第1話 薬草の販売-6
私は翌日、オット氏のメモを見ながら街の調剤屋にやってきた。こちらの世界にやってきた時、スーツを着ていたので、それに袖を通して出かけた。エンジ色のネクタイを締め、気持ちを同時に引き締める。調剤屋の店主に自作の名刺を渡して名を名乗り、ある提案を持ちかけてみた。
「まずはこちらの商品をみてもらえませんか?」
私は虫よけ薬の入った小瓶を店主に手渡した。
「これは虫よけかな? うちでもよく作っているよ」
店主はそう言って少量を手に塗った。薬を塗った手を最初は眺めていたが、やがて顔に、いや鼻に近づけた。
「これは……、とてもいい匂いがするね?」
「はい、私は遠い異国から最近この辺りにやってきたのですが、祖国ではこういった香りつきの薬品がよく売られていました」
「ほほう、虫よけ薬にも香りをつけて売ってるのかい?」
やはり、この世界には香りに拘った商品があまりないようだ。香水そのものはあるかもしれないが、冒険家の間では馴染みがうすい物だと思われる。だが、臭いを気にする、というのは人ならば必ずあるはずだ。
それが女性ならば尚更……。
先日、カレンさんと出会った時、彼女は仕事が終わった直後と言っていた。山道をずいぶんと歩かされたと……。恐らく彼女は、自身の汗の臭いを気にして私に近づかれるのを嫌ったのだ。
ならば、冒険家が普段身に付けそうなものに良い香りをつけてあげればいいと思った。幸い、酒場には柑橘類の皮が大量にゴミとして出されていた。それを拝借して薬草と混ぜ合わせたのが、この小瓶の中身だ。
「衣服などに少量つければ虫よけの効果はもちろんのこと、良い香りを周りに振りまくこともできます。特に女性の冒険家にオススメしたい商品です。自身の汗の臭いを消すこともできますから、仕事終わりに使うのもいいかもしれませんね?」
「……おもしろい商品だね」
店主は手に塗った薬の香りを何度も嗅ぎながらそう言った。
「ここからはご提案です。この薬を調合するためのレシピ、その原材料と薬草を約500個、10,000ゴールドで買いとってもらえないでしょうか?」
店主の目を見て単刀直入に言ってみた。さすがにいきなり快い返事が返ってくるとは思っていない。店主は眉をひそめて低い声で唸っていた。
「レシピや原材料はわかるけど……、その薬草も一緒じゃないといけないのかい?」
当たり前だ、そもそもこの薬草をどうにかしたいのだ、と心の中で私は呟く。
「薬草も、です。虫よけに使う薬草は鮮度がおちたものでも問題なく、すりつぶした後に防腐剤を混ぜると聞いています。ですので量は多いですが、いずれ使うものと思って下さい」
「うーむ、なるほど。悪い話ではないと思うけど……、香りつきの虫よけ薬か。それほど売れるもんかね?」
「私の祖国では香りつきの様々な商品が売られており、一定の需要があります。ここでは競合するような商品がないので、きっと売れるでしょう」
必ず売れるかと問われるとむずかしい。ただ、ここで引き下がるわけにはいかない。相手の不安をかき消すだけの自信をもって提案を続ける。
「いくつか調剤をしている薬屋を聞き、一番評判のよかったここを最初の場所として選びました。是非こちらで私のレシピを買ってもらえないでしょうか?」
オット氏の働いている道具屋の薬の卸量はこの調剤屋が一番多いと聞いている。相応の信頼がある店なのは間違いないだろう。そして、あえて「最初」と言っておいた。ここがダメなら他を当たる準備があることを暗に匂わせているのだ。
「うーん……、迷うね! どうしたものかな?」
「もし買って頂けるなら、ついでに原材料のひとつである薬草を今より安価で仕入れる方法も一緒にご提案できますよ?」
実はカレンさんに薬草の使い道を訊いたときに頭を過ったことがある。それがここでの提案のもう一押しになりそうだ。
「よし、わかった! スガワラさん、でしたか……。あなたを信用しましょう。そのレシピと原材料、買わせてもらいます!」
この瞬間、こちらの世界での私の初仕事が決着した。
「ありがとうございます!」
私は店主に深々と頭を下げ、精一杯の感謝を示した。突然の訪問から初対面の人間の提案など簡単にのんでくれるはずがない。
もちろん私も相応の準備していったつもりではあるが、それでも最初の訪問から結果を得られるとは思っていなかった。驚きと嬉しさが一緒に込み上げてくる。
その日のうちに私はオット氏に会いに行き、薬草の買い取り先が決まった旨を伝えた。彼は大きく目を見開き、本当ですか?、と大声を上げた。調剤屋との商談内容を伝え、すぐに納品に行くよう話をつけた。
さらに昨日の夜、店のゴミから使えそうな柑橘の皮を
そしてもうひとつ、店主に最後に話した薬草を安く仕入れる方法も伝えた。これは薬を卸している店に薬草の回収箱を設置する方法だ。
カレンさんの話だと薬草を常備している冒険家は多いらしい。ただ、それは少ない量を持ち歩いていて、鮮度がおちたら買い直しをしているという。使い切る、よりも鮮度の問題で入れ替えが多いようだ。
ならばいっそのこと、買い替える時に薬草専用の回収箱を設置して捨ててもらえば、そこから鮮度のおちた薬草を無料で回収できる。
牛乳パックやインクカートリッジの回収箱からヒントを得た発想だ。これには調剤屋の店主も、妙案だね、と賛同してくれた。
オット氏に5,000ゴールド渡し、彼はそれを道具屋の店主に渡した。これで彼がクビになることはないだろう。残り5,000ゴールドは私の報酬としてもらったが、その内の半分はラナさんに納める約束だ。
こちらの世界に来てからお世話になりっぱなしだったので、ようやく少しだけ恩返しができたような気がする。
「あの量の薬草を全部売り切ったんですね。スガさんすごいですよ!」
ラナさんは口をUの字に曲げた笑顔で、様々な形容詞を使って私を称えてくれた。約束の報酬と手元に残った香り付きの虫よけ薬のサンプルもついでにプレゼントした。
その夜、いつも通りお酒を飲みに来たカレンさんにも同じくサンプルを手渡してみた。彼女は早速、薬を手の甲に少し塗った後、顔に近づけ鼻をひくひくと動かして香りを嗅いでいた。
「うん……、いい香りだね。ありがとう」
「いいえ、カレンさんのおかげで仕事がうまくいったようなものですから」
「ふーん……、しっかしこんなプレゼントをくれるとは……。やっぱりこの前、街で会った時の私、汗臭かったのかい?」
少し照れたような顔をしてカレンさんはそう尋ねてきた。
「いいえ、とんでもない。距離をとられたのは正直ちょっと凹みましたけど……」
「あはは、お固い奴だと思っていたけど案外おもしろいねぇ。スガは?」
やはりあの時は汗の臭いを気にしていたようだ。カレンさんに避けられていないとわかって私は内心ホッとしていた。
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