏は静寂が支配している。人の気配も物音もしない。サージェ氏は恐らく離れたところに行ってしまったのだろう。他に誰かが追ってきている気配もない。


 時をおいて私は歩き始めた。サージェ氏の目を振り切ることは、今日カレンさんと話した後に決めていた。


 私の勘違いであればいい。


 ただ、どうしても確かめたいことがあった。私は周囲を警戒しながら目的の場所へと向かった。

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