第4話 花の闇(前)-4

 夜中に駅前に行くようになって5日目、これまでの4日間は特に変わったこともなく、見かけた人もほとんどいなかった。衛兵に声をかけられもしなかった。


 今の私の行動は明らかに不審者のそれなのだが、ここに関してはカレンさんが衛兵に事情を説明してくれているのかもしれない。毎日酒場にやってくる彼女に、駅前での出来事をそのまま伝えているが、彼女も「そうかい」と返事するだけだ。


 ラナさんは、私が出ていくのをいつも「お気をつけて」と見送ってくれるが、まさか駅前で1時間程度ただ座って帰ってきているだけとは思っていないだろう。



 今日も駅前の同じベンチで、座りながら辺りを見渡した。路面電車がなくなると人の行き来はぱったりと途絶えてしまう。ひとつため息をついた。この仕事になんの意味があるのか私なりに考えてみたが、まだそれらしい答えにはいきついていない。



「貴様は従順なのだな……」



 後ろからの突然の声に驚く。振り返ろうとしたと同時にそれを制する声が聞こえた。


「そのまま前だけ見ていろ」


 声の主はサージェ氏だった。夜中の外出時は、どこかで見守ってくれているようだが、声をかけてきたのは初めてだ。私は正面の虚空に向かって話しかけてみた。


「サージェさん……は、カレンさんが依頼された仕事の内容をご存知なんでしょうか?」


 世間話ができそうには思えなかったので、ストレートに疑問を投げかけてみる。背中から息を吸い込む音が微かに聞こえる。


「知っていたとしてもカレン様が話していないことを自分は話せない……、が――」


 予想通り話せないと返事がきた。しかし、「が――」とまだ続くのは意外だった。


「今回の件に関しては自分も詳しく事情を聞かされていない。ただ、貴様を見守り、万が一の際は身を挺して守れとのご命令だ」


「そうですか。それならサージェさんもなかなかに従順な方ですね?」


 あえて皮肉めいた言い方をしてみたが、特に変わった反応はなかった。もっとも後ろにいるので表情の変化は見て取れない。いきなり「貴様」と呼ばれたのも複雑な気分だ。


「カレン様の命令は絶対だ。この身を賭してでも遂行する。それが自分の務めだ」


「カレンさんを信頼しているんですね」


「『ブレイヴ・ピラー』の中でもカレン様は特別だ。グロイツェル様とともに組織の両翼を担うお方だからな」


 グロイツェル氏……、競り市で例の大剣を購入してくれた人の名だ。「賢狼」と呼ばれているとか聞いた。


「もしよければ、『ブレイヴ・ピラー』について少し教えてくれませんか? もちろん話せる範囲で結構です」


 ダメで元々で聞いてみた。この息苦しい空気をどうにかしたいという気持ちもあったからだ。


「話せる範囲……、か」


「お互い退屈ではないですか? 夜にひとりで時が経つのを待っているだけなのはなかなか苦痛でして――」


 これは思っていたのをそのまま口にした。話相手もおらず、することもない1時間はとてつもなく長い。それが夜中となればなおさらだ。


「なにが聞きたいのだ? 答えるかは別として聞いてやろう」


 話し相手になってくれたことに驚いた。彼も私と同じように退屈で時間を持て余しているのかもしれない。


「そうですね……。『ブレイヴ・ピラー』の3傑について、とかどうでしょう?」



 競りの時、ハンスさんに聞いた話を思い出していた。3傑と呼ばれる人がいると――。ひとりはカレンさん、もうひとりはグロイツェル氏、つまりもうひとり私が知らない誰かがいるということだ。


 これに関しては今回の依頼どうこうより、シンプルに好奇心で聞いていた。少しの沈黙のあと、サージェ氏は語り始めた。


「この街の人間ならほとんどが知っているだろうが、その辺りに疎いようだから教えてやろう」


 サージェ氏は「ブレイヴ・ピラー」の3傑について語ってくれた。彼はこのギルドに所属しているのが誇らしいのだろう。この話をしている時の彼の口調は滑らかだった。


「まずはカレン様、『金獅子』の異名をもつギルド所属すべての剣士の憧れともいえる御方だ。もうひとりは『賢狼』のグロイツェル様。このギルドを今の規模まで拡大させたのはあの方の功績といえるだろう。組織の代表として公の場に出ることも多い御方だ」


 ブレイヴ・ピラーというギルドはこの国最大規模の組織と聞いている。それに一役買ったのがグロイツェル氏なのか。


「そして、『不死鳥』の異名をもつシャネイラ様、我々のギルドのマスターである御方だ。今はグロイツェル様が表に出ることが多いため、人前に姿を見せるのは少なくなっているがな」


 ギルドマスターのシャネイラ氏……。初めて聞く名前だ。組織の代表が3傑のひとりだったのか。


「なるほど、それでは今回のような衛兵団と協力する仕事は……、グロイツェル氏が引き受けてきたのでしょうか?」


 話しの流れで少し探りを入れてみる。答えてくれるかどうか……。


「衛兵団への協力はグロイツェル様が王国へ申し出て決まった。ギルドの名をより知らしめるよい材料と考えたのだろう。しかし――、その後が腑に落ちない」


 直観だが、このサージェ氏はグロイツェル氏をあまり快く思っていないのでは――、と感じた。口調からわずかに嫌悪感がにじみ出ているような気がする。


「腑に落ちないとは?」


 サージェ氏が思った以上に饒舌に話をしてくれるので先を促してみる。これなら今日のこの時間も苦痛ではない。


「この件はグロイツェル様が筆頭で調査を進める予定だった……。ところがある時、カレン様が自ら引き受けると申し出たのだ」


「カレンさんが進んで引き受けた?」


「そうだ、ただカレン様はなんというか……、こういった国や組織が絡むような仕事は受けたがらないお方だ。今回の件に関しては、被害の出ている地域と自分の行動範囲とが近いからと仰っていたが――」


 私もカレンさんから似たような話を聞いていた。だが、今の話を聞くとたしかにあえて引き受けた理由はそれだけなのか、と勘繰りたくなる。


「その申し出を受けて、カレン様とその直属にあたる自分が切り裂き魔事件の調査をしている、というわけだ」


「そういうことですか。貴重なお話をありがとうございます。きっとカレンさんは自分のおひざ元で悪さをされるのが許せないんでしょうね?」


 そんな理由ではないような気がする。しかし、別の理由が私には思いつかない。


「たしかに、カレン様はこの街をいたく気に入ってる。友人も多いと言っていたからな」


 サージェ氏はそう言ったあとに「話過ぎたな……」と独り言ちていた。その通りだと私も思った。だが、おかげで時間が経つのがとても早く感じられた。



「今日も衛兵が見張っているな、ご苦労なことだ」



 サージェ氏の声でこう聞こえた後に沈黙が流れた。先ほどまでよりわずかに背中が冷たく感じ、ゆっくりと後ろに目をやるとそこに彼の姿はなかった。きっとまたどこかに潜んで陰から私を見ているのだろう。


 今夜は「ブレイヴ・ピラー」について多くの情報を得られた。その後は何事もなく時が流れ、私は酒場への帰路につこうとした。その時、サージェ氏の言葉が引っかかった。


 今日も衛兵が見張っている……?


 私の動向が見張られている話は以前に聞いていた。しかし、今は護衛の名目でサージェ氏が私を見張っている。カレンさんは、私が夜に出かけている件について衛兵に知らせていないのか?


 2重に私を監視しているこの構図は非常に無駄が多いような気がする。


 そもそも私が外に出ているこの時間にカレンさんはなにをしているのだろうか。サージェ氏に私を任せているということは、他にすべきなにかがあるのだろう。



 その時、私の頭にあるひとつの考えが浮かんだ。しかし、それはあまりに恐ろしいことだったのでなにかの間違いと思うようにした。さすがに考えが飛躍し過ぎている。


 帰り道を速足で……、時折、頭に過る考えを振り払うように首を振った。それでも頭に突然去来したものは私の頭を支配していった。色を付けるなら夜の闇と同じような黒い色をした恐ろしい考えだ。


 今夜は寝付けない、そんな気がした……。

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